太平洋島諸国・国際政治講座

[特別講座] 松島泰勝講師の特別講座

[第1回講座] 太平洋と結ぶ沖縄 - 島々の連合を目指して -
1.アジアの海から太平洋へ

21世紀における沖縄の歩むべき道や、経済自立策を考えるにあたって太平洋は大きな意味を持っている。これまで沖縄の経済自立はアジア諸国との連携を深めることによって可能になるとの議論が多かった。沖縄とアジア経済とを結びつけ、アジア間貿易の中継地点になるべくさまざまな経済計画が提示されてきた。その背景にはアジア諸国との交易で繁栄した琉球王国の大交易時代の影響があり、世界経済の中で躍進目覚ましい現在のアジア経済と沖縄とを連結することによって沖縄に経済成長をもたらすとの期待が込められていた。

「ポスト香港論」が提唱され、香港が中国に返還された後、香港が担っていた機能がそのまま沖縄にもたらされるとの議論もみられた。沖縄の経済開発のモデルとしてNIESが理想とされた。熱い視線がアジアの海に注がれていたのである。

しかし、アジア諸国の企業が沖縄を投資先とする経済的理由は大きくなく、沖縄を素通りする形でアジア諸国間の貿易や投資活動が展開されているのが現実である。大田前知事のころ全島自由貿易構想が提唱されたが、業界の反対で同構想が骨抜きの形にされた。反対の理由は、沖縄業界が外国企業との競争を懼れたことだけでなく、その背景には沖縄全体が熾烈な経済的競争の場となり、沖縄的社会生活が失われることに対する不安も大きかったのではなかろうか。貨幣の取得を至上の目的にして各人が競争し合う社会ではなく、貨幣よりも人間の繋がりを大切にして相互扶助を重んじるのが沖縄社会の本質ではなかろうか。日本復帰以後、経済学者が提示してきた経済開発モデルどおりに経済自立が実現しなかったのは、沖縄が有する社会構造上の特徴に大きな原因があるといえよう。沖縄社会と対照的なNIESをモデルにしたこと自体に無理があったのではなかろうか。

今、沖縄におけるアジア熱が沈静化した時に、目を太平洋に向けてみたい。果てしなく茫漠として拡がる太平洋は、物産が頻繁に行き交う「経済の海」にはみえず、沖縄経済の自立とは無縁の世界であると考える向きがあるかもしれない。しかし、島尾敏雄が唱えたヤポネシア論のように、文化的側面だけでなく、政治経済、軍事戦略などの諸側面において多くの共通性が存在している。本論ではその共通性を明らかにして、沖縄と太平洋の島々が共存共栄する道を提示してみたい。

日本と太平洋諸島だけでなく、豪州、ニュージーランドとの連合を主張したものとして川勝平太氏、梅棹忠夫氏の西太平洋諸島連合論がある。今日、地球上をみると南北アメリカ、EUとアフリカのように縦方向に諸国家の連合が形成されているが、日本も西太平洋の島々との連携を強化すべきであるとの議論である。本論は沖縄と太平洋諸島との連合の必要性について考察する。

太平洋は次のような経過を辿って世界史に登場した。キャプテン・クックの第三回航海が終わった1779年には太平洋の主たる島々は発見され、島々の位置を記した地図が1784年に出版された。そして太平洋の島々に新たな産品を求めて商船、捕鯨船、囚人運搬船が来航するようになった。18世紀末までは太平洋は「探検の海」であったが、それ以降は「交易の海」となった。島々で発見された物産は当初、白檀、ナマコなど中国市場に輸出する物であったが、後には綿花、コプラ、砂糖、鉱物など西欧市場に輸出する物が求められるようになった。1874年にフィジーはイギリス領となったが、80年代半ばにイギリス、フランス、ドイツとの間で太平洋諸島の分割について合意が形成された。この時期は琉球王国が日本の領土となった1879年と近く、太平洋における列強の動きが日本史、沖縄史と無関係でないことを示している。太平洋諸島は経済的理由とともに軍事的にも重視され、1898年の米西戦争に勝利したアメリカはハワイ、グアム、フィリピンを領有化し、米領サモアとともに海軍基地を設置した。

太平洋戦争後、世界的な脱植民地運動の潮流に乗って1962年のサモアの独立を嚆矢として、太平洋諸島が続々と独立を達成した。独立とともに広大な排他的経済水域を手に入れ、SPF(サウス・パシフィック・フォーラム、太平洋諸島、豪州、ニュージーランドにより構成される地域機構)を結成し、海洋国家として世界を舞台に活躍している。

2.太平洋諸島と沖縄を繋ぐもの

海の水平線の彼方、または海底に祖先神が住み、そこから豊かな物産が島嶼にもたらされるとの信仰が、沖縄ではニライカナイ信仰として、太平洋諸島ではブロツ(またはプロツ)信仰、ハワイキ信仰として存在している。

太平洋諸島と沖縄はいわばヘソの部分で繋がっているのだが、沖縄県民が太平洋諸島と深く関わるようになったのは、委任統治領としてミクロネシア諸島(南洋群島と呼ばれた)が日本の統治下におかれたころであった。沖縄県民は南北アメリカ大陸、ハワイ、東南アジアなどにも移住したが、南洋群島への移住が特異であったのは、他府県民に比して沖縄県民が圧倒的に多かったことである。1933年において日本人移民は3万670人いたが、そのうち、沖縄から1万7598人、東京から2733人、鹿児島から1061人であった。沖縄で培った製糖業、水産業に関する技能を活かして、南洋群島におけるそれらの産業の発展に貢献した。そして、南洋群島は産業発展にともなう税収の増大により、1932年に財政的自立を達成することができた。

太平洋戦争が勃発すると、太平洋諸島、沖縄などが島伝いで戦場となった。島は地政学的拠点とされ、一つの島を抑えることで広い制海権や制空権の確保が可能となった。日本は太平洋諸島、沖縄を結ぶ「海の生命線」を守るために島嶼における拠点確保に重点をおいたがゆえに、多くの島々で玉砕戦が展開されることになった。今日の