論考シリーズ ※無断転載禁止
SPF China Observer
ホームへ第82回 2026/04/22
第二次世界大戦における日英海軍の海上交通保護の相違
−台湾のレジリエンシーへの示唆−(第1部/全3部)
5年目に入ったウクライナ戦争は、第二次世界大戦以来ヨーロッパで最大の武力紛争となり、高強度の長期消耗戦へと発展した。ウクライナ戦争は欧州大陸で戦われた2回の世界大戦と同様に塹壕戦の様相を呈し、ロシアの侵攻速度は、2024年2月から2026年1月まで、1日あたり約70メートルに低下して前線は東ウクライナにほぼ固定化された。CSISの推計によると、ロシア軍は2022年2月から2025年12月までの間に、戦死・負傷・行方不明者を含む戦場での損害は約120万名、27万5千名から32万5千名の戦死者を出した[1]。軍事作戦は地理的環境によって異なる形態をとる。広大な平原が広がる欧州大陸では地上戦中心の「陸の戦争」となり、兵士が最後まで固守した場所が停戦ラインとなり領土となる。科学技術の進歩によって投入される装備は異なっても露宇両軍が過去と同じ塹壕戦を繰り返すことは地理的な必然であろう。
台湾の地理を考えれば、台湾有事は台湾を戦略目標にして、中国大陸から西太平洋一帯にかけての「海の戦争」になる。現代史のなかで、世界規模の「海の戦争」は第一次世界大戦、第二次世界大戦、太平洋戦争の三つであり、攻守の戦略目標となった国は英国と日本の2カ国だった。両国は四周を海に囲まれ、国内資源に乏しく、生存と繁栄を海外との交易に深く依存する地政学的な脆弱性を持つ。日英が同じ時期に戦った第二次世界大戦と太平洋戦争では、攻守双方で、この脆弱性をめぐる戦い、つまり通商破壊戦が戦争の帰趨に大きく影響した。
台湾は日英と地政学的な脆弱性を共有している。もし「海の戦争」が地理的な必然として過去と同じ戦いを繰り返させるならば、通商破壊戦に関する日英の教訓から、台湾は多くの示唆を得るはずである。
日本が海上交通保護の軽視に至った因由は、日本だけでなく米国に起因する要因も絡み合っている。また英国は英連邦と米国の全面的かつ強力な支援を受けドイツ一国を敵として戦ったのに対し、日本は独力で英米の優勢な海空兵力と戦わなければならなかった。作戦海域も伝統的な台湾以北の我が国周辺海域に加え、開戦と共に蘭印、南シナ海、南洋諸島の広大な海域が加わった。したがって、日英の海上交通保護は単純に比較できないが、防衛庁防衛研修所戦史室(当時)が「日本の海上護衛戦は当初から、すでに失敗すべき要素を多分に含んでいた」と海上護衛戦に関する戦史叢書を結んでいるように[2]、開戦前の段階について、両国を比較することは意味があろう。
本稿は、日英の海上交通保護のアプローチに違いを生じさせた要因を比較し、台湾の防衛政策への示唆を論じていく。
1.日本と英国の地政学的脆弱性:海外資源への高い依存度
英国は第二次世界大戦の勃発時にはすべての石油を海外に依存していた。1936年3月、ドイツがベルサイユ条約に違反してラインラントへ侵入し再軍備を始めると、英国はわずか8千トン(戦時の10日分)しかなかった航空用ガソリンの備蓄を増やすため、9万トンの保護石油貯蔵施設を建設することを決定した[3]。1941年にビルマの英国油田を日本軍が占領し、豊富なイラン鉱区からの供給が地中海を迂回する長距離かつ危険な輸送ルートを余儀なくされるようになると、英国は米国とベネズエラへの供給依存度を高めた[4]。英国が輸入する石油の少なくとも80%以上がベネズエラ産であり[5]、またハイオクタン価の大きい航空燃料は米国産に依存した[6]。食糧は大英帝国を利用して食料を生産することに慣れきり、1939年は年間約1,800万トンの食料を輸入していた。内訳はチーズと砂糖の約70%、果物のほぼ80%、穀物と油脂の約70%に及んだ。肉類も半分以上を輸入に依存し、国内の肉生産を支える飼料も輸入に頼っていた[7]。したがって、英国が再びドイツと戦うこととなれば、ドイツが英国を屈服させるために第一次世界大戦と同じ通商破壊戦を繰り返すことは自明であった。
1930年代後半の日本にとって、軍事作戦に必要な戦略物資の海外依存度は高く、9割以上を輸入に頼る物資は石油、ゴム、ニッケル、鉛、綿花、羊毛であった。5割以上の物資は鉄鉱、亜鉛、スズ、マンガン、アルミニューム、稀少金属であり、国内でまかなえる物資は硫黄、石炭、鋼鉄に過ぎなかった[8]。海軍にとって石油は深刻な問題と早くから認識され国内の貯油量の増大を図ったが、1936年の貯油量は350万キロリットルで、戦争1年目の所要見積もり360万キロリットルに満たなかった[9]。英米など列強を相手とする戦争となれば、禁輸となる可能性の高い石油や戦略物資が長期的に深刻に不足することは明らかだった。食糧は主食の米も自給することはできず、約2割を台湾と朝鮮から移入していたため、開戦後に労働力と資材が不足し、天候要因によって国内農業生産の縮小し、外地からの移入が途絶えると日本本土はたちまち食糧不足に陥った[10]。タルボット(J.E. Talbot)は米海軍の文献を渉猟し、日本に対する無制限潜水艦戦を真珠湾攻撃の報復とするのは表向きの理由であって、「米国にとって無制限潜水艦戦は1919年以前から戦間期を通じて決められていた可能性の高い結論」だったと指摘している[11]。つまり、日米戦争となれば日本が米海軍の潜水艦による通商破壊戦を受ける可能性は高かった。
