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レポート・エッセイ

緊急レポート 同時多発テロのニューヨークから
米国炭疽菌騒動記─日常生活レベルで広がる不安

  • フォード財団 プロジェクト・ディレクター
    茶野順子

いまなお不安と緊張が続くニューヨーク

10月13日土曜日、ニュージャージー州はまるで夏が戻ってきたかのような良い天気に恵まれました。その日は娘の通学する高校の女子サッカーチーム有志が、お揃いのジャージーを購入する資金稼ぎのために洗車のアルバイトをする日でした。地元で昔から親しまれている荒物屋さんの駐車場の一角に陣取った総勢15人ほどの女の子達は、スポンジを手に手に、洗車にやってきた車をわっととり囲んで洗剤を塗りたくっています。手伝い兼監督のために駆り出された父兄は水洗い用のホースを片手に、洗車がすむのを待っているお客さんとのんびり世間話をしています。「車洗います」と書いたポスターを手にした女の子が車道に飛び出さんばかりにピョンピョンはねて、道を行く車の気をひこうとしています。半そでシャツでちょうどよいほど気温があがった土曜の午後、それでも日差しの強さは真夏ほどではなくとても穏やかです。
ここはなんと平和なのだろう、平和であるということはなんて心地よいのだろう。私は今更のようにニューヨークに通勤する毎日が不安と緊張に裏打ちされたものであることを思い知りました。

「大丈夫、心配は無用です」とはフォード財団スーザン・ベレスフォード理事長の10月1日に開かれた職員定例ミーティングでの第一声でした。株式市場の下落や経済の急速な低迷にどこの財団でも基本財産の目減りが懸念されていたところでしたが、ベレスフォード理事長は、「本年10月から始まるこれから2年間の事業予算は、9月11日以前に計画した通りのままで理事会に承認されました。これまでと同様仕事に励んでください」と職員に伝えました。
いつのまにかオフィスには、以前と同様にミーティングやペーパーの読み書きで追われる日々が戻ってきました。街もだんだん落ち着きを取り戻しつつあるように思えます。それでも、ニューヨークの人々はまたあのようなテロ事件が突発的に起こるかもしれない、そのとき自分や家族が巻き添えにならないとは限らない、と心のどこかで身構えているようなことろがあります。 ニュージャージー州からニューヨークに通勤する私も、身動きの取りやすい服装を選び、子供たちにきちんと声をかけてから家を出るようになりました。通勤電車に乗りこむのにもちょっとした覚悟がいり、電車がトンネルを無事通過する度にほっとしたり、いつもと違う時間帯の電車に乗る際には、いつもより遅れて仕事に行ったためワールドトレードセンターの事件に巻き込まれずに助かった人の話がふと頭の中をよぎったりします。また、撤収作業に一年はかかるのではないか、といわれているワールドセンター跡地の近くに住んでいる私の上司は、その日の風向きや天候の加減によっていまだにほこりやにおいがひどいときがあり、そのたびに気が沈んでしまう、といっていました。
相変わらず街のあちらこちらには警官が周囲を警戒する姿がみられます。特に10月7日にアフガニスタンでの攻撃が始まってからは、ペン・ステーション(マンハッタンと郊外を結ぶ電車の駅)では迷彩服の警備隊がいたるところに配置され、駅の出入り口も限られるようになりました。このようなニューヨークの重苦しい雰囲気に比べ、ニュージャージー州プリンストンに近いこの小さな町はなんといまだに、いとも簡単に健康的であることか。女の子達の笑い声を耳にしながら、こののどかさがいつまでも続くように、と願わずにいられませんでした。


