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公益法人改革・私はこう考える ~議論の中間整理を受けて~

改めて繰り返すまでもないが、現行公益法人制度の最大の問題点は、法人設立に当たっての許可主義、それに伴う主務官庁制度と、その主務官庁による馬鹿々々しい(としか言いようがない)指導監督制度である。

いま1つの欠陥である、非営利ではあるが公益に関するものではない法人が法人化の途を失っていた状態は、中間法人法の成立により一応の解決をみた。この法律の制定過程とその結論について、幾つか重大な問題点が存在しているのは事実である。しかし、立法的に民法34条の欠陥が補正されたことは確かであり、その結果、心ある人々によってその不当さが以前から指摘され続けてきた「許可主義」が最大の制度的欠陥として残存することとなった。

これを受けて、平成15年6月の閣議決定は準則主義による非営利法人設立の方針をはっきりと謳う。それは当然に非営利法人のカバナンスの回復、つまり主務官庁による指導監督体制の廃絶を意味し、斯くして新たなる非営利法人制度に向けて順調な船出は約束されたかに見えた。

ところが船出どころか、状況はいささか渾沌としてきたかの如くである。その理由の主なるものは、従来公益法人が受けていた税制上の優遇措置と関連がある、といのが大方の観測である。新たな非営利法人の税制上の扱いや如何に、という訳だ。

ある法人制度・法人類型をどう制定するかという話と、その法人類型に対する税制上の取り扱いをどうするか、というのは本来全く別な話である。

ところが、(A)「税制上の特別な取り扱いを当然に享受するような」法人類型を作りたい、作るべきだ、という主張があるから話が込み入ってくる。

そして(B)その「特別な取り扱いを受けるような」法人とは「公益性」(社会貢献性とかいろいろなコトバが用いられた経緯があるが、要するに特別な扱いを受けるに相応しいと人々が認めるような組織特性)を持つべきだとされる。すぐ気がつくように、この(A)と(B)は同義語反復(tautology)であり、この議論は(A’)税法にどんな要件をどう定めるか、に尽きることにならざるを得ない*。

そうではない、それは順序が逆で、(C)本来「公益性」を具備した法人類型というものが(様々な理由から、つまり税金だけの理由ではなく)存在すべきで、税の取り扱いの話などというのは後から当然についてくる話に過ぎない、という議論が現れる。

どの議論を採るにせよ、次なる問題は(D)一体ある法人が「そういう」性格を具備しているかどうかを誰がどう判断するのか、ということにならざるを得ないのは明らかだろう。

これに法人設立の話がからむからさらにややこしくなる。つまり、(1)法人設立の時に「そういう」性格を具備しているかどうかを判断する。したがって具備していなければそういう性格を具備した法人としては設立を認めない、ということにするのか、それとも(2)法人は法人として一旦設立した後に「そういう」性格を具備した活動をしているかどうか業績を眺めて、改めてそれを認定することにするのか、二者択一になる。(2)の場合に、改めて認定された法人が、設立時の法人とカテゴリーとして同じ法人のままなのか、別のものになるのか、という議論もある。これを先の準則主義となんとか調和させようという試みが例の一階・二階の議論であったのは人も知る通り。それとても(D)の議論が避けられないのもこれまた人の知る通りである。

今回の「中間整理」はこれら諸点について一定の整理を試みるであろうことが予想された。ただし、(A’)と(C)は基本的に相容れないところがあるから有識者会議の性格上、両論並記にならざるを得ないのではないか。(D)については(A’)の場合は自明であるが、そうでない場合には、これまでの主務官庁に類似した行政による裁量、あるいは第三者機関新設の二者択一になるだろう、という辺りは前回懇談会での議論の落ち着きどころでもあり、大方の予想するところであった。そして、今回の整理はその予想を上回るものでも、下回るものでもなかった、というのが真相である。

もちろん公益法人制度の問題点はこれに尽きるものではなく、「中間整理」の中にも指摘されているように、それ以外にも幾つかの論点が存在する。ただ、軽重について語るならば、最も基本的な問題点である準則主義による非営利法人制度の確立は既に閣議了解で確認されている以上、それと表裏一体の関係にある「指導監督制度」の廃絶については、最重要事項として明確な表現で「中間整理」が述べることが期待されていた。ところが、読みようによってはこれまでの指導監督基準が妥当なものであるかの如き印象を与える表現があったり、今後ともに類似の制度を温存するのが望ましいと受け取られかねない部分が見られるのには、大いに危惧の念を抱かざるを得ない。きれいごとのガバナンス議論だけでは仏に魂が入らない。総論賛成各論反対で事実上もとの木阿弥、というのが抵抗勢力の常套手段であるのは誰でも知っているからである。

さて、私見によれば税金の話というのは、本筋は本来事業(財団の金融収益も含む)非課税と寄付税制であって、収益事業の軽減税率はもともと主戦場ではあり得ない。であるならば、ことは残余財産配分の禁止とワンセットになるのはほとんど必然的である。法人制度の話と本来は別の話であるべき税金の話を横目で見ながら議論をするのなら、この点だけは必須の条件として制度の中に埋め込むべきであろう。

先の指導監督の話といい、残余財産といい、メリハリを利かせるべきポイントがないままに平板な論点の列挙(結論は検討)に終わっているのは、これまた有識者会議の性格上やむを得ないのか、とりまとめた事務局の意向によるのか、はたまたメンバーにその意識がなかったのか、あるいはそれ以外の理由によるのかは詳らかにしない。ただ、基本的な問題点以外のところでは、細部にわたってなかなかよく勉強された議論であるだけに、余計この点に不満が残った。

願わくば「税金をまけるからには口も出すぞ」とばかり、新たな仮面を纏った「指導監督」が復活する、という悪夢が単なる杞憂でありますように。そして小の虫のために大の虫が死んだりしませんように。

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