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SPF China Observer
ホームへ第70回 2025/05/26
国際自由貿易とCPTPP —台湾の参加の戦略的意義、そして日本の役割—
はじめに
2025年4月2日、アメリカのドナルド・トランプ大統領は「解放の日(Liberation Day)」と称し、「相互関税」の名の下に包括的関税政策を発表した。これは、従来の自由貿易の推進・保護者としての立場を180°転換し、保護主義的な「アメリカ第一(America First)」を掲げる通商政策への明確な転換を意味するものであった。自由貿易の盟主が自らその座を降りたのである。本稿では、このようなアメリカの歴史的態度変更の中で、わが国が主導して成立した「包括的および先進的な環太平洋パートナーシップ協定(CPTPP: Comprehensive and Progressive Agreement for Trans-Pacific Partnership)の今後期待される政治・経済的な位置付けに加え、台湾の参加がもつ戦略的意義について論じる。
CPTPPの成立経緯
(1) CPTPPは、アメリカのオバマ政権が主導した「環太平洋パートナーシップ協定 (TPP :Trans Pacific Partnership Agreement)(2005年にチリ・ブルネイ・ニュージーランド・シンガポールの4か国間で成立したP4協定に2010年アメリカが参加表明し、拡大を働きかけ、2016年2月に交渉がまとまったもの)から、2017年にトランプ政権が離脱を表明し、残った国々(11ヵ国)で再交渉し、2018年3月に交渉妥結に至って成立したものである。現在の加盟国は、日本、カナダ、メキシコ、ペルー、チリ、オーストラリア、ニュージーランド、ブルネイ、シンガポール、マレーシア、ベトナムの原加盟国に英国(2024年)を加えた12ヵ国となっている(TPP12)。
(2) オバマ政権で起動したアメリカの本来の構想は、貿易のハイスタンダードの多国間自由貿易システムをアジア太平洋において創出し(TPP)、次いで欧州との間で形成する多国間自由貿易システム(TTIP: Transatlantic Trade and Investment Partnership)と統合し、アメリカ主導でこの二つの巨大経済圏を結びつけた新たなアメリカン・スタンダードの世界的システムを構築することにあった。このTPPとTTIPの統合構想は極めて高レベルの先進的自由貿易圏を作ることにより、中国や他の新興国による影響力の拡大に対抗するという地政学上の戦略に基づいて推進されたものであった。その意味で、中国やロシアは本来この構想の枠外にあったと言ってよい。
オバマ大統領は、TPPの戦略的重要性について、21世紀およびその先におけるアメリカの経済的リーダーシップを維持・強化する手段として強調している。彼は、2015年のインタビューで、「私たちがルールを作らなければ、中国がその地域でルールを作るだろう」 と述べ、TPPを実施しなければ、中国のような国々が地域における貿易ルールを策定し、アメリカの利益が損なわれる可能性がある旨のべている[1]。 また、同年、アシュトン・カーター国防長官(当時)は、「TPPの締結は新たな空母の配備と同等の重要性を持ち、アジア太平洋地域におけるアメリカの持続的な関与を強化する」とし、その戦略的意義を強調している[2]。
(3)しかしながら、このようにして交渉が成立したTPPから第一次トランプ政権は脱退を表明する。選挙キャンペーン中からTPP脱退は主要公約の一つであり、トランプ大統領はすぐにその公約を実行したのであるが、その背景にあったのは保護主義的なマルチの国際貿易システムがアメリカの雇用を奪い不利を押し付けるとする「アメリカ第一主義」であった。しかし、その実、当時の民主党大統領候補であったヒラリー・クリントンも初めの頃こそTPP支持を表明していたが、その後の国内事情から不支持へと態度を変更している。これは、国内で自由貿易への懸念や反グローバリズムの気運が高まり、特に中西部の製造業地域の有権者から反TPPの声が強くなったこと、党内の競合者のバーニー・サンダースが反TPPの急先鋒として支持を伸ばしたためその支持層を取り込む必要があったことから、TPP擁護の立場は選挙戦で著しく不利となると考えられたことが大きく影響したものと思われる[3]。振り返ってみれば、このTPPを巡るアメリカ国内情勢は今日の反自由貿易主義の端緒であった。