30キロしか離れていない炭疽菌で汚染された郵便局

金額にして350ドル、なんと70台もの客があったと意気揚揚、洗剤と水と泥とでぐしょぐしょになった娘と家に戻った私を待っていたのは、日本でいち早くニュースを耳にして電話をかけてきた家族からの伝言でした。
NBC に送られた炭疽菌の入った手紙はトレントンの消印! ついさっきまでのほのぼのとした光景が私の心の中で砕け散り、いいようのない怒りと当惑感を伴った恐怖がこみ上げてきました。トレントン本局は実際にはトレントン市に隣接するハミルトン市にあり、家からの距離にして30キロほど離れたところにあります。同局はニュージャージー州中部の46支局の郵便物を集配しているので、我が家で受け取る郵便物も同じ市内からものを除いては全てトレントン本局を経由してくることになります。また、この付近一帯はジョンソン・エンド・ジョンソン、ブリストルマイヤー、バスフ等を初めとした多くの化学薬品会社の工場、研究所が集まっている地域であり、生物化学兵器を作るために必要な専門知識と設備には恐らくは事を欠かないであろう事も不気味な事実です。

この日を境にアメリカは刻々と状況が変わる炭疽菌騒ぎに翻弄されることとなります。そのときまでにすでにフロリダの男性1名が肺炭疽により死亡し、ニューヨークではNBCに送られた不審な封書から炭疽菌が発見されていました。翌週には上院のマジョリティリーダーであるダシェル議員及びニューヨークポストに宛てた手紙の中からも炭疽菌の入ったものが確認されました。これらの手紙もトレントンの消印であったため、ハミルトンは炭疽菌テロの震源地というレッテルを貼られることになりました。
生物化学兵器による攻撃については、9月11日以降いろいろなところで議論がなされ、政府としてもできる限りの準備に努めていたはずでしたが、今回は郵政事業という公共サービスがその媒体として使われたことが予想外の混乱を招くことになりました。
中でも10月9日消印のダシェル議員宛ての書簡に入っていた炭疽菌は、9月18日にNBCとニューヨークポストに送られたものよりはるかに精度の高い微粒子状のもので、十分生物化学兵器になりうるという検査結果が出ていたにもかかわらず、国立疫病研究所は、しっかり封の閉じられた書簡から炭疽菌がもれることはない、との見解を出しました。そのため、郵便局と郵便局員を対象にした検査は当初行われず、炭疽菌感染者の発見が遅れたほか、犯人捜査も右往左往することになりました。特にワシントンDCに送られた郵便物を全て取り扱うブレントウッズ中央局の郵便局員2名が、肺炭疽で10月21日と22日に相次いで亡くなるという悲劇が起こったことには、アメリカ中がショックを受けました。
先に皮膚炭疽感染者の出たNBCで記者会見を行い、「ここは安全。そうでなければこんなところで記者会見などしない」と胸をはり、市民の不必要な動揺を防ごうと努めたニューヨークのジュリアーニ市長と同様に、ワシントンDCのウイリアムズ市長もブレントウッズ局で記者会見を行い、郵便局が安全であることを強調し、通常通り機能することを約束した矢先の出来事でした。 結局、市長ばかりか、安全性を強調するために駆り出された市長の81歳の実母、記者会見に居合わせた新聞記者たちも、郵便局員ともども抗生物質を摂取するはめになりました。逆に、ハミルトン市のギルモア市長は、郵便局関係者が検査費用の負担についてもめている間に、いち早くトレントン本局の職員全員に無料で抗生物質を配る決断を下し、市民から評価されました。 ジュリアーニ市長とウイリアムズ市長が国立疫病予防研究所の判断にしたがって安全性を説いたの対し、ギルモア市長はその時点で考えうる最大限の安全性を図ることを重視した行動を取ったといえます。その後国立疫病予防研究所は、間違いを認めながらも、封筒から菌がもれないというのがその時点で出しうる最高の判断であった、との声明を出し、また米国でこの前に肺炭疽患者がでたのははるか昔のことだ、と弁明ともつかないことを付け加えました。
FBIは、ニュージャージー州で初めに皮膚炭疽にかかったのが、トレントン本局から少し離れたウエストトレントン局に勤める郵便配達員であったという事実から、同配達員の受持ち区域から炭疽菌の入った郵便物が投函されたとの仮説を立て、その区域の郵便ポストを徹底的に調べ尽くし、民家を1軒1軒尋問して廻りました。結局ウエストトレントン局からは炭疽菌が全く検出されなかったことから、同職員はトレントン本局からウエストトレントン支局に廻ってきた郵便物袋から感染したものとの結論が出され、捜査も振り出しに戻りました。
その後FBIは、2軒のアパートを相次いで家宅捜索し、何人かの身柄を拘束しました。そのうちの1人は、9月12日にテキサスでカッターナイフと5,000ドルの現金を持っていたとして同時テロの重要参考人として拘留されている、以前にトレントンのアムトラック駅構内の新聞売り場で働いていたパキスタン人2名と関係のある人物だという事です。