2.日英海軍の海上護衛戦の準備
日英両国は地政学的な脆弱性を認識し、戦争前に脆弱性の緩和に努めたが、日英には海上交通保護(海上護衛)の準備について大きな違いがあった。
(1)優先的に準備した英国
英国海軍は第一次大戦後の戦間期も継続して対潜水艦戦の研究と開発を続け、1938年半ばには対潜水艦用の探信儀ASDICを完成していた。1939年9月にはトロール船を徴発して(1941年末までに83隻)、ASDICを搭載した。また宣戦布告とともに船団護衛に適した多くの護衛艦艇の建造計画を発動し、海軍本部が商船の運航を統制した[12]。
英国政府が対潜水艦戦を重視した背景には、第一次世界大戦後におけるドイツ海軍の無制限潜水艦戦によって国民が飢餓に瀕した経験があったことは明らかである。ドイツ海軍は、潜水艦(Uボート)を使った通商破壊戦(Guerre de course)こそが、兵力において劣勢なドイツ海軍が英国を屈服させるためには最大のチャンスと認識していた。その目的は、英国が海上封鎖によってドイツに勝利する前に、イギリスを飢餓に陥らせることであった。英仏海峡から始まった通商破壊戦は作戦区域(war zone)を英国周辺海域から地中海と北海に拡大し、作戦も国際法に則った捕獲から、国際法に違反する無制限潜水艦戦へとエスカレートした[13]。その結果、第一次世界大戦の終結までに、3千隻以上の英国籍商船および漁船が沈没し、1万5千人近くの商船乗組員が死亡した[14]。また、同大戦を通じて88万6千人の英国軍人が死亡し、その犠牲の大きさは国民の意識に深く厭戦感を植え付けた[15]。第一次世界大戦終結から20年を経ずして再興したドイツの再軍備と領土拡張は、英国政府にUボートによる通商破壊戦への警戒感を大いに高めたことは間違いない。
(2)対策が後手に回った日本
日本海軍は、第一次世界大戦が勃発するとともに臨時欧州戦史調査部を設置、特別調査団を派遣して徹底して調査した。また、英国の要請によって第二特務艦隊を地中海に派遣し、死傷病者を出しながら総計348回7,887隻の船舶をUボートの攻撃から護衛する成果を上げた[16]。第一次世界大戦の教訓は中枢部においても十分に認識されており、また自国の戦略環境を考慮すれば、日本海軍は同盟国の英国に船団護衛システムなど対潜水艦戦のノウハウや聴音技術を積極的に求めるべきだったが、むしろ潜水艦の攻撃力に関心が集まり、海上護衛戦の教訓を十分に生かすことができなかった[17]。その結果、組織、教育、作戦、装備のいずれにおいても対策は後回しにされ、海上護衛強化に真剣に取り組み始めた時期は、開戦から2年後、日本商船隊に大きな被害が増大し船舶輸送が逼迫し始めた1943年中期以降であった。日本海軍は技術開発でも英海軍に後れを取った。対潜水艦戦用の探信儀は、1940年6月末時点で駆逐艦と潜水艦の合計42隻に装備されたが、水測兵器として真に実用の域に達しないままに開戦を迎えた[18]。
1 Seth G. Jones, Riley McCabe, Yasir Atalan, Benjamin Jensen, Romina Bandura, Emma Curtis, Caitlin Welsh, Otto Svendsen, Max Bergmann, Mark F. Cancian, and Chris H. Park, “Russia-Ukraine War in 10 Charts”, CSIS, February 24, 2026. [https://www.csis.org/analysis/russia-ukraine-war-10-charts](Accessed on March 12, 2026)
2 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海上護衛戦』朝雲新聞社、1971年、563頁。
3 Tim Whittle, “Pigs, Pipelines and PLUTO: A History of the United Kingdom’s Largest Oil Pipeline and Storage System during World War Two”, Measurement and Control Volume 46, Issue 7, September 2013,199-204.[https://journals.sagepub.com/doi/epub/10.1177/0020294013499112](Accessed on March 12, 2026)
