ゼミ

第1回やしの実大学報告書

[基調講演2]ポリネシア海と空のはざまに
片山一道

片山でございます。実は、今、やっと話す内容を決めまして…。標題にありますのは最近、同じタイトルの本を出しまして、それにちなんだのだと思います。ともかく、南太平洋のポリネシアの人々の話をしてみたいと思います。
私は1980年ぐらいからポリネシアの人々の研究を続けてまいりました。つまり、お相撲さんの小錦ですとか、ラグビーのラトゥやオトゥとかという人たちのことを、日本でではなくポリネシアに行って研究するということをやってきたわけであります。で、私は生物人類学とか、あるいは形質人類学の研究分野を専攻しておりまして、生きている人の身体や古い人が残した骨だとかを通 じて研究をしてまいりました。

ポリネシアの人々は八重山も含んだ
東アジア海域部の人々と縁が深い

時間もあまりありませんから、先に結論を申し上げます。ポリネシア人というのは南太平洋のアジア人です。南太平洋に住んでおりますけれど、まちがいなくアジア人でありまして、日本人とか中国人と似ています。中でも特に台湾の人たち、この八重山もそうですけれども南西諸島の人たち、フィリピンの人たち、あるいは中国の沿岸部に住んでいる人たちに非常に近い関係にある人々だというのが私の結論です。
もちろん顔だちですとか背格好は随分ちがいます。ポリネシアの人たちは、やたらとでかい。身長180とか190cmある人がごろごろいます。体重もそれこそ小錦のような人たちがごろごろいますし、女小錦みたいな人もごろごろいます。で、われわれと一見ちがうのですが、実は、いろんな方向から調べると類似点はすごく多いわけです。どうやって調べるのかといいますと、たとえば、血液型です。それから最近では遺伝子レベルで調べたりします。あるいはクラシックなやり方として生体測定といいまして、身体の各部の寸法を測らせてもらうわけです。さらに指紋と掌紋。指紋をとるなどというとお巡りさんのようですが(笑)、人類学では非常に役に立つものなのです。といいますのは、指紋と掌紋は非常に遺伝性が高いわけです。つまり我々の指紋、掌紋というのはある一定のパターンを先祖代々引き継いできたものであります。さらに私は、遺跡を発掘したり、遺跡から出てくる人骨を他の場所から出てきたものと比較したりする方法で研究を行っております。

こうやって研究を続けてきまして、ポリネシア人はアジア人だという結論に達したわけです。つまり、ポリネシアの人々はアジアにオリジンがあるわけですね。ノルウェーの人類学者ヘイエルダールがいったように南米にオリジンがあるわけでは決してありません。これはもう、私は断言いたします。
アジア、アジアといいましても広うございまして(笑)、いったいポリネシアの人々の祖先がアジアのどこにさかのぼれるか。私が今、到達している結論じみたものを申しますと、それは東アジアの海域部です。もちろん文化や栽培植物は東南アジア、インドネシアやインドシナ半島の辺りから多く来ております。それは恐らく東アジアの方から太平洋の方へ人々が拡がっていく時に途中でピックアップしていったもの。つまり「これは我々の生活に合うぞ」ということで拾っていったものだと思います。それが積み重なってポリネシアの島々で育まれていったものなのですね。
しかし人間は東アジアの人々によく似ています。台湾から南西諸島、ひょっとしたら日本の南部、中国の沿岸部、フィリピンの辺りの人たちですね。篠遠先生の話と重複してきますが、そこで今、私が到達している結論としましては、ポリネシア人の直接の祖先はラピタ人。今から3600年とか3500年前にニューギニアの東部に出現しましたラピタ人であろうということことです。そうしますとラピタ人の祖先が、ひょっとしたら東アジアの海域部の人々であったのではないかというストーリーが考えられます。台湾の辺りからどういうふうに出ていったのかは分かりませんが、とにかくアジアを船出して3500年から3600年前にニューギニアの東部に到達したのがラピタ人であろうという可能性が強いと申し上げてよいと思います。

