太平洋島諸国・国際政治講座

[特別講座] 松島泰勝講師の特別講座

太平洋45日間の船旅 東海大学 第37回海外研修航海記(2006.5.13)

2006年2月15日から3月31日までの45日間、北海道から九州までの東海大学関係の大学生67人、教職員15人、海洋学部航海工学科実習生15人、乗組員26人が東海大学の望星丸に乗って太平洋の航海を行った。45日の船旅は私にとって初めての体験であり、また太平洋諸島に上陸して島の人々との触れ合いもあり、多くのことを学んだ旅であった。

船の生活は規則正しいスケジュールに沿って進められた。一日の日課は朝6時半に起床し、点呼、ラジオ体操をし、その後、船内や甲板の清掃、そして朝食を食べた。午前中は教員の洋上講座・英会話講座がある。11時半から昼食で、午後は予備調査・洋上講座・洋上クラブを行い、午後5時には夕食となる。夜は各行事の準備、班長会議、フリートークとなり、消灯は午後10時である。シャワーはほぼ二日に一度、洗濯はほぼ一週間に一度程度である。

上陸地はポンペイ島、フナフチ島、タヒチ島、ボラボラ島、マジュロ島である。船上では各教員による講座のほか、学生による予備調査研究と発表があった。予備調査とは島に上陸する前に、学生がグループ毎に島について事前学習し、パワーポイントを用いて発表して意見を交換するというものである。予備調査のテーマは「ミクロネシア連邦と日本との関係」、「地球温暖化問題とツバル」、「太平洋諸島の政治と経済」、「タヒチの歴史と文化」、「太平洋諸島への民族移動と伝統的航海術」、「マジュロ島の環境問題」であった。学生は島について本、インターネット情報等によって良く調べ、皆の関心を引くように手際よくプレゼンを行っていた。全ての島に上陸した後、学生はグループ毎に予備調査の内容と実際の島の様子の違いや、島で発見したことを皆の前で報告しあった。

洋上クラブにはスケッチ、マルチメディア・コンテンツ、茶道、フランス語会話、英会話、音楽、ロープワークやココナツ細工、手芸、天体観測、スポーツ等があり、学生は自分の好みのクラブに入り、船上生活を楽しんだ。

2月15日に清水港から望星丸が出航した。21日にポンペイに到着するまで、船は大いに揺れた。棚にある本や食料が飛び出す程の大揺れである。船酔い用の飲み薬や座薬を服用するが、食事が喉を通らない日々が続いた。私は不思議なことに次第に揺れに体が慣れるようになり、船酔いもひどくはならなかった。

21日にポンペイに上陸した。上陸前に学生、教職員、実習生ともに登舷礼をした。登舷礼とはユニフォームを着て、甲板にて数分間、直立する儀礼である。それは上陸に際して、島の方々、船舶・港湾関係者に対する厳粛な挨拶のようなものである。全ての島で出入港する際に登舷礼を行った。ポンペイでは最初に学生とともにコロニア市内にあるカピンガマランビ村に行った。この村は、ポリネシア文化に属するカピンガマランギ島からの移住者が住んでいる。村人は工芸品作りによって生活を営んでいる。学生達は村の子供と話したり、写真を撮るなどして交流していた。次の日はナンマドールという海上につくられた石造の人工島に行った。大きな花崗岩を六角形に切り、積み重ねた遺跡である。約1千年前の石造技術の雄大さに目を見張った。

次の日は、首都パリキールにあるミクロネシア短期大学を訪問した。短大の学生が日本語で自己紹介をし、校内を案内してくれた。図書館に行った時、目を引いた写真があった。それはミクロネシア連邦のカロリン諸島にあるサタワル島の人々が、1975年に沖縄で開催された国際海洋博覧会海上まで伝統的カヌー、チュチェメニ号で航海した模様の写真である。海流によってミクロネシアと沖縄が繋がっていることを証明した航海であった。その後、チュチェメニ号は海洋博覧会場に展示され、現在は大阪の国立民族学博物館にある。