郵便物の留め置きで経済活動にも影響が出た

トレントン本局が閉鎖された後も、郵便局員は敷地内の駐車場に設けられた仮設テントで全国各地から送られてきた郵便の仕分けをし、管轄内の支局への配送を続けました。全米では一日に配達される郵便物は6億8千万通にのぼり、そのうちの43%が、いわゆるジャンクメールと呼ばれる広告、勧誘等のものであるといわれています。ただし、アメリカでは、企業から一般家庭に至るまで、小切手で支払うことが一般的で、小切手を郵送する手段として郵便事業は米国の経済活動にも大きな役割を果たしています。閉鎖された本局には50万通ほどの郵便物が留め置かれたため、付近の中小企業の中には、資金繰りに困ったところもあると地元紙は報じていました。
これらの郵便物は、除菌作業をし、さらに炭疽菌の有無を検査したうえで、11月に入ってようやく配達されることになりました。
本年度の郵政事業の赤字は、この炭疽菌騒動が持ちあがる以前ですら、近年最悪の16億5千万ドルに達するといわれていました。それに加えて、9月11日の同時多発テロによる郵便物の一時的な落ち込み等で、さらに3億ドルの損害があったといわれています。今回の炭疽菌騒動に関わる被害は相当な額にのぼる一方、郵便物を処理する過程で除菌ができるような機械の導入が検討されるなど、今回の炭疽菌騒動が郵政事業に与えた影響は計り知れません。

国立疫病予防研究所は、他の郵便物が集配作業の過程で汚染される確率は非常に少ないと強調しながら、念のために郵便物を取り扱った後は石鹸で手を洗うようにという注意を繰り返しました。
もっとも住民たちは早々と予防措置を講じていました。抗生物質については、医師の処方箋が必要であるし、炭疽菌に感染した恐れのある人々には抗生物質が配られるため、何としてでも手にいれようとする人は見かけなかったように思います。
そのかわり、郵便物の受け取りについては、手を洗うぐらいでは生ぬるいと、ゴム手袋をはめて家の前のドライブウェイで郵便物を仕分けし、必要なものを除いてはその場でごみ箱に捨てたり、封筒を取り除いて中身だけ家に入れたりしている人が少なくありません。用心深い隣人の一人は、郵便仕分け用の特別服を用意し、ガレージでその服を着こんでから医療用のマスクに手袋といういでたちで郵便を受け取っています。また、風邪の症状と生物化学兵器による症状とを見分けやすくするため、インフルエンザの予防接種を受ける人も増えています。
結局、ハミルトン市の住民が10月18日の時点で皮膚炭疽にかかっており、11月2日にはその人の勤務先の郵便受けから炭疽菌が発見されました。住民達が案じた通り、私たちの受け取る郵便物がすでに炭疽菌に汚染されていた可能性があることが判明しました。

ニュージャージーで初めに皮膚感染を起こした郵便配達員の配達区域に住む人々は、テロリストが付近にいるかもしれないという可能性におびえつつも、「時々立ち話をするだけで、Teriという愛称だけしか知らないけれど」
「いつもほがらかなあの人が」
と異句同音に顔なじみの郵便配達員の容態を気遣ったといわれています。この付近でも、わざわざ家から外に出て、郵便配達員に労いの言葉をかける人々が増えているようです。


