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オーシャンニューズレター

第94号(2004.07.05発行)

第94号(2004.07.05 発行)

古座川プロジェクト -森里海連環学の創成と研究成果の社会還元に向けて-

京都大学フィールド科学教育研究センター瀬戸臨海実験所◆白山義久

古座川は和歌山県熊野地方を流れる清流だが、治水と発電を目的とする七川ダムがあり、その影響は河川のみならず河口域でも、平時もまた豪雨時も少なくない。京都大学フィールド科学教育研究センターでは、詳細なデータに基づいて、この人工構造物が、森里海の自然環境の連環に与える影響を明らかにしようとしている。

1.森里海連環学創成の必要性

海洋生態系と陸上生態系との密接な連環に関する社会的な関心が近年高まって来ている。沿岸の環境には、陸上の環境の変化のすべてを積分した形で影響が及ぶので、特に海洋サイドからの関心が高く、例えば漁民の方々が植林を積極的に行ったりしていることは象徴的である。しかし、森林と海洋との河川を通した連環は科学的には十分明らかになっているとは言えない。例えば、秋に大量に河川を遡上する鮭が、亜寒帯地方の森林生態系の物質循環にとって極めて重要な役割を果たしていることは容易に想像できるが、鮭の孵化事業によって、ほとんどすべての遡上する個体を下流域で採卵用に捕獲するわが国の場合、その事業が森林にどのような影響を与えているかについて定量的に議論した資料は筆者の知るかぎり、公表されていない。中緯度地域では、鮎や鰻が鮭と同じような役割を担っている可能性がある。

このような状況の中で京都大学では、地球環境問題の研究を推進する3本柱のひとつとして、平成15年度にフィールド科学教育研究センターを設立したが、本センターでは、上記のような森林生態系と沿岸海洋生態系との河川を通した密接な関連を、里域(または都市部)における人的な影響も考慮に入れつつ明らかにすることを目指した「森里海の連環学」の創成に正面から取り組もうとしている。

2.ダムと森里海の連環

治水ダムは、水害の防止としての社会的役割を果たしてきたが、逆に河川の水量の減少とそれに伴う水質の変化は河川周辺の生態系に負の影響を与えていると言われる。また豪雨時に行われる放水は、水量の急速な増加と、それに伴う大幅な水質の変化を引き起こす。このような、平時および非常時の河川環境の人工的な改変は、その河口域の海洋環境に深刻な影響を及ぼしていると考えられる。しかしダムの功罪について、森里海連環学のような地域生態系をすべて考慮に入れた総合的見地から評価した研究例はない。

3.研究モデルとしての古座川水系

古座川は、紀伊半島の南東部、いわゆる熊野を流れる河川で、本流と小川という支流を持つ。世界遺産に登録されようという豊かな自然が残されている地域であるが、本流には七川ダムという治水と発電を主たる目的としたダムが設置されている。古座川の集水域はしばしば台風などによる集中豪雨に見舞われるため、このダムの治水機能は重要だが、ダム施設を守るための放流が原因となって、下流域、特に河口域の海側の生態系に重大な影響を及ぼした事例が過去に複数あり、地元住民から問題視されている。そのため、ダムの功罪を議論する社会的要請がある。また森里海連環学の研究フィールドという視点からは、他のほとんどの河川では、流域面積が膨大すぎたり、関連する事象が多岐にわたっていたりして、科学的に扱うことが不可能な場合がほとんどであるが、古座川水系は規模が適切でかつ対照河川として小川があるため問題設定が容易である。

さらに、森林研究の拠点として古座川の源流域には北海道大学の演習林があり、河口域の近傍には京都大学フィールド科学教育研究センターの紀伊大島実験所ならびに瀬戸臨海実験所が位置しているといった、研究のための基礎的な設備が整っており、森林と海域生態系との里域を通した関わりを研究するための理想的な条件を備えている極めて稀なケースとなっている。これらの理由から、フィールド科学教育研究センターでは古座川水系を森林域から海側の河口域まで包括的に研究し、治水ダムの位置づけと今後の森林域、里域、および河口域という流域のすべての要素を総合的に管理するための提言を行うための研究をするモデルフィールドとして選定した。

4.ことなる水質-予備調査結果

写真1)古座川本流と小川の合流点を小川から見たところ。水の色の違いが明瞭にわかる。
写真2)古座川本流の水と小川の水を漉過したものの比較。左が小川、右が古座川のもの。

当センターではまず手始めにダムの影響を明らかにすべく、古座川本流と小川との水質の比較を行った。目視観測を行っただけでも、古座川本流の流水はひどく白濁しており、懸濁物がおおい。一方小川の方は、まさに清流であり、両者の水が出会う合流点付近では、その差は歴然としており、何らかのダムの影響があるのではないかと思われる(写真1)。また実際に試水を採取し漉過してみると、小川の水にはほとんど漉紙にとらえられるものが含まれていないのに対し、本流の水を漉過すると大量の物質が捉えられる(写真2)。この物質の正体を明らかにすることが、今後の重要な研究課題だと言える。さらに、河川水の化学的性質も異なり、小川の水がpH6.8前後とやや酸性なのに対し、古座川の水は7.1とわずかにアルカリ性であることがわかってきた。住民の聞き取り調査によれば、濁りにはさらに色々な種類が判別可能であり、飲物のお茶を連想させる緑色の濁りで、豪雨の後で、小川および本流の上流部で観察されるものを「茶濁り」と地元では古くから呼び、その他にも「渋濁り」と名付けられた少雨時に一時的に現れる、林床などからの浸出物または樹幹落流水起源であろうと考えられるものや、「笹濁り」という天候回復時に現れる薄い鶯色の水などもある。また法面(のりめん)※1崩壊に由来する茶色の濁りや、3-5月の代掻き(しろかき)※2時期に水田の水尻から流れ込む粘土質に由来する濁りなど、人工的なものも複数種あることが明らかになって来つつある。

5.プロジェクトの今後

古座川流域では地元自治体ならびに住民も、七川ダムの河川管理と環境影響に対しては関心が高く、先日実施した研究内容の説明会においても、多数の古座川町民の方が出席してくださった。これらのことから、京都大学フィールド科学教育研究センターでは、古座川プロジェクトを森里海連環学の創成にとどまらず、ダムの存在と海洋環境との連環に関する研究として社会に研究成果を還元する研究プロジェクトのモデルとしても位置づけ、センターの中心的研究課題として推進していきたいと考えている。(了)

※1 法面=切土(きりど)や盛土(もりど)によって造られた傾斜地の斜面部分。

※2 代掻き=水田に水を引き入れ、土を砕き、ならして田植えの準備をすること。田掻き。

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