短期大学の学生は日本文化に関心があるのか、構内を歩いている島の学生が日本語で挨拶をし、握手を求めてきた。また中国政府の無償資金援助で建設された体育館も案内してもらった。バスケット、バレー等ができるコートの他に、卓球、ビリヤード用の部屋もあった。パーティーや大会議にも利用可能な大きな部屋もあった。短大に行く途中で見た中国大使館も大きかったが、中国がミクロネシア連邦に寄せる期待の大きさを感じることができた。

その後、コロニア市内にある短大のカフェテリアに移動し、食事をとった。短大の学生が日本語で「桜」を合唱してくれた。またミクロネシアの学生たちに調理方法、カフェテリアの運営方法等を教えている海外青年協力隊の方から日本の援助活動について話を聞かせてもらった。

ポンペイでは日系人の秋永さんと久しぶりに再会した。2年前にポンペイ島をお邪魔した際、秋永さんの半生、日本時代のポンペイ島の状況を伺い、日本海軍の拠点が置かれていたランガール島にも案内してもらった。秋永さんはお元気そうで、今回も日本時代のお話を聞かせていただいた。

ポンペイ島を出港したのち、望星丸の赤道通過を祝し、またこれからの航海の安全を祈るために赤道祭を行った。赤道祭とは、もともと赤道無風帯という帆船航行の難所を、乗り切るための宗教的行事であった。その歴史は十六世紀にまでさかのぼれる。当時の船乗りたちは赤道に見えない壁があると考え、海神ポセイドンにその扉を開けてもらうために願い出るというギリシャ神話から赤道祭は発生した。

赤道祭では学生による寸劇、持ちつき大会、スイカ割りを後部甲板で行い、ゲームやパーティーを学生食堂で行った。寸劇、ゲーム、パーティーも全て学生が自主的に企画、準備、進行をそれぞれ分担してこなしていた。2月25日19時59分、東経167度30分の海上において我々は赤道を通過した。学生、教員とも船長から赤道通過記念証を頂いた。

次に上陸したのはツバルの首都フナフチであった。岸壁でツバルの方がダンスと合唱を私達に聞かせてくれた。男女のダンスは活気に満ち、学生達も踊りに参加した。男女混交の合唱も海や空に透き通るような歌声であり、ツバルの方の美しい心が現れているようであった。

上陸時間は数時間しかなかったので、目を凝らしながら島の主要道路を歩いた。島の人々は笑顔で私たちを迎えてくれた。島の人々が頻繁に車やオートバイで行き来していた。全ての小中学生が制服を着ていた。台湾政府の援助により建設された中央政府庁舎やホテルや、日本政府の援助による病院を見ることができた。 6,7年前にツバルを訪問した先生の話によると、以前よりも海岸線が陸地側に近づいており、海岸侵食も進んでいるとのことであった。海面上昇問題とともに、島内のゴミ問題も深刻であると思った。汚水の中にゴミが溢れ返った地域をみた。

現在、世界各地の工業化を原因とする地球温暖化問題が深刻になっている。地球温暖化により海面上昇が発生し、ツバル、マーシャル諸島のような海抜の低い島嶼国では、沿岸部の侵食、椰子の木の倒木、地下水への海水の混入等が発生し、飲料水の確保、作物の栽培が困難になりつつある。2000年、ツバルの首相は全国民の豪州、ニュージーランドへの移住を希望した。豪州政府はツバルの申し出を拒否し、ニュージーランドは条件付(英語の能力があり、就労が可能である人)で受け入れを人数制限の上で認めた。

次の上陸したのはタヒチであった。タヒチでもツバルと同じく、岸壁で男女のタヒチアンダンスが披露された。私達も踊りに参加して楽しんだ。タヒチではマラエと呼ばれる遺跡、キャプテン・クックが上陸して金星を観測した場所、ゴーギャン博物館、タヒチ博物館等を見学した。タヒチ市内のマルシェを散策した。マラエはタヒチ人がつくった祭壇であり、厳粛な雰囲気がする場所でもあった。マルシェでは、沖縄でサーターアンダギと呼ばれるお菓子と同じような食べ物を発見した。また沖縄で最近販売されているノニジュースが沢山売られていた。