4 “When everything changed: the US & UK economies in World War II”, Rapid Transition Alliance, June 25, 2019. [https://rapidtransition.org/stories/when-everything-changed-the-us-uk-economies-in-world-war-ii/](Accessed on March 12, 2026)
5 Air Mail To the New York Times, “HIGH PRAISE London Magazine Pays Tribute to Aid Given to Allies by Latin-American Nation”, The New York Times, January 25, 2043. [https://www.nytimes.com/1943/01/25/archives/british-get-most-of-venezuela-oil-80-pc-if-not-all-of-output-is.html](Accessed on March 12, 2026)
6 Stephen J. Thorne, “Gassed up: The juice that fuelled victory in the Battle of Britain”, LEGION, July 29, 2020. [https://legionmagazine.com/gassed-up-the-juice-that-fuelled-victory-in-the-battle-of-britain/?utm_source=copilot.com](Accessed on March 12, 2026)
7 注4に同じ。
8 前掲『戦史叢書 海上護衛戦』2頁。
9 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 ハワイ作戦』朝雲新聞社、1967年、49−52頁。
10 平澤明彦「日本の食糧安全保障について−基本的な論点と課題−」『RESEARCH BUREAU論究(第19号)』、2022年12月、35頁。
11 J.E. Talbot, “Weapon Development, War Planning and Policy: The U.S. Navy and the Submarine, 1917-1941”, Naval War College Review, Vol.37, No.3, p.56. (Accessed on March 12, 2026)
12 ウィンストン・チャーチル(伏見威蕃訳)『[完成版]第二次世界大戦1 湧き起こる戦雲』みすず書房、2023年、179−180頁、477−478頁、529頁、789頁。
13 Elleman, Bruce A. and Paine, S.C.M., "Commerce Raiding" (2013). Newport Papers. 40., pp.135-150.
14 Imperial War Museum, “A Short History Of The Merchant Navy”[https://www.iwm.org.uk/history/a-short-history-of-the-merchant-navy](Accessed on March 12, 2026)
15 Deaths in the First and Second World Wars, The National Archives[https://www.nationalarchives.gov.uk/help-with-your-research/research-guides/deaths-first-and-second-world-wars/?utm_source=copilot.com](Accessed on March 12, 2026)
16 海軍歴史保存会『日本海軍史』第2巻通史第3編、第一法規出版社、1995年、346−365頁。第2特務艦隊は軍令部の命令によって潜水艦の用法や対潜戦を含む調査を行い、英仏の軍用水中聴音機に関する報告をした(同上書、355−358頁)。
17 同上書、420−421頁。
18 前掲『戦史叢書 海上護衛戦』24−25頁。





