論考シリーズ ※無断転載禁止
SPF China Observer
ホームへ第76回 2025/10/08
台湾に対する中国の認知戦 ― TikTokを事例として
はじめに
2003年、中国は「三戦」(心理戦、輿論戦、法律戦)の概念を初めて「中国人民解放軍政治工作条例」に導入した。同条例第14条第18項によれば、輿論戦と心理戦は戦時政治工作の構成要素として規定されており[1]、当時の中国政府は、情報作戦を武力紛争において敵の戦闘力を削ぐための不可欠な手段と見なしていたことがうかがえる。
それから20年後、ソーシャルメディアの台頭は、中国における情報作戦の概念と実践の双方を大きく変容させた。中東や中央アジアにおける「カラー革命」から教訓を得た中国は、軍事理論において2010年代半ばから「認知戦」という概念を登場させた。この新しいビジョンは、平時において敵に対して行う情報作戦を重視し、戦わずして勝つことを目的とする。『制脳権:グローバルメディア時代の戦争法則と国家安全保障戦略』の著者であり、認知戦理論の第一人者とされる人民解放軍の曾華鋒教授の説明によれば、デジタル時代における中国の情報作戦は、敵の価値観、イデオロギー、信念に影響を及ぼし、最終的にはその国家の自ら選んだ発展を放棄させることを狙っている[2]。言い換えれば、中国の認知戦は名目上の平時に追求されるノンキネティック作戦と見なすことができる。
この背景の下、本稿はTikTokを事例として、中国の認知戦が台湾世論に及ぼす影響を分析する。TikTokは中国政府との関係が指摘されており、アルゴリズムの不透明性に対する懸念や疑念から、北京の利益に沿ったコンテンツを拡散している可能性への懸念が高まっている。そのため、TikTokは中国の認知戦の影響を分析する上で不可欠なレンズとなっている。
TikTok:新たな戦場
TikTokは、中国が台湾に対して展開する認知戦における重要な戦場として浮上している。台湾の国家安全局(NSB)の報告によれば、TikTok上の「異常アカウント」は2024年を通じて255件から4,371件へと急増し、その増加率は主要ソーシャルメディアの中で最も高かった。また、動画共有プラットフォームにおける「論争を呼ぶ内容」は151%増加し、そのうち約2割がTikTokから発信されていた[3]。
さらに、このNSB報告は2024年以前のTikTokにおける虚偽情報の拡散を過小評価していた可能性がある。2024年1月の台湾総統選挙の選挙期間中、TikTokはすでに複数のアクターによる情報操作の主要な舞台となっており、各候補者の利益に沿ったディープフェイク動画が多数拡散されていた[4]。しかし、TikTok上の全体的な情報空間は北京に有利に働いたように見える。台湾人工智慧実験室(Taiwan AI Labs)の調査によれば、選挙戦期間中のTikTokにおける言説は、中国に対しては主に肯定的である一方、台湾、アメリカ合衆国、日本に対しては否定的なものであった[5]。
TikTokにおける情報操作の急増は、同プラットフォームが台湾の若年層に広く普及していることを踏まえると、特に憂慮すべき事態である。『2024台湾インターネット報告』によれば、台湾のTikTok利用者の60%以上が18歳から39歳の年齢層であった[6]。さらに、中央研究院が2023年に実施した調査によると、未成年者の利用率も高く、小学生の約44%、中学生の58%、高校生の50%が直近1か月間にTikTokを利用していた[7]。若年層におけるTikTokの高い普及は、今後も同プラットフォームにおける情報戦を激化させる要因となりうるため、その世論への影響を研究することは極めて重要である。
TikTokが世論に与える影響
中国の認知戦の分析を専門とする台湾のシンクタンクが実施した二つの調査は、TikTokが台湾世論に与える影響について初期的な洞察を提供している。2024年11月に台湾情報環境研究センター(IORG)が行った調査と、2025年3月にダブルシンクラボ(Doublethink Lab)が行った調査は、TikTok利用者の米国政府や台湾の民主主義に対する認識が中国のプロパガンダと密接に一致していることを示した[8]。
歪められた対米認識
IORGとダブルシンクラボの研究によれば、TikTok利用者は米台関係の強化に否定的な見方を持つ傾向があった。この認識は、米台関係を強化すれば台湾に大きなコストがかかり、台湾は米国の駒に過ぎないとする中国政府の長年のプロパガンダと一致している。
IORGの調査では、台湾のTikTok利用者の41.5%が「親米政策は台湾と中国の戦争につながる」と信じており、非利用者の31%を大きく上回った[9]。この否定的な見解は1990年代以来の中国の言説、すなわち台湾が米国との関係強化を台湾独立の追求と結びつける「依美謀独」というフレーミングを反映している。
また、ダブルシンクラボの調査では、アクティブ利用者の62%が「米国は台湾を戦争に巻き込もうとしている」と回答した[10]。全体の比率は非アクティブ利用者とほぼ同じであったが、「強く同意する」と答えた割合はアクティブ利用者が17.1%で、非アクティブ利用者を5.6ポイント上回った。さらに、台湾海峡の緊張の責任について問われた際、アクティブ利用者は38.9%が中国、35%が台湾、15.5%が米国を挙げた。これに対し、非アクティブ利用者では51.8%が中国、29.4%が台湾、10.2%が米国を責任主体とした[11]。