ポリネシアを発見したのは
クックでもマゼランでもない

こんな理屈っぽい話よりも、スライドの方が楽しいと思いますので、スライドを映します。まず最初は地図ですね。これを映して何が言いたいかと申しますと、太平洋は非常に広いということです。我々が学校で習ってきた歴史というのは、基本的には陸上に住んでいる者たちの歴史だったわけです。そもそも人類、つまりホモ・サピエンスが陸上動物だということと関係していると思いますが、例えば地球の地図を見た時に陸地にしか目がいかないのが普通 です。
しかし、これからは、海から発想しようじゃないかと私は提案してみたい。太平洋を真ん中に据えた地球の地図を見ますと、地球というのはまさに海の惑星というふうにしか見えません。ですから私は、海に生きる者たちの立場から発想してみたいわけであります。地球というのは太平洋の半球といってもいいと思います。
ポリネシアの人々というのは、太平洋のどまん中ポリネシア・トライアングルの中に住む人たちのことですが、トライアングルの海域の中には何千もの島があり、その数は3000とか8000とかいわれますが、誰も数えたことはありません(笑)。それほど島があるわけです。これらの島にヨーロッパ人が来たころには、たいがいの島に人間が住んでいたんです。我々が中学や高校の地理の教科書を見ていますと、キャプテン・クックがハワイを発見したとか、マゼランがグアムを発見したといった記述があります。それはたいへんなまちがいでありまして、実際に発見したのは、これらの島々に初めて住み着いた人々なのです。
それらの人々が住み着いたのは、篠遠先生が先ほどお話されましたように、3000年前とか2000年前のことです。つまり、ヨーロッパ人が300年前とか200年前に出かけるようになるはるか以前に、島々に住み着いて、彼らにとって住みやすい世界に島々を変えていくような努力が、なされていたんです。
で、次にポリネシアの人々は実際にどんな人かということを写 真で見ていただきます。まず、最初は男性ですが、これはツアモツ諸島の人で写 真を撮った時は60歳代でしたが、この男性は身長198cmくらいありました。このようにポリネシアの人々はやたらとでかい。次はクック諸島の40代のおばさんですけど、体重が100kgぐらいあります。このようにポリネシアの人々のもうひとつの特徴として肥満の傾向が強いことがありますが、もともと肥満の傾向が強かったわけではありません。西洋と接触するようになって、西洋の食事文化に影響された結果 、肥満が起こり始めました。
それからポリネシアの人々で目立つのは、入れ墨ですね。初めてポリネシアを訪れた西洋人たちは、多くの島を「入れ墨諸島」と書いています。かつての習慣は一時絶えましたが、今は、リバイバルでマルケサス、サモア、タヒチ、クック諸島辺りで結構やっています。入れ墨は彼らのシンボルであり、彼らのアイデンティティなんです。
この写真はタヒチの神官ですが、全身に入れ墨をしていますね。そのうえ彼らの世界では誰がどういう入れ墨をするのか決まっているんです。入れ墨のパターンはラピタ土器の模様とかなり共通 性があります。次はイースター島のある儀式の時に捕らせてもらった写 真ですが、この島は風がビュービュー吹いて寒いところなんです。かつては鳥の毛皮や豚の毛皮で作った衣服を着ているだけたったわけですね。次の写真の人の顔だちはどうですか、この八重山辺りにいませんか。ただし背は高いです。180cmぐらいあります。で、彼らは石器を100年ぐらい前まで使っていたわけです。