3月6日、タヒチではフレンチポリネシア大学を学生と教員が訪問し、タヒチの学生と交流をした。互いに自己紹介をした後、日本とタヒチに関するクイズを出し合って、日本とタヒチの学生が答えた。その後、タヒチの学生が校内を案内してくれた。

夜は、望星丸にタヒチ政府・大学・港湾関係の要人、学生、日本人会等の人々を招待して船上パーティーを開いた。学生食堂には日本の各地域を英語で紹介した巨大な地図、日本文化を説明したパネル等が展示された。また浴衣を着た女子学生がお茶、着物の着付け、習字等をタヒチの方々に紹介し、体験してもらった。タヒチの方は日本文化に非常に関心を示し、喜ばれていた。

後部甲板では学生が空手、剣道等の実演をする他、望星丸の練習生が清水カッポレ踊りを披露した。それに応えるように、タヒチの学生はタヒチアンダンス、地元の歌のお返しがあった。最後に東海大学の学生が「島唄」の合唱をして、来場者を見送った。

3月8日には船でボラボラ島に移動し、地中海クラブのホテルに投宿した。ボラボラ島では、島内を四輪駆動車で駆け回るサファリ、サメの餌付け、無人島ツアー等のオプショナルツアーに学生、教員が参加した。私はサファリ・ツアーに加わった。第二次世界大戦に米軍が日本軍の進出に対抗するためにボラボラ島に建設した空港、高台に設置した大砲を見た。これらの軍事施設は実際には使用されることはなかったが、タヒチまで太平洋戦争の影響が及んでいたことを知った。また黒真珠の養殖場の見学、パレオという腰巻布製作所の見学等をしたり、高台から美しいサンゴ礁の島々を眺めることができた。

ボラボラ島を後にした我々は次の寄港地マジュロ島に向かった。洋上では学生や教員は各クラブに所属し、学生と一緒に活動をした。私はロープワーク、ココナツの殻を利用した工作を行った。ロープワークやココナツ細工は船員の方にも教えてもらった。ロープワークとは、様々な形に結んだ紐の結び目を切り取り、パネルに飾るというものである。ココナツ細工は、ココナツの実の殻を切り取り、磨いてネックレス、置物にする工作である。また天体観測にも時々参加した。夜甲板に出て星を観測したが、船の周りには光を出す建物等がないために、星をはっきり見ることができた。あのように沢山の輝く星を見たのは初めてであった。

また船を洋上で止めて、カップラーメンのコップ、キャベツ等を深海に沈めてどうなるかを確かめる実験もした。コップは5分の1程度に縮小し、キャベツは「深海漬け」とも呼べるくらいに、美味であった。船上で鈍った体を鍛えるためにスポーツ大会も開催され、後部甲板において学生、練習生、乗組員、教員による綱引き、縄とび、水風船キャッチボール等を行い、勝敗を競った。さらに航海中2回ほど、引き縄漁を行い、鰹、シイラ等が20本以上釣れ、新鮮なサシミを堪能した。

3月20日にマーシャル諸島共和国のマジュロ島に上陸した。島では博物館、マーシャル諸島短期大学、日本大使館、南太平洋大学マーシャル諸島分校等を訪問し、日本の無償資金援助で建設された病院、台湾人が経営するスーパー等を見学した。また日本大使館を訪問し、マーシャル諸島の近年の状況、日本との関係について臨時代理大使、専門調査員から話を聞いた。

地元の人によると、近年、台湾人、中国人の数が増えているとの声を聞いた。主要道路沿いには台湾系のスーパーがいくつもあった。また台湾政府による援助金で設立された消防署、地域の公民館等もみられた。2年前にマジュロ島に来たときよりも、台湾系のスーパーが増えていると思った。
マジュロ島では急速な近代化により、ゴミ問題が深刻であった。主要道路沿いに大きなゴミ箱がいくつもあり、外洋側の海岸にはゴミが散乱していた。これも2 年前と変わらない光景であった。

2年前にお会いした静岡の伊豆半島出身の松田さんにも今回お会いすることができた。スーパーの魚屋で働いている。マジュロ島の女性と結ばれ、充実した日々を過ごしていると笑顔で話されていた。