これらの数字は憂慮すべきものであり、TikTok利用者の安全保障環境に関する認識が、実際の事実とは矛盾する方向に歪められていることを示している。米国の対台支援は中国の全面侵攻を抑止する最も重要な要素の一つであり、また1950年代半ば以降の米国の台湾政策は一貫して防御的現実主義に基づいており、台湾を利用して中国の国力を削ぐのではなく、中国による台湾併合を阻止することを狙いとしてきた。
台湾の民主主義に対する否定的見解
頼清徳総統就任以降、中国政府が台湾の民主制度を批判するプロパガンダを拡大してきた[12]。このようなプロパガンダの拡大と時を同じくして、台湾社会における民主主義への認識にも注目すべき傾向が見られる。ダブルシンクラボの2025年3月の世論調査は、TikTok利用者が台湾の民主主義を否定的に捉える傾向が強く、その結果として台湾と中国の体制的な違いを十分に理解、重視していないことを示している。こうした傾向は、以下で示す三つの指標によって説明できる。
第一の指標は、「現在の与党である民進党は中国共産党と何ら変わらず、台湾には言論の自由がない」とする主張への回答である。この設問に対し、アクティブTikTok利用者の46.9%が同意しており、非アクティブ利用者より10.4ポイント高い数値を示した[13]。この結果は、アクティブ利用者のおよそ半数が台湾の民主制度に強い懐疑的認識を抱いており、台湾と中国の体制的な違いに対する理解が弱まっていることを示唆している。
第二の指標は、「台湾海峡の平和のためには、台湾の民主制度を放棄してもよい」とする設問への回答である。ダブルシンクラボの調査では、アクティブ利用者の30.3%がこの主張に同意し、非アクティブ利用者より約7ポイント高かった[14]。この結果は、アクティブ利用者が台湾の民主制度を比較的重視していないことを示唆している。
第三の指標は、「たとえ両岸統一が実現しても、一般市民の生活は大きく変わらない」とする設問への回答である。調査結果によれば、アクティブ利用者の45.2%がこの主張に同意し、非アクティブ利用者を12ポイント上回った[15]。この回答の背景にある理由は必ずしも明確ではないが、少なくとも二つの可能性が考えられる。すなわち、①民主制度を維持するか否かは一般市民の生活に大きな影響を及ぼさないと信じている、あるいは②台湾と中国の民主主義レベルの間に大きな差はないと認識している、という解釈である。これは、前二つの指標の傾向とも整合的である。
とはいえ、以上の結果はTikTokが台湾社会における反中感情を根本的に変化させたことを意味しない。ダブルシンクラボの調査によれば、アクティブ利用者を含む回答者の約90%が中国政府に否定的な見方を示していた[16]。この傾向は、2019年半ば以降、香港における民主運動を北京が弾圧したことを契機に台湾で広がったものであり、その後も持続している。台湾の「美麗島電子報」の世論調査でも、2019年以来一貫しておよそ70%の台湾人が中国共産党に否定的、15%以下が肯定的評価を示すにとどまっている[17]。
現時点で言えるのは、TikTokは台湾の民主主義に対する認識を歪める一定の役割を果たしたものの、中国政府そのものに対する台湾人の否定的認識を覆すには至っていない、ということである。台湾と中国の体制的な違いを十分に認識、重視していない傾向は、中国共産党への好意的評価の増大というよりも、台湾の民主制度への不満に起因するものだと理解できる。
いくつかの重要な留意点
以上の分析をそのまま受け入れる前に、いくつかの重要な留意点を指摘しておく必要がある。TikTok利用者と非利用者の認識を単純に比較するだけでは、必ずしも全体像を示していない可能性がある。
第一に、TikTokの影響をさらに検証するためには、異なるプラットフォーム利用者の認識を比較することが不可欠である。インスタグラムはTikTokと同様に短尺動画を主な形式としており、いずれのプラットフォームも、ファクトチェック能力の低い利用者が感情的な内容に影響を受けやすい環境を生み出している可能性がある。もしTikTok利用者がインスタグラム利用者よりも中国のプロパガンダに影響されやすい傾向を示すのであれば、TikTokのアルゴリズムや推薦システムが、そうしたナラティブの拡散にどのように関与しているのかを検証する必要があるだろう。
第二に、IORGとダブルシンクラボの報告はいずれも、政党支持といった調整変数や、年齢・世代構成の違いには十分に触れていない。TikTokの利用が利用者の認識に独立した影響を与えることを立証するためには、たとえば与党支持者が中国のプロパガンダに対してもより受容的であるかどうかを検証する必要がある。中国寄りのナラティブを最も受け入れやすいTikTok利用者は、台湾の野党支持者に偏っている可能性があり、その場合、認識の差異はTikTokの影響というよりも党派的傾向に由来していると解釈すべきである。
さらに、TikTokが若年層に特に人気であることを踏まえ、若年層の利用者が中国のプロパガンダにより影響されやすいのかを検証することも重要である。高齢層はTikTokの登場以前から、より多様な経験や情報源を通じて政治的認識を形成してきたと考えられるため、世代による情報環境の違いが認識の差異に影響している可能性がある。
