第13巻2号は、日中関係と海洋秩序をテーマに、台湾、尖閣諸島をめぐる問題を論じている。
【論説】は、日本政府が台湾を国家として承認した場合、その行為は1972 年日中共同声明 3 項に反するのかどうかを明らかにする『1972年日中共同声明3項の意味』、また、2023年6月に中国の全国人民代表大会で採択された対外関係法が、第2次世界大戦の終結以降の国際秩序を自国の思惑通りに修正しようという中国の法律戦の一例であることを、新法の条文の一部を検証しつつ論じている『中国の新たな対外関係法―中国独特のルールに基づく国際秩序の変革』の2本を掲載している。
【インサイト】では、尖閣石垣島航路の開始年代を14世紀中期以前と推測し、琉球貿易と尖閣航路について論じた『鎌倉時代の尖閣航路から室町時代の波照間南洋大交易へ』、また、2010年の尖閣諸島沖で海上保安庁巡視船が領海侵犯の中国漁船に体当たりされるという事件を取り上げ、日本の対応にあまりにも多くの問題があったことを、国際法の視点から指摘する『尖閣諸島沖中国漁船船長逮捕事件について』、さらに、島嶼研究ジャーナル13巻1号に掲載された論説『韓国の竹島不法占拠と新聞報道』の追補である『別表「竹島問題に関する記事一覧」』の3本を掲載した。
【島嶼問題コラム】では、『国際判例紹介(17)サイガ号事件(1977 年及び1999年国際海洋法裁判所判決)』を掲載した。サイガ号事件とは、西アフリカの国家「ギニア」のEEZ 内で、カリブ海の島嶼国「セント・ビンセント及びグレナディーン諸島」の洋上給油船サイガ号が他国漁船へ給油したことを、ギニアが国内法違反であるとして船を連行し、乗員を抑留、積荷を没収した行為について、セント・ビンセントが国際海洋法裁判所に提訴した事件である。
詳細
島嶼研究ジャーナル第13巻2号 (2024年3月31日)
日本の島嶼領土
尖閣諸島・竹島・北方領土
パンフレット
- 簡潔にまとめました
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インフォ・ライブラリーは、尖閣諸島、竹島、北方領土(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)が歴史的にも国際法的にも日本の領土であることを分かり易く紹介しています。これらの日本の島嶼領土の法的地位、地理、歴史的経緯などの正確な理解に是非お役立てください。
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尖閣諸島 Facts&Figures
2014年12月29日更新
尖閣諸島は、日本政府が現地調査を行い、無人島であるだけでなく清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で、1895年1月14日、現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行い、正式に日本の領土に編入されました。この行為は、国際法上、正当に領有権を取得するためのやり方に合致しています(先占の法理)。
尖閣諸島Facts & Figures(F&F)は、尖閣諸島に関する精確な事実関係を明らかにし、同島が歴史的にも一貫して日本の領土であることを理解するため、公文書、現地調査報告書などの「事実情報」を掲載しています。
竹島 Facts&Figures
2014年12月29日更新
竹島は、1905年1月、日本政府の閣議決定により「竹島」と命名され、「隠岐島司ノ所管」になりました。この閣議決定により、日本は竹島を領有する意思を再確認し、島根県は竹島を官有地台帳に登録しています。それ以降日本は、竹島を平穏かつ継続して実効的に支配してきました。
竹島Facts & Figures(F&F)は、竹島に関する精確な事実関係を明らかにするため、および同島が歴史的事実に照らしても、国際法上も明らかに日本固有の領土であることを理解するため、公文書や調査報告書などの「事実情報」を掲載しています。
北方領土 Facts&Figures
2014年12月29日更新
択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島からなる北方領土は、これまで一度も他国の領土となったことがない、日本固有の領土です。第二次世界大戦終了後、ソ連は、北方領土のすべてを占領し、法的根拠なしに一方的に自国領土に編入し、北方領土の居住していた全ての日本人(約1万7千人)を強制的に日本本土に引き揚げさせました。
北方領土Facts & Figuresは、北方領土に関連する歴史的経緯や地理的環境を紹介するために、国際的文書、公文書、調査報告書などの「事実情報」を掲載しています。また掲載している写真は、往時の人々の暮らしぶりを浮かび上がらせています。
小笠原諸島 Facts&Figures
2014年12月29日更新
小笠原諸島は、小笠原群島(聟島列島、父島列島、母島列島)、火山(硫黄)列島、沖ノ鳥島、南鳥島及び周辺の小島(西之島、孀婦(そうふ)岩など)で構成されます。 1876(明治9年)に、小笠原島の日本統治が各国に通知され、日本の領有権が確定しました。第二次世界大戦後、一時米国の施政権下に置かれましたが、1968年に日本の施政権下に復帰しました。
小笠原諸島Facts & Figures(F&F)は、小笠原諸島に関連する歴史的経緯や人々の暮らしを紹介するため、公文書や調査報告書などの「事実情報」を掲載しています。
沖ノ鳥島 Facts&Figures
2014年12月29日更新
沖ノ鳥島は、1789年にイギリス船によって発見され、船長の名にちなみダーグラス・リーフと呼ばれていた。1922年と1925年に日本海軍により測量が行われ、どの国にも領有されていないことを確認したのち、1931年、沖ノ鳥島という名称で日本の領土に編入された。第二次世界大戦後、米国の施政下に置かれていましたが、1968年、日本の施政権下に復帰しました。沖ノ鳥島は、日本の国土面積(38万km²)を上回る40万km²の排他的経済水域を有しており、国土保全上きわめて重要な島です。
沖ノ鳥島Facts & Figures(F&F)では、この島の発見、日本の領土への編入、その後の保全措置等に関する記事を掲載しています。