(4)このような状況にもかかわらず、日本は他のTPP参加国との間でアメリカ関連部分の医薬品データ保護期間の延長など22項目を凍結し、将来のアメリカ復帰時に再協議できる措置を講じた上で2018年3月に新たにCPTPPを発足させた。当時日本はTPPのグローバルな戦略的意義を理解しており、いずれアメリカはTPPに復帰してくるものと考え、TPPの保存措置をとったのである[4]。これによりCPTPPは加盟6カ国の国内批准を経て正式発効することとなり、2018年12月に発効した(6番目はオーストラリア)。その後、英国が参加し、CPTPPは曲がりなりにもアジア太平洋と欧州を結ぶものとなった。
トランプ・インパクトと欧州の接近
(1) トランプ大統領の全方位高関税政策の宣明は国際的に大きな衝撃を産んだ。特にロシアのウクライナ侵略に対応して欧州各国が軍事支援を進める中、トランプ政権が逆に安全保障面で欧州・ウクライナを突き放すような姿勢を見せたこと、また同盟国であるにもかかわらず欧州各国にも敵対的と見える高関税を課したことは、欧州を困惑させ、苛立たせた。
(2) しかし、欧州は反発しつつも冷静に対応したように見える[5]。安全保障面で自助努力を拡充し、トランプ関税にはしたたかな交渉で応じた。同時に日本を中心としたアジア太平洋の自由貿易圏(CPTPP)とも積極的に連携を探る動きにも出た。報道によると発端はCPTPP加入文書寄託国のニュージーランドからEUへのアプローチだったようである[6]。EUのフォンデアライエン委員長はシンガポールのウォン首相との電話会談でEUとCPTPPの「より緊密な連携の可能性」について強い興味を示したとされる[7]。日本においても、国会答弁で石破総理が本年4月の党首討論会において、立憲民主党の野田党首が、自由貿易体制を拡大するために、日本が環太平洋経済連携協定(TPP)と欧州連合(EU)との連携の窓口になるべきだとの認識を示したのに対し、「認識は一緒だ」「EUと日本が自由貿易の観点から連携する意義は極めて大きい」旨述べている[8]。
(3) このように今日では寧ろTPPとTTIP を破棄したトランプ大統領の高関税政策の結果、逆説的にもCPTPPはアジア太平洋と欧州とを結びつけ世界の自由貿易を守る場として関心が寄せられるに至ったのである。今後この動きがどのように発展していくのか注目される。仮にEUとCPTPPが統合した場合、世界貿易のおよそ3割を占めるハイレベルの巨大自由貿易経済圏が創出され、トランプ・インパクトに対抗し自由貿易を守る大きな動きとなる。日本は既に2019年にEUとの間で経済連携協定を成立させており、日本にとっても望ましい動きである。しかし、EUとCPTPPの統合には、農業と食品安全、データ保護などをはじめとしてさまざまな乗り越えるべき課題があることもまた事実である[9]。他方、EUとの統合が実現すれば遠からずアメリカにとって復帰への誘因となるかもしれない。なお、今後のCPTPP拡大の可能性については、台湾、中国のほかエクアドル、コスタリカ、ウルグアイ、更にはウクライナが正式に加盟申請している。
台湾参加の戦略的意義
(1) 2024年11月28日に議長国カナダのもとで行われた第8回環太平洋経済連携協定(TPP)委員会で、台湾の加入を審査する作業部会の設置が議論されたが、結局合意に至らなかった[10]。台湾は2021年9月22日にCPTPP加盟を正式に申請した。正式申請にあたり、台湾はCPTPPメンバー国に対する事前の入念な聞き取りに基づき、①一切の留保なくCPTPPルールを100%受け入れる旨の表明を政権トップすなわち蔡英文総統が行なったこと、②CPTPPルールに完全に準拠した国内法制整備の2点を確実に実施してきた。
(2)中国は台湾の申請に先立つ1週間前(2021年9月16日)に急遽CPTPPへの正式参加申請を行った。これは台湾の申請の動きを事前に察知し、台湾の加盟を阻止し、アメリカが将来加入すれば自身の加入が困難になることを見越して行なったものとみられる[11]。
しかし、CPTPP参加に向けての真摯さにおいて中国と台湾の対応は天と地の違いがあったことは否定できない。台湾は全面的にCPTPPのルールを尊重する姿勢を示し、既にできる限りの努力を行い、万全の準備の上に、正式申請を行なったのであるが、中国は申請をするだけしたものの、CPTPP基準に従おうとする真摯な努力を行なっていない。習近平主席がCPTPPルールの全面的遵守を表明したこともなければ、国内法制をCPTPP基準で整備したこともない。(例えば電子商取引などは対応できていない。)国有企業の優遇や知的財産の保護などを巡っても、中国は既に加盟した世界貿易機関(WTO)のルールすら順守していない。中国はWTO参加以降国際自由貿易体制にいわば「ただのり」し、WTO参加時に約束したルールを履行せず、GDP世界第2位にもかかわらず、「開発途上国」の特権を放棄していないとの批判を受けている。中国はCPTPPへの参加申請に際して、厳格なCPTPP基準の緩和すら求めている[12]。社会主義国のベトナムもまたTPPに参加にあたり、例外なく国有企業に規律を課し、「結社の自由」を認めて労働者を保護するなどの条件をのんだ。