東南アジアにおける対日世論調査の課題と可能性:ヘッジングを具体的に語るために
2023年は、日本ASEAN友好協力50周年である。日本では、日本と東南アジア諸国、あるいはASEAN(東南アジア諸国連合)と戦略的にどのように付き合っていくべきか、日本の国益を東南アジアでどのように最大化するかといった点が大きく注目されている。
対応が奏功している時 | 対応が奏功していない時 | |
---|---|---|
対内発信 | 国際機関からの評価を用いた国威発揚 | 国際機関を用いた非難回避・責任転嫁 |
対外発信 | 国際機関からの評価を用いたソフトパワーへの転化 | 国際機関を用いた責任転嫁 |
表1. コロナ対応における国際機関の「利用」(筆者作成)
もちろん、国際機関の側が国家の行動に多少なりとも影響を与えた面を無視するべきではなく、わかりやすさを優先した結果、表1の整理にはやや戯画的なきらいがあることは否めない。しかし、ここで重要なのは、コロナ対応に際して国際機関が強い指導力を発揮することは原理的に困難であり、それは大国の役割であったはずだということである。現在の国際社会においては、国際機関にとって、国家の意思から独立して機関としての意思決定を行なう「国家からの自立性」と機関として決定した意思に国家を拘束させる「国家への拘束力」を同時に高めることが極めて難しいからである11。国連の専門機関として専門家が集うWHOの場合は、政府代表に権限が集中している国連安全保障理事会(安保理)等に比べれば「国家からの自立性」が高い分、「国家への拘束力」は低い状況に甘んじざるを得ないのである。
このように、超大国も国際機関も指導力の発揮が難しい状況にあっては、「積極的協調」は望むべくもなかった。ただし、米国がコロナのワクチン等に関して知的財産権の免除を支持する声明を2021年5月5日に発表するといった新たな動きがみられる点には触れておく必要があるだろう12。他の先進国も続いて支持を表明することになれば、米国が2021年1月に発足したバイデン新政権のもとで「積極的協調」に向けて指導力を発揮する転機となる可能性がある。これらを現時点で判断するのは時期尚早であるため、引き続き注視したい。
このように、コロナ禍において諸国家、とりわけ米中の間には、コロナ対応で協働する「積極的協調」のみならず、対立を控えて各々のコロナ対応に専念する「消極的協調」さえもみられなかった。コロナというテロと同様の国際社会の「共通の敵」が存在し、気候変動等の他のグローバルな課題よりも緊急性が高いにもかかわらず、国家間の協調はみられなかったのである。
この分析が的外れなものでないとすれば、日々報道される個別国家の「非合理な政策」や国民の「気の緩み」といった属人的な要因のみならず、国家間の「積極的協調」と「消極的協調」の不足という構造的な要因がコロナ対応を不十分なものとしていることにも目を向ける必要がある。筆者の杞憂であればよいのだが、コロナ禍でさえ国家間の協調がないのを仕方がないことだと受け止めてしまう現実追随の風潮が国内外にありはしないか。現実主義と理想主義を併せ持つ重要性を強調するがゆえに理想主義が行き過ぎる状況に対して現実主義の立場から自覚的に批判を加えたE・H・カーのひそみに倣うならば16、過度の現実主義(現実追随)が横行する現状の打開には理想主義の力を借りる必要があるのかもしれない。ブラウン元英国首相による暫定的な「グローバル政府」樹立構想やグテーレス国連事務総長による「グローバル停戦」の呼びかけを実現には程遠いながらも紹介したのには、こうした意図があった17。
では、なぜ、これほどまでに協調の機運が失われているのだろうか。この点につき、コロナ以前より指摘されていた「リベラル国際秩序の動揺」をめぐる議論にさかのぼって分析することが、次の課題となる。
1 ウイルス自体を敵視したりコロナ対応を戦争になぞらえたりする言説に必ずしも与するものではなく、いわば「非国家主体」が招いている事態であるがゆえに国家間の協調を促進し得たのではないかということが、ここでのポイントである。コロナ以前の感染症に対する国境を越えた保健協力体制(グローバル・ヘルス)については、詫摩佳代 『人類と病―国際政治から見る感染症と健康格差』、中公新書、2020年を参照。
2 むろん、これは自然とそうなったのみならず、米国政府の政策選択の結果でもあった。ブッシュ政権は、ビン・ラディン容疑者の捕捉という形で個別のテロリズムに対応するのではなく、世界中のテロリズムに対応する方針を示すことで、対内的にも対外的にも支持を得ることに成功した。Michael Cox, “Meaning of Victory: American Power after the Towers,” Ken Booth and Tim Dunne eds. Worlds in Collision: Terror and the Future of Global Order, Palgrave, 2002, p.155; Robert Keohane, “The Public Delegitimation of Terrorism and Coalition Politics,” Ken Booth and Tim Dunne eds. Ibid., p.141.