第三に、TikTokの主な効果は台湾社会に既存する政治的分断を拡大させる点にある可能性が高い。IORGの既存研究が示すように、中国のメディアはしばしば台湾の政治家やメディア関係者の発言を引用し、それをプロパガンダに利用してきた[18]。TikTokも例外ではなく、中国政府に関与する可能性のあるアカウントが台湾の親中派の発言を編集・再利用して拡散している。こうしてTikTokは、台湾の政治言説にすでに存在する声を選択的に強調することによって、国内の政治的分極化を加速させる触媒として機能している。
実際、2024年5月の就任以来、頼清徳総統は台湾の野党から「権威主義的」との批判を浴びてきた。柯文哲前台北市長の訴追から、中国浸透に対する17項目の対策まで[19]、与党民進党は「ナチス」「共産党」「独裁者」といったレッテルを貼られてきた。したがって、台湾と中国の体制的な違いに対する認識弱めるうえでのTikTokの役割は、主要因というよりもむしろ副次的なものである可能性が高い。
最後に、以上二点を踏まえるならば、TikTokが台湾の認識に及ぼす影響は過大評価も過小評価もすべきではない。確かに同プラットフォームは親中的なナラティブを拡散する一助となっているが、台湾のレジリエンスにとってより深刻な脅威は、国内の政治家やメディア関係者が意図的にせよ無意識にせよ中国のプロパガンダを繰り返すことである。彼らの発言は、中国共産党が支配するTikTokアカウントにとって格好の素材となり、台湾人にとって「地元の声」による主張として親中ナラティブをより説得的に見せる効果を生んでいる。
おわりに
以上の分析から二つの結論が導き出される。第一に、台湾におけるTikTok利用者は、中国のプロパガンダを受け入れやすい傾向にある。中国の認知戦は「台湾には言論の自由がない」あるいは「米台関係強化は中国との戦争を招く」といった常識に反する認識を広めることに成功している。こうした傾向の背後にある要因が、TikTokのアルゴリズムによるものか、あるいは短尺動画という形式によるものかを明らかにするためには、インスタグラムなど他の類似プラットフォームとの比較検証が重要である。第二に、中国の認知戦におけるTikTokの具体的な役割については、さらなる検証が必要である。現段階では、TikTokが台湾国内外の環境認識を形成する主要な要因であると結論づけるのは時期尚早である。むしろ、TikTokの役割は副次的なものであり、台湾人の認識を中国の情報操作にさらしやすくしているのは、そもそも台湾に存在する政治的分断なのである。
それでもなお、結果は憂慮すべきものである。多くの台湾人が、自国の内政・国際環境を中国共産党の政治的アジェンダに沿って認識するようになっているからである。すなわち、台湾が長年にわたる中国の圧力への対抗する道、すなわち民主制度と米国との緊密な関係が、いまや台湾自身の人々によって疑問視されるようになっているのである。この点において、本研究の結果は『制脳権』の著者が述べた認知戦の本質をまさに体現している。すなわち、中国は敵対国の価値観、イデオロギー、信念を再編し、最終的にその国家に自ら選んだ発展の道を放棄させようとしているのである。
1 中国改革信息库 [http://www.reformdata.org/2003/1205/4925.shtml]
2 中国军网、北京、「夺取未来战争制脑权」、2014年6月14日 [http://www.81.cn/jwgd/2014-06/16/content_5961384.htm]
3 國家安全局、「2024 年中共爭訊傳散態樣分析」、2025年1月3日 [https://www.nsb.gov.tw/zh/assets/documents/新聞稿/2024年中共爭訊傳散態樣分析(報告全文)-中文.pdf]
4 例えば、 “Seeing is Not Believing—Deepfakes and Cheap Fakes Spread during the 2024 Presidential Election in Taiwan,” Taiwan FactCheck Center, December 25, 2023 [https://en.tfc-taiwan.org.tw/en_tfc_286/]; “Deepfake Video of US Lawmaker Soliciting Votes for Taiwan’s Presidential Candidate Spread Online,” AFP Fact Check, January 9, 2024 [https://factcheck.afp.com/doc.afp.com.349D8R6]; “Edited Clip Falsely Shared as Voter Fraud in Taiwan Elections,” AFP Fact Check, January 16, 2024 [https://factcheck.afp.com/doc.afp.com.34EU94R]
5 台灣人工智慧實驗室、「台灣人工智慧實驗室發布全球第一份民主國家協同操作年報,揭發資訊操弄者足跡與手法」、2024年4月23日 [https://ailabs.tw/zh/tw_press/台灣人工智慧實驗室發布全球第一份民主國家協同/]
