論考

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2022/04/08

核兵器保有国と非核兵器保有国との
戦争における核抑止の実態(ウクライナ戦争)

池田 徳宏
(元海上自衛隊呉地方総監(海将)/富士通システム統合研究所 安全保障研究所所長/ ハーバード大学アジアセンター シニアフェロー)

 マサチューセッツ工科大学(MIT)のBarryPosen博士は1994年に、ソ連崩壊後に非核化を進めたウクライナの防衛構想をロシア語で発表していた。これは核兵器保有国であるロシアが非核兵器保有国となるウクライナの最大の脅威であることを念頭に「非核兵器保有国における核兵器保有国に対する防衛構想」だった。そして、この論文は1994年当時ウクライナの非核化の是非が話題となった際に、その正当性を強調した論文としての位置づけだった。この論文が最近英訳*されてMITのSSP(Security Study Program)にて話題となった。この論文のウクライナ防衛構想と今回のロシアによるウクライナ侵攻の様相を比較することは、核の脅威に直面している非核兵器保有国日本の核戦略にも参考となることから、この論文の一部を紹介しつつ現ウクライナ情勢を分析し、日本の核戦略を考察する。

 論文の冒頭でポーゼン博士は次のように述べている。
 「私は、ウクライナは、『多層防御戦略』という軍事戦略によって、想定される脅威シナリオのほとんどに少なからず効果的に対処できると主張するつもりだ。この戦略はウクライナ全土をあらゆる脅威から実際に守ることを期待することはできないが、将来の侵略者に多大な費用と現実的なリスクをもたらす可能性がある。適切に組織化されれば、ウクライナ軍はウクライナの東半分で侵攻を遅延させるための厳しい戦いができるはずだ。
 ウクライナ軍は、ドニエプル川の西にあるウクライナの残りの半分を、非常に強力な攻撃に対して、位置的防衛(Positional Defense)を仕掛けることができるはずだ。この防衛は攻撃者に非常に高いコストを課す可能性があるが、もしウクライナ軍が現代の戦争を維持するために必要な燃料、代替兵器、弾薬を軍事援助として受け取ることができなければ、この構想は成り立たない。」

 現在の状況を28年前に的確に予測したこの論文が、非核兵器保有国家の核兵器保有国家に対する防衛構想をどのように描いているか興味深い。我が国の核戦略への提言の参考とするためポーゼン博士の論文の結論を以下に紹介し、筆者の意見を述べる。
 ウクライナに必要な対ロシア軍事戦略は①前方防御戦略②機動防御戦略③多層防御戦略の内③の多層防御戦略としている。①は大規模な国境という前方で防御する戦略だが莫大な防衛予算が必要な割には期待成果が少ない。②はロシアが限定的目標戦略を採用した場合、簡単にこれを許した後に奪還作戦を必要とするが、この成功の可能性は低い。(クリミアでは既にこれが現実になっている。)③は北のプリペット湿地とドニエプル川を砦として防御線を確立してこれにNATOはじめ西側諸国の支援を得て長期的な抵抗を可能にする戦略である。これはウクライナの外交、軍事戦略により、ロシアに対して「ロシアがウクライナに侵攻するために深刻な長期的戦略コストと大きなリスクが伴う」ことを理解させる通常抑止戦略を確立することを意味している。(現状まさにこの作戦が実行されているように思う。)
 ポーゼン博士はこの論文において、この戦略が最も信頼できるものであることを主張した上で、ウクライナの核抑止戦略は代替案として別に検討されるべきものとしている。そして通常抑止戦略と核抑止戦略の短所と長所を体系的に検討しなければならないと述べている。その上で、ウクライナが核兵器を保有していれば、確かにより多くの抑止力を持つように見えるだろうが、ロシアが限定的な戦略目標を得ようとする際には、核兵器が信頼できる抑止手段となるとは思えない。核抑止力は通常戦力よりも幾分これらの地域を保護するかもしれないが、それに引き換え戦略が失敗した場合の重大なリスクを伴うことになると結論付けている。

 この論文はウクライナに対して核保有を放棄させた際に書かれたものであり、非核兵器保有国ウクライナに対して世界の国々が経済と社会構築のために必要な援助をしていくことにより、ウクライナは通常戦力の強化のみで核兵器保有国の脅威がある中でも非核兵器保有国として防衛が可能であることを強調したものとなっている。

 さて、現状のウクライナ情勢ではロシアが核兵器の使用を戦略的メッセージとして発してはいるものの、核の使用についてはかなりハードルが高いものと見積もられる。ハーバード大学アジアセンターの研究者との意見交換では、万一ロシアが核の使用に踏み切ろうとすれば二つの兆候があるとの見解が示された。まず第1は「ロシア軍部隊の後方への撤退」そして第2は「報復攻撃に対するロシア本国の防衛体制の確立」である。現状このようなロシアの変化は見られておらず、核攻撃が実際に行われる可能性は低いとの現実的な判断もある。
 他方、核戦争が起きそうにないという実態とは別に、今回のロシアのウクライナ侵攻においてロシアの核兵器保有がどのように影響したのかについて分析しておく必要がある。
 ポーゼン博士の論文では非核兵器保有国であるウクライナがロシアの侵略を防ぐためには、今回のように多くの国民に多大な犠牲を強いて国土を守らざるを得ないという現実が強調されていない。彼の言う「多層防御戦略」ではロシア軍をドニエプル川沿いに引き込む際にドニエプル川以東に住む市民に対する関心が示されておらず、今回のロシアの侵攻では市民への多大な犠牲が明らかになった。

 ここで、ロシアのウクライナ侵攻の戦略目標が何であったのかを考え、この達成のために核兵器保有がどう機能したのか考えてみる。
 ロシアの戦略目標について、ポーゼン博士の論文では次の3つをあげている。
 ①クリミアの回復②ハリコフ、ルハンスク、ドネツクを含む州を征服③キエフを含むドニエプル川以東ウクライナ(全体の35~40%)を征服であった。筆者はこれに加えて、もう一つの戦略目標を考える必要があると思う。それは④ウクライナ等旧ソ連邦諸国に今後のNATO加盟を許さないことである。(モルドバ、ベラルーシ)
 クリミアの回復(ロシアへの併合)は2014年ロシア・クリミア・セヴァストポリの3者間で一方的に条約が結ばれ実行された。ウクライナは反論を示し、併合を無効とする国連総会決議も賛成多数で採択されているものの、クリミアのロシアへの併合は既成事実化されつつある。
 今回のロシアのウクライナ侵攻の戦略目標は②と見る向きもあるが、②から④に変更あるいは最低限④を達成という可能性もある。そうであるとすれば、ロシアの戦闘員被害は想定以上だったかもしれないが、おおむね戦略目標は達成しつつあるように見える。
 ウクライナは今後軽々にNATO加盟を発信することはできないであろうし、モルドバもそう認識するに十分な成果を得ている。またNATOにおいてもこれ以上の東への拡大は望めないであろう。
 ポーゼン博士はロシアが限定目標(例:ハリコフ、ルハンスク、ドネツクを含む州の征服)を達成しようとしていた場合にはウクライナが核兵器保有国であったとしても、核兵器が効果的な手段となるとは限らないと分析している。本当にそうなのか疑問である。
 戦争の抑止の観点から見ると抑止が効かず、ロシアの侵攻を招いたことは事実である。
 非核兵器保有国かつ非同盟国であるウクライナが多大な国民の犠牲を払って国土を守っている情勢は核兵器を持たざる国の悲哀を示している。懸命にNATOの核の傘に入ろうとした努力も実っていない。巨大な核兵器保有国ロシアの前にNATOといえども非同盟国ウクライナに対する軍事的支援に消極的になったともいえる。第3次世界大戦を回避という理由も各所で言われているが、これもロシアの核戦略に負けたように見える。
 ロシアの作戦目標を②ハリコフ、ルハンスク、ドネツクを含む州の征服と考えれば、ウクライナがその目標阻止を優位に進めているように見え、抑止が効かなかった理由は①プーチン大統領がウクライナの通常戦力による抵抗の度合いを見誤ったこと。②「統合抑止」を提唱する米国がこれに反して早い段階から軍事的関与をしないことを表明したことにより、プーチン大統領が早期目標達成を確信するという過ちを犯したこと等もあげられる。しかしながら、ロシアが戦略核と戦術核をもって核戦略を進めていると考えると、前述のように全く異なった見方もできる。

 以上から、核兵器保有大国が核戦略をもって目標達成を進めようとするとき、非核兵器保有国かつ非同盟国は非常に脆弱だということがわかる。幸いにも日本は核兵器保有大国米国との強固な同盟がある。米国の拡大核抑止の実効性の確保に引き続き努めることは言うまでもない。さらに、非核三原則をかざして思考停止することなく、実効性確保のための方法を具体的に検討するとともに、拡大核抑止が効かなかった場合の対処についても考えておかなければならない。
 もう一つの核兵器保有大国を目指す中国が、その目標達成のために核戦略を駆使することは容易に想像できる。そしてその際、今回のように第3次世界大戦を避けるとの理由等で消極的になる同盟国の戦略も想定しておかなければならない。
 非核兵器保有国となった後のウクライナの防衛構想は国民を犠牲にして国土を防衛せざるを得ないと考えられていたようにも思える。我が国は幸い島国であり、海と空が自然の防衛線となっているが、どのように国民と国土を守るのかその防衛構想を具体的に検討しておかなければならない。

* FROM THE ARCHIVES RE-PUBLICATION of “A DEFENSE CONCEPT FOR UKRAINE”
Written by Dr. Barry Posen Ford Int’l Professor of Political Science (First published November 1994)
A 1994 Defense Concept for Ukraine | 2022 | Publications | MIT Security Studies Program (SSP)

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