3 “Gordon Brown Calls for Global Government to Tackle Coronavirus,” The Guardian (26 March, 2020).
4 United Nations Secretary General, “Secretary-General's Appeal for Global Ceasefire” (23 March, 2020).
5 Rachel Kleinfeld, “Do Authoritarian or Democratic Countries Handle Pandemics Better?”, Carnegie Endowment International Peace Commentary, March 31, 2020; Ivan Krastev, Is It Tomorrow, Yet? : How the Pandemic Changes Europe, Premier Parallèle, 2020.
6 Lowy Institute, Covid Performance Index: Deconstructing Pandemic Responses. (accessed March 29, 2021)
7 J. E. Mueller, “Presidential Popularity from Truman to Johnson,” American Political Science Review 64, 1970, pp.18–34; William D. Baker and John R. Oneal, “Patriotism or Opinion Leadership? : The Nature and Origins of the “rally'round the flag” Effect," Journal of Conflict Resolution 45-5, 2001, pp.661-687.
8 例えば、日本では新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(2020年7月3日の廃止後は新型コロナウイルス感染症対策分科会が発足)が設けられたが、専門家会議が世論から非難を受けるリスクについて次第に当事者にも認識されるようになっていった。河合香織「分水嶺-ドキュメント コロナ対策専門家会議 連載第6回 専門家会議の『卒業』」『世界』3月号、2021年、152-153頁。
9 M. P. Fiorina, “Legislative Choice of Regulatory Forms: Legal Process or Administrative Process?,” Public Choice, 39-1, 1982, pp.33-66; Kent Weaver, “The Politics of Blame Avoidance,” Journal of Public Policy, 1986, pp.371-398.
10 ダグ・ハマーショルドやコフィー・アナン、マラック・グールディング、ジャン=マリ―・ゲーノといった一般に高い評価を受けている国連幹部でさえ、国連の活動がうまくいっているときには加盟国はその栄誉にあずかろうとするが、うまくいかないときにスケープゴートにされるのは事務局のみであったと繰り返し振り返っているのは、決して当事者の被害妄想だと片づけられるものではない。Brian Urquhart, Hammarskjold, Harper & Row, 1972, pp.50-51; Marrack Goulding, Peacemonger, Johns Hopkins University Press, 2002, p.342; Kofi Annan, Interventions: A Life in War and Peace, Penguin Books, 2012, pp.60, 157; Jean-Marie Guéhenno, The Fog of Peace: A Memoir of International Peacekeeping in the 21st Century, Brookings Institution Press, 2015, p.295.
11 Kenneth W. Abbott and Duncan Snidal, “Hard and Soft Law in International Governance,” International Organization 54-3, 2000, pp.423-424のような法化(legalization)の形態に着目する議論では、その指標の一つとして、義務の解釈がどの程度第三者へ委任されているかという意味で委任(delegation)という言葉が用いられるが、本稿がいう自立性に含まれる。また、法的拘束力がどの程度強いかという意味で義務(obligation)、義務の定義がどの程度厳密かという意味で厳密さ(precision)という言葉が用いられるが、共に本稿がいう拘束力に含まれる。自立性と拘束力については、最上敏樹『国際機構論 第2版』、東京大学出版会、2006年、178頁も参照。
12 Office of the United States Trade Representative,“Statement from Ambassador Katherine Tai on the Covid-19 Trips Waiver” (May 5, 2021).
13 UN Doc. S/RES/2532(1 July, 2020) para2.
14 東大作「コロナ禍によるグローバル停戦は可能か」『外交』62号、2020年、62-63頁。
15 古城佳子「ポスト・トランプ状況と国際協調の行方」『世界』1月号、2021年、200頁。
16 E・H・カーの『危機の二十年』については、前半部では現実主義と理想主義を併せ持つ重要性が指摘されるにもかかわらず、後半部ではもっぱら現実主義が重視されており、矛盾していると指摘されることがある。しかし、上記のように理解すれば、カーの立場は決して矛盾するではない。そもそも「首尾一貫した現実主義者など存在しない」と説くカーの現実主義が、国際政治の現象を体系的に説明するものではないのは当然である。そのような理論を求めてしまうと、『危機の二十年』は知的混乱をきたしているようにみえるかもしれない。あくまでも理想主義の行き過ぎを戒める「武器としての現実主義」だと考えるのが自然といえるだろう。Carr, E.H. Carr, The Twenty Years Crisis 1919-1939: An Introduction to the Study of International Relations, Macmillan, 1939/1946, pp.10, 89; Tim Dunne, “Theories as Weapons: E. H .Carr and International Relations,” Michael Cox ed. E. H. Carr: A Critical Appraisal, Palgrave, 2000, pp.221, 224.
17 E・H・カーのひそみに倣うならば、むろん、こうした普遍的道義を掲げる提案の裏に強者(大国)の特殊利益が潜んでいないかを吟味することもまた必要となるだろう。