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第398号(2017.03.05発行)

共生の可能性を問う~東日本大震災の記録と津波の災害史~

[KEYWORDS]津波/震災被害記録/地域文化
リアス・アーク美術館学芸係長◆山内宏泰

リアス・アーク美術館常設展示『東日本大震災の記録と津波の災害史』では、津波災害を被災地域の歴史的、文化的、社会的要因によって被害規模が変化する人災的災害と認識する必要性を説いている。
「自然災害との戦い」という意識を捨て「地球環境と分け合う」生き方、防災構造物に頼らない生き方を学び、新たな価値観として定着させ、文化を進化させる方法を考えるための展示とはいかなるものか、その可能性を問う。

リアス・アーク美術館概要

宮城県沿岸部の最北、気仙沼市に所在するリアス・アーク美術館は、気仙沼市と隣接する南三陸町の1市1町が管理運営する公立美術館である。開館は1994年10月。当館では東北・北海道を一つのエリアと捉え、現代美術を中心に調査研究、年間に10本ほどの展覧会を催すとともに、同エリアの地域文化・歴史・民俗資料等を常設展示している。また2013年4月より『東日本大震災の記録と津波の災害史』常設展示を公開しており、実態としては総合博物館に近い施設である。

リアス・アーク美術館
http://rias-ark.sakura.ne.jp/2/

『東日本大震災の記録と津波の災害史』常設展示について

2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災を受け、当館学芸員は直後から約2年間、気仙沼市、南三陸町における震災被害記録調査活動を特命として行った。その目的は、①震災発生以前に当地域が築き上げてきたものの最後の姿を記録し、地域再生のために残しておくこと、②津波がどのように襲来し、どのような被害をもたらしたのか、その記録を残しておくこと、③なぜこのような事態に至ったのか、人間側の問題を明るみにすることである。当館では、これらの記録調査資料の一部を復旧、復興活動において恒久的に活用可能なよう常設展示としている。
本常設展示は、被災現場写真203点、被災物155点の記録収集資料を核とし、それら資料を補足するように、東日本大震災を考えるためのキーワードパネル、災害史資料として1896(明治29)年、1933(昭和8)年の三陸大津波に関する資料、またチリ地震津波(昭和35年)の資料、さらに、戦前、戦後の沿岸部埋め立てや開発に関する資料などを展開しており、資料総数は約600点に及ぶ。
すべての被災現場写真には、被災者でもある学芸員(撮影者)がコメントを添え、被災現場を目の当たりにした者の生の声を主観も交えて伝えている。また、被災現場から収集した被災物は、単なる壊れた物体としてではなく、人々の記憶の象徴として展示している。
津波被災現場に残された被災物は、不要なゴミ=ガレキではなく、被災者の家、家財であり、生活の記憶、人生の記憶、被災地域の文化的記憶を宿す大切なモノである。当館では、収集被災物から一般所有率の高い日用品などを選択し、観覧者に相似の記憶が想定される普遍性の高いエピソードを創作、補助資料として添えている。このエピソードは、被災者の証言および被災物の収集場所から導き出される地域性、時代性、民俗性などを基礎とし、被災によって失われた地域の日常がイメージされる物語としている。この試みは、観覧者がエピソードを契機に想像力を働かせ、自分にとって掛け替えのないものや記憶を失う、という主観的知識の相似性を見出せるようにすることを目的とするものである。
災害関連記録資料展示における最重要テーマは、「人を動かすこと、未来に活かされること」である。誰の身にも等しく降りかかる災害を他人事と捉えず、当事者性を認識して向き合い、想像力と危機意識をもって未来への備えをして頂けるよう、当館では他の博物館展示には前例のない主観的感覚の分有、共有を重視する手法を用いて展示している。

『東日本大震災の記録と津波の災害史』常設展示会場被災現場写真:2011.3.13気仙沼市魚市場前の状況被災物:炊飯器

地域文化と災害の関係

当館では津波災害を不可抗力の災害と捉えず、地域内部の歴史的、文化的、社会的要因によって被害規模が変化する人災的災害と認識する必要性を説いている。
東日本大震災発生直後から人々は「想定外」「未曾有」という言葉を口にしたが、過去の津波災害を例とすれば、大津波襲来は想定されているべきだった。そして、過去に同様の例が複数ある以上、未曾有という表現も不適切である。三陸地方太平洋沿岸部では、近世以降、平均で約40年毎に大津波災害が発生し、その都度甚大な被害を出してきたのである。
2011年、気仙沼市内で壊滅的津波浸水被害を受けた地区の多くは戦後の埋立地であり、高度経済成長期の開発と前後するように造られてきた街である。防潮堤に囲まれたその場に暮らす地域住民の多くは過去の大津波を知らず、防災構造物に守られているという誤認もあって、自らが被災者となる可能性を認識できていなかった。当地では大津波襲来を前提とする地域文化は育っておらず、その結果、被害規模の拡大、長期化を招いてしまった。

地球環境との共生・津波との共生を考える

私たち人間は科学技術によって自然環境をコントロールしようと試み、その過程で大きなダメージを自然環境に与え続けてきた。防災構造物の建設もその一例と言える。
東日本大震災の津波被災によって私たちは多くのものを失った。しかしその一方で、私たちは自然との関係性を見直し、地球環境の一員として生きなければならないとの教訓を得た。異常な自然現象である地震や津波も、私たちを生かす自然の一部であり、共生のイメージを持って付き合っていかなければならない〝環境″なのである。
私たちは過去を変えることができない。しかし新たな価値観を構築し、地域文化を進化させれば未来を変えることは可能である。私たちは「自然災害との戦い」という意識を捨て「地球環境と分け合う」生き方、防災構造物に頼らない生き方を学び、新たな価値観として定着させ、文化を進化させる方法を考えなければならない。しかし、その教訓と課題は、現在の震災復旧、復興事業に大きく反映されてはいない。被災した沿岸部には震災復興事業の名のもとに巨大な構造物が再び建設され、新たな自然破壊、環境破壊が進行しつつある。
津波と戦う必要のないまちを創ること、津波と共生する文化を築き上げること、それは東日本大震災を様々な立場で経験した私たちが自覚するべき「未来への責任」である。地震、津波の発生を阻止することは不可能だが、人間が自らの生き方を変えることは不可能ではない。私たちは変わることができる。(了)

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