例年のにぎやかさを欠いた今年のハロウィーン

50代の女性という、皮膚炭疽にかかったウエストトレントンの郵便配達員の年恰好で思いだしたのは、8年前の今ごろ、私たち一家がアメリカに来て初めて知り合ったフィラデルフィアの郵便配達員の女性でした。夫婦して30代半ばにして突如大学院生活を始めた私たちは、勉強に追われ、ハロウィーンの季節が来ても子供たちを学校の仮装行列に参加させるだけで精一杯でした。ハロウィーン当夜に子供と一緒に近所を廻り歩くことなど思いもつかず、誰からもキャンディをもらう機会がなかった子供たちが唯一お菓子にありついたのは、郵便配達の女性のお陰でした。彼女は、子供のいる家庭の郵便受けに、お菓子を入れた袋を配っていたのでした。いつも郵便物のぎっしりつまったかばんを重そうに肩から下げて歩いている姿を見かけていた私は、あのかばんに加えてお菓子まで運んで配ってくれた彼女に感動したのを覚えています。

あれからハロウィーンはアメリカでもっとも楽しい行事の一つとして我が家にも定着しました。例年10月半ばになると、子供たちはお友達と何の仮装をし、どの付近を廻って歩くかの作戦を練り、10月31日のハロウィーンの日を心待ちするようになりました。私は モトリック・オア・トリートモ と叫びながら家にやってくる子供たちのためにたくさんお菓子を買いこみ、その日はいつもよりオフィスを早めに出て家で待機します。子供たちが大手を振って、真っ暗闇の中を知らない家のドアをたたいてお菓子をせしめる冒険性、仮装をこらす楽しさ、大人も子供も一緒に楽しみを分かち合うことができること等、コミュニティへの信頼を基盤としたアメリカらしい行事の一つと思っていました。
それなのに、今年のハロウィーンは全く期待外れでした。炭疽菌騒動で神経質になった大人たちの大半は、子供たちを外に出さずに家でお友達を呼んでパーティをしたり、大人が同行して、よく知っている家にしか行かせませんでした。我が家の戸を叩いたのは隣近所の子供と家の子供たちの友人のみ。85人分ほど用意したお菓子はいつまでたっても減りません。外に出てみても例年のように仮装をこらした子供たちが楽しそうにわいわい言いながら近所を歩き回っている姿はどこにも見られず、黒々とした闇がまるで私たちの不安な気持ちを象徴するかのようにあるだけでした。

11月7日現在、炭疽菌感染者は総計17人(肺炭疽8名、うち4名が死亡。皮膚炭疽9名)、抗生物質の投与を受けた人の数は32,000人にものぼったとされています。炭疽菌のための検査を受けた郵便局や他の建物は300以上、中でも最も多く菌が検出されたのはダシェル議員に宛てた手紙が開封されたハート議員会館とブレントウッド中央郵便局だとされています。
それでも11月5日の地元紙の一面は、ニュージャージー州で炭疽菌の被害で閉鎖されていた4つの郵便局のうち、ウエストトレントンとプリンストンの郵便局が営業を再開する、というニュースで占められ、また州のヘルスコミッショナーは、その2局の郵便局員に対し、60日分渡されていた抗生物質の摂取を中止するよう勧告しました。
11月6日には肺炭疽で当初生存の可能性は五分五分といわれていたトレントン本局の郵便局員が無事に退院の運びとなり、記者会見で「炭疽菌恐れるに足らず」と国民を勇気付けるなど、少しづつ明るい話題も聞かれるようになっており、また、新たな感染者が出てきていないことから、一応今回の炭疽菌騒動は峠を越えた、と考えられています。
とはいうものの、犯人逮捕の目処は全くついておらず、ニューヨークで肺炭疽の犠牲になったベトナムからの移民の女性についてはその感染経路すら全くわかっていません。いつまたどこかで何かがおきないとも限りませんし、震源地はまたしてもこの付近かもしれません。

今回は発症者が出ることなしには感知できない生物化学テロの恐ろしさを身に沁みて感じるとともに、情報が不確かなもとでの行動のしかたの難しさを痛感しました。今回、不幸にして犠牲になった方々が身をもって示してくれた教訓をきちんと情報として整理し、今後の生物化学兵器対策の一助とすることが、彼らに報いる最大の手だてではないかと考えます。

(茶野順子氏は、91年にSPFに入団、98年より米国フォード財団に出向中である。)

※このレポートは個人の意見であり、必ずしもSPFのそれを代表するものではありません。

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