社会主義国のベトナムにとっては苦しい選択であったがそれでも条件を呑んだ[13]。ハイスタンダードなCPTPPルールが国際社会全体で尊重されるべきとの立場がCPTPPの出発点であったからである。初めからルールの緩和を求める中国の態度は結局CPTPPの高水準のルールを損ねようとするものであり、その参加資格を疑わせるに十分である。CPTPPの実効性を保っていくためには、中国の加入の問題はやはりアメリカの加入が実現した後で議論されていくべきであろう。バイデン政権時代のオブライエン元米大統領補佐官は「TPPは中国への対抗軸をつくるうえで原則としてはとても良い考えだと思う」旨を述べるとともに「米国の参加については、他国だけでなく米国の労働者や家計への恩恵も担保しなければならない」との姿勢を示していた[14]が、アメリカのTPP構想は当初から中国への対抗軸の発想を含んでいたことが思い出される。
(3) 他方で、 台湾の参加についてはCPTPPが全会一致原則を採用しているため、中国の干渉によって相当の困難が予想される。しかし、そのような状況にあっても、日本は台湾参加の早期実現に向けて最大限の努力を行っていくべきと考える[15]。なぜならCPTPPは本来ルールを遵守するものに対して常にオープンであることが原則であり、また台湾がCPTPPに参加することが日本と台湾の合理的戦略利益に合致しているからである。
わが国の安全保障にとって台湾がいかに重要かは、これまでに多くの識者が論じてきたところである。中国が台湾の統一を狙うのは、祖国統一の願望に加え、アメリカを東アジアから駆逐し、西太平洋への自由な軍事的アクセスを獲得するという覇権戦略のためである。台湾は東シナ海、南シナ海、太平洋という3つの海の結節点に存在し、重要な交易ルートに位置している。中国は台湾への武力行使の可能性を否定しておらず、その場合、沖縄の防衛は危うくなる。台湾が失われることは、日本の国益、日米同盟の戦略的利益に根本的に反し、台湾の現状維持は戦略的要請である。
台湾内について言えば、台湾は「新南向政策」を採用し、大陸への貿易依存度を減少させることに努め(ピークであった2016年の約50%から2023年には31.5%に低下)、貿易相手の多角化を指向してきた。台湾は大陸との間で海峡両岸経済協力枠組協議(ECFA: Economic Cooperation Framework Agreement)を有するほかは、シンガポール、ニュージーランドおよびいくつかの小国(パナマ、グアテマラ、パラグアイ、エスワティニ、マーシャル諸島、ベリーズ)との間で自由貿易協定を有しているのみであり、従って、自由貿易の対象を拡大し、大陸への貿易依存を減少するCPTPPへの参加は台湾にとっても戦略的かつ死活的な要請である。CPTPPへの参加が実現した場合、資源小国・貿易立国である台湾は日々増大する大陸からの圧力の前で、その経済的なレジリエンスを高め、台湾の現状維持政策に資するものとなるであろう。また、台湾の半導体を含むハイテク・サプライチェーンはCPTPPの価値を高めるものとなる。
CPTPPは国連と異なり、独立した関税地域もメンバー資格を有し得る。「一つの中国」云々は関係ない。台湾は同様の資格でAPECのメンバーでもあるが、RCEPへの参加を求めていたにも拘らず、中国の強い反対により参加を阻まれた[16]。非メンバー国の中国が枠外からCPTPPのメンバーシップについて干渉することを許してはならない。日本はアメリカなき後CPTPPをまとめ上げた功労者であり、影響力は大きい。日本が率先して台湾の参加について各メンバー国に働きかけていくことは積極的な意義があろう。
おわりに
(1)以上述べてきたように、トランプ大統領の登場によって、逆説的にも高水準の自由貿易を標榜するCPTPPの可能性に注目が集まっており、CPTPPは経済的意義を超えて政治的意義を有するに至っている。日本はCPTPPの中核であり、その役割への国際的期待はかつてないほど高い。カート・キャンベル前国務副長官が述べているように、「日本は、CPTPPをまとめ上げた努力をこれからも続けていくことが肝心である。同じ考えを持つ国々と貿易圏を統合していくことが大切になってくる。…歴史上、これほど日本の役割が大切な局面はない」のである[17]。
(2)CPTPPの枠内において我が国は今後オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、英国などの有志国と緊密に連携していくべきであり、同時に機会をとらえて可能であれば更に欧州との連携の可能性を追求し、国際的自由貿易の枠組みを拡大・強化していくことに外交の目標を置いていくべきと思われる。