古代ポリネシア人と縄文人とは
類似点が多い

頭骨などで比較するとポリネシア人と縄文人は似る

次は頭骨の写真であります。この写真の右側は約3000年前の縄文人のもので、岡山県の津雲貝塚から出土しました。左側はクック諸島のマンガイアという島で私どもが発掘した約1000年前のポリネシア人の頭骨です。これは比較の問題になりますけれども、何を持って非常によく似ているか論じるのは難しいものです。しかし、アジアのほかの地域で見つかったもの、あるいはニューギニアやインドネシアで見つかった人骨に比べますと、確かによく似ているといえると思います。
次の写真はセンネンボクという植物です。昨日も竹富島で見かけましたが、ポリネシアではこの植物から衣装を作ったりします。見た目はつまらない植物のようですが、2000年も3000年も前にアジアの方からポリネシアの人々の祖先が運んでいった植物です。
さて次ですが、これはウムという石蒸し焼き料理の様子です。篠遠先生のお話にありましたが、ポリネシアには土器がありません。女性ふたりが写 っていますが、彼女らは母娘です。おかあさんの方は130kgぐらいありますね。一方娘さんの方はとってもスリムです。しかしこの娘さんが25歳から30歳くらいになりますと、どうなるでしょうか。どんどん太っていきまして、美しい方がこうも変わっていくものかと驚かされるほどであります。
このように人間は東アジアの人と似ているのですが、しかし生活は東南アジア、インドシナ半島のそれと非常によく似ています。また、今から200年とか100年前になりますとキリスト教が激しく浸透して、ほとんどの島の人々は今やキリスト教徒になってしまいました。そんな彼らにとって海は心の故郷であります。そして生活の糧を得る場所でもあります。この写 真に写っているようなシングル・アウトリッガー・カヌーで沖に出て、さまざまな魚を捕ることが生活の非常に大きなウエイトを占めるわけです。現在は、西洋式の食べ物を食べておりますが、タロイモや魚、それにパンノキの実などが、彼らのフードリストを構成していたわけであります。
また、昔からブタが彼らの友であります。彼らは2000年、3000年前に舟で島へ渡った時にブタやニワトリなどを積み込んで来たわけであります。それからタロイモやバナナ、ココヤシなどもメジャーな食物です。こうした食べ物が彼らの伝統的なものですが、もうひとつ、餅文化が彼らの生活の中で連綿と続いております。材料はパンノキの実で、実を擂り潰した後、パウンダーで叩いてからこねていきます。これは結構うまいものです。


太平洋は地球の表面積の3分の1

「地球上の楽園」とも呼ばれる
美しい世を創造したのは
ポリネシアの人々

ツアモツの男性 身長は190cm

話は飛んで申し訳ありませんが、ポリネシアの文化の中で脚光を浴びるもののひとつにイースター島のモアイがあります。この石像というのは宇宙人の遺産だとかの類の突拍子もないことがいわれたりしました。実は、モアイはイースター島で花開いた石像文化であります。そして太平洋の多くの島でモアイの原形のような石像を見つけることができます。
イースター島というのは、ある意味で地の果てでありまして、そこに住み着いて何千年もいたらですね、時間を持て余します(笑)。そして石はごろごろありますので、こういう石像をじゃんじゃん作って、時間をつぶしたのではなかろうかと思うわけす。私自身はこれを「文化の暴走」と呼んでいます。
モアイの原形になったは、例えばマルケサスのチキですね。小さな石像ですとタヒチやオーストラル諸島にもありまして、それらはキリスト教の影響で少なくなってはいますが、山の中に入っていくとまだあります。次の写 真は篠遠先生が復原したツアモツ諸島のマラエ(祭祀場)の遺跡です。写 真のものは彫刻を施していない石ですが、こうした祭祀場の立石もイースター島のモアイの原形と考えられます。
それからポリネシアに文字があったかどうかは大問題であります。で、イースター島にあったロンゴロンゴが文字であったのだろうといわれています。現在もまだ解読されておりません。こういったものも太平洋の各地で存在するわけです。それはストーリー・ボード、つまり物語の木という形で存在します。恐らくイースター島のロンゴロンゴもストーリー・ボードが発達したものです。つまり文字ではなく、いろんなモニュメントとか行事ですとかを、記号で残したものだろうと考えられます。
さて、そろそろ終わりになりますが、最後に見ていただきたいのが、カヌーです。ポリネシアに住み着いた人たちは、はるか昔にダブル・カヌーといわれる二つの胴体を板でつないだカヌーに乗って渡ってきたわけです。写 真のカヌーは、それを復原したものですが、こうしたカヌーは大きいものですと長さ40mもあります。純粋に人間だけを積み込みますと200名も乗れる.ものでありますが、実際に航海をする時は食べ物や植物などを載せなければいけませんので、人間はせいぜい20名乗るだけです。こうしたカヌーで航海して新しい島々を開拓していったのです。
そして、今日、みなさんがポリネシアをイメージされる時は、恐らく鮮やかな色の花が咲き緑の植物が茂り、青い海がある原色の島々を想像されるでしょう。しかし、そこにある植物の多くは、昔からあったわけではなく、部分は東南アジアの方からポリネシアに渡った人々が運んできたものであります。ですから現在の原色の豊かな環境というのは、ポリネシア人の祖先が島々に定着した段階で創造したわけです。つまり、太平洋の孤島に我々が抱く「地球上の楽園」のイメージの環境を作っていったわけです。
こうした島々に滞在しておりますと、時間が止まったような感覚になって、1日の終わりに見る夕日は非常にきれいです。それでは、どうもありがとうございました。

「第1回やしの実大学報告書」(1998年4月)
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