22日にマジュロを出港した。後の上陸地は日本だけである。25日に洋上卒業式が開催された。学部学生3人、練習生15人が後部甲板で行われた卒業式において社会に巣立った。船員、練習生、学生や教員も正装し、厳粛な雰囲気の中、卒業式が挙行された。正真っ青な海と空を背景にした卒業式は感動的であった。この航海で得た経験、友達を胸に社会で活躍して欲しいと思った。

日本に近づくとやらなければならないのが時間調整である。毎晩、30分毎、時計の針を戻すのである。船室の教員食堂にある柱時計は自動的に針が戻る仕組みになっており、毎晩、針が反時計回りに動くのを興味深く眺めていた。飛行機と違い、船旅では日本時間にゆったりとしたペースで合わせることができるので、時差ぼけが生じないですむ。

小笠原諸島近海になると、イルカの群れが私達を歓迎してくれた。また孀婦岩と呼ばれる海面に突き出た岩を初めて見ることができた。海上から飛び出たその姿は堂々たるもので、いつまでも見ていた。

29日夕方、駿河湾に着き、投錨した。日本はまだ寒く、急いで冬着をダンボール箱から取り出した。富士山が我々を暖かく迎えてくれているようであった。 30日にさよならパーティーを開き、互いの別れを惜しんだ。

学生27人は、乗船前に比べると大きく成長したと思う。苦しい船酔いに耐え、船上や島での各行事や仕事を協力しながら立派にこなした。一人ひとりの学生の顔には自信が満ち溢れているようであった。

この船旅は太平洋諸島について多くのことを学べた旅でもあった。第二次世界大戦において太平洋諸島は戦場になり、多くの住民が戦争の犠牲となった。戦後、欧米諸国は太平洋諸島や周辺海域や海底地下において核実験場を行ってきた。マーシャル諸島や仏領ポリネシアでは被爆住民の健康障害、島や海の環境破壊等が生じた。被爆国・日本と共通する歴史をたどったのである。太平洋諸島から戦争と平和の問題を考えることができる。

閉鎖空間である島嶼において急速な近代化を行うことで生じる弊害、例えばゴミ問題についても学べた。また地球規模の環境問題である、温暖化による海面上昇で島々が沈んでいく現状をみることもできた。

他方、海や島の豊かな恵みにより自給自足や、相互扶助の人間関係に包まれ、緩やかなリズムで生活をしている人々もいる。人間関係の希薄化、時間に追われるストレス社会という現代的な生活と、共同性に基づいた島々の住民の営みとを比較しながら、人間にとっての「本当の幸せ」の意味を考えることもできたであろう。

さらにポンペイ島のナンマドール(花崗岩を積み上げて作った人工島)、タヒチ島のマラエ(伝統的祭祀の祭壇)、伝統的カヌーによる航海、島の文化・歴史等を調べ、見聞することにより、太平洋の古代文明や海洋上で生きてきた人類の歴史に触れることもできたであろう。

現代文明が課題としている諸問題に太平洋諸島の人々は直面している。研修航海において、学生は島に上陸する前に予備調査・発表を行う。そして現地調査に臨み、その調査結果を踏まえて、問題解決への展望を含んだ報告会を実施する。

現地調査によって現代文明が課題としている諸問題について自分自身で確かめ、教員や仲間と議論しながら問題意識を育み、問題解決の糸口を探るという学習過程が研修航海では用意されている。座学とフィールドワークを融合させることにより、現代文明に対する理解をさらに深めることができたであろう。

船での生活は共同性が重んじられる。自分勝手は許されない。他者への思いやり、人間関係の重要さを船旅は教えてくれた。また船酔いで苦しくて、どうしようもないと思っていても、次に上陸する島のことを考えて希望を胸に抱きながら辛抱していると、島に着き、精神的、身体的な安堵感を得ることができた。船旅は人生の縮図のような面があり、現在苦しくても必ず幸せがやってくるという教訓を船旅から得ることができた。古代の太平洋の航海者達も、さらに厳しい条件の中でこのようなことも考えたのではなかろうか。

[特別講座] 松島泰勝講師の特別講座(2001年9月)
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