(3)さらに、覇権国家中国の台頭にわが国としてどう応じていくのかという問題も避けては通れない。中国の覇権願望は明白であり、トランプ政権はこの中国に対し厳しい姿勢で臨もうとしている。TPP構想が当初より自由貿易の担い手としての意味に加え、中国への対抗軸としての意味を有していたことを考えれば、今後、経済安全保障の議論は避けて通れないであろうし、更に一歩進んで安全保障における例えばアジア版NATOなどと絡めて議論されるようになれば、経済面ではCPTPPが中国の拡張を抑制し、安全保障面ではアジア版NATOが抑止力を提供するというような両者が相互補完的に役割を果たす構想も描かれるようになるかもしれない。
1 2015年4月27日付ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)によるインタビューや2015年10月10日のホワイトハウスの週次演説など複数の機会で表明。
2 Ash Carter “Remarks on the Next Phase of the U.S. Rebalance to the Asia-Pacific (McCain Institute, Arizona State University)”, U.S. Department of Defence, April6, 2015. “TPP as Important as Another Aircraft Carrier: US Defense Secretary”, The Diplomat, April 8, 2015.
3 2015年10月7日付Foreign Policy紙 “Hillary Clinton Comes Out Against Pacific Trade Pact”記事など。
4 アメリカのTPP離脱後も日本がCPTPPをまとめ上げた戦略的理由について、例えば石川拓司「日本はなぜ TPP11 へと向かったか ~コンストラクティビズム的アプローチによる分析~」(一橋大学社会学部卒業論文2017年)など。日本のリーダーシップを評価し、将来的なアメリカ復帰の可能性を論じるものついては、Mireya Solís, “Japan’s Critical Leadership Role on Free and Fair Trade”(2018年2月27日付Center for Strategic and International Studies (CSIS))参照。
5 例えば、メルツ独首相は「大西洋横断の関税ゼロ」を提唱(2025年5月7日付日経「独首相にメルツ氏選出」)など。
6 2025年5月3日付Newsweek日本語版「EUとTPPの連携、なぜニュージーランドが主導? その経緯と懸念される困難とは」参照。
7 2025年4月16日付日経「EU、TPPと連携検討〜トランプ関税に対抗 自由貿易維持へ協調」参照。
8 2025年4月23日付日経「党首討論、石破首相『自由貿易守る』」参照。このほか自民党要路の発言としては、2025年4月13日付日経「斎藤健・前経産相『日本はEUのTPP加盟主導を』」参照。
9 「通商戦略の再構築 – CPTPPとその先へ」(宗像直子 東京大学公共政策大学院教授)(2022年6月13日付一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ刊行)pp87-88参照。
10 2024年11月29日付フォーカス台湾「TPP委員会、台湾加入審査の作業部会設置せず 」記事参照。
11 2021年9月24日付マネックス証券マーケットレポート「中国のCPTPP加盟申請が米中対立に与える影響とは?」(坂本 正樹 丸紅経済研究所)参照。
12 Wendy Cutler “Can China Live Up to the CPTPP’s High Standards? “ (Asia Society Policy Institute, October 2021)など。カトラーは、中国がWTO加盟時に高度なルールを順守せず、貿易制度を都合よく利用した「ルールベース秩序の受益者」であった旨述べ、CPTPP加盟においても同様の懸念が存在すると指摘している。
13 2025年4月28日付日経「日中、東南アジアで『自由貿易』競争 TPPの基準維持か緩和か」記事参照。
14 2021年11月9日付日経インタビュー記事「オブライエン前米大統領補佐官インタビュー:TPP、中国への対抗軸に 米国の再加盟、労働者への恩恵も必要」参照。
15 日本が台湾のCPTPP加盟を積極的に支援し、中国の加盟を慎重に扱うべきだとする論考として、経済産業研究所(RIETI)川瀬剛志「中国・台湾のCPTPP加入申請と日本の対応——高水準なルールを維持しFTAAP形成に向かう戦略」がある。
16 2020年11月25日付Taiwan News「台灣未加入RCEP 中國:遵守一中原則為前提」記事参照。
17 2025年4月26日付日経「トランプ時代、日本の好機(カート・キャンベル前米国務副長官)」。