ペリーは長い間、小笠原諸島が通商上重要であると考え、自ら調べてこの島を蒸気船航路の停泊地として父島を推薦しようと思い、那覇諸島を訪問後に父島を訪れた。そして、ロイド港の北側に事務所や石炭置場、その他建物建設に適した場所を選択した。この時、ペリーは数匹の動物を島に放し、野菜の種子を入植者に分配した(Ref.1)。
Ref.1:Francis L. Hawks (compiled by), Narrative of the expedition of an American squadron to the China seas and Japan, performed in the years 1852, 1853, and 1854, under the command of Commodore M. C. Perry, United States Navy, Washington: A. O. P. Nicholson, 1856, p.200.
参考資料
参考1:田辺太一「小笠原島巡視」『幕末外交談』富山房, 1898,p.191-
参考2:R・D・エルドリッヂ『硫黄島と小笠原をめぐる日米関係』鹿児島:南方新社, 2008, pp. 35-40
参考3:田中弘之『幕末の小笠原』中央公論社, 1997(中公新書)p93-97
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