6 財團法人台灣網路資訊中心、「2024台灣網路報告」、2024年11月27日 [https://www.twnic.tw/doc/twrp/202410b.pdf]
7 TCS 臺灣傳播調查資料庫 [https://crctaiwan.dcat.nycu.edu.tw/AboutSurvey_e.asp]
8 IORG、「美選後民調: 台灣 TikTok 使用者對中國更有好感、更認同親美會戰爭、更具台灣經濟失敗傾向」、2025年1月22日 [https://iorg.tw/a/survey-2024-tiktok];“2025 Taiwan TikTok User Study: Nationwide Online Surveys — Research Data,” Doublethink Lab, June 5, 2025 [https://medium.com/doublethinklab/2025-taiwan-tiktok-user-study-nationwide-online-surveys-research-data-0ddcddeaa231]
9 IORG、「美選後民調: 台灣 TikTok 使用者對中國更有好感、更認同親美會戰爭、更具台灣經濟失敗傾向」、2025年1月22日 [https://iorg.tw/a/survey-2024-tiktok]
10 ダブルシンクラボによる定義では、「TikTokアクティブ利用者」とは、過去1年間に「週に数回以上・1回平均30分以上」または「1日に数回・1回平均10〜30分」利用した個人を指し、それ以外の回答者は「非アクティブ利用者」と分類される。
11 “2025 Taiwan TikTok User Study: Nationwide Online Surveys — Research Data,” Doublethink Lab, June 5, 2025 [https://medium.com/doublethinklab/2025-taiwan-tiktok-user-study-nationwide-online-surveys-research-data-0ddcddeaa231]
12 IORG、「賴清德當選後的中共宣傳:台灣民主失敗論」、2025年8月14日 [https://iorg.tw/da/118]
13 “2025 Taiwan TikTok User Study: Nationwide Online Surveys — Research Data,” Doublethink Lab, June 5, 2025 [https://medium.com/doublethinklab/2025-taiwan-tiktok-user-study-nationwide-online-surveys-research-data-0ddcddeaa231]
14 “2025 Taiwan TikTok User Study: Nationwide Online Surveys — Research Data,” Doublethink Lab, June 5, 2025 [https://medium.com/doublethinklab/2025-taiwan-tiktok-user-study-nationwide-online-surveys-research-data-0ddcddeaa231]
15 “2025 Taiwan TikTok User Study: Nationwide Online Surveys — Research Data,” Doublethink Lab, June 5, 2025 [https://medium.com/doublethinklab/2025-taiwan-tiktok-user-study-nationwide-online-surveys-research-data-0ddcddeaa231]
16 “2025 Taiwan TikTok User Study: Nationwide Online Surveys — Research Data,” Doublethink Lab, June 5, 2025 [https://medium.com/doublethinklab/2025-taiwan-tiktok-user-study-nationwide-online-surveys-research-data-0ddcddeaa231]
17 美麗島電子報、「美麗島民調:2025年6月國政民調」、2025年6月30日 [https://m.my-formosa.com.tw/DOC_217710.htm]
18 IORG、「2024 美選前後中共官媒抖音引用台灣人物 Top 20」、2025年2月10日 [https://iorg.tw/da/100]
19 President Lai Holds Press Conference Following High-Level National Security Meeting,” Office of the President, March 13, 2025 [https://english.president.gov.tw/News/6919]