沖ノ鳥島 Facts & Figures

  • 2013年12月30日

 沖ノ鳥島は、1789年にイギリス船によって発見され、船長の名にちなみダーグラス・リーフと呼ばれていた。1922年と1925年に日本海軍により測量が行われ、どの国にも領有されていないことを確認したのち、1931年、沖ノ鳥島という名称で日本の領土に編入された。第二次世界大戦後、米国の施政下に置かれていましたが、1968年、日本の施政権下に復帰しました。
 沖ノ鳥島は、日本の国土面積(38万km²)を上回る40万km²の排他的経済水域を有しており、国土保全上きわめて重要な島です。沖ノ鳥島Facts&Figuresでは、この島の発見、日本の領土への編入、その後の保全措置等に関する記事を掲載しています。

インデックス
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(1)領土編入までの経緯

1789年 イギリス船が沖ノ鳥島を発見 閲覧
1922年、1925年 日本海軍による沖ノ鳥島の測量と領土確定 閲覧
1931年6月26日 7月6日 沖ノ鳥島が閣議決定を経て東京府小笠原支庁の所管となる 閲覧

(2)編入から米国による占領まで

1940年3月30日 沖ノ鳥島が町村制を施行しない島嶼に指定される 閲覧
1939~1941年  気象観測所及び灯台建設工事を実施 閲覧

(3)米軍占領から返還まで

1952年4月28日 米国の施政権下に置かれる 閲覧
1968年6月26日 小笠原諸島返還協定で沖ノ鳥島の施政権が日本に返還される 閲覧

(4)返還以降

1987年10月14日 東京都により海岸保全区域に指定 閲覧
1987~1993年 建設省よる護岸等の設置 閲覧
1999年5月28日 海岸法改正によって国による直轄管理に移行 閲覧
2004-2007 観測施設の設備拡充 閲覧
2010年6月2日 低潮線保全区域と特定離島の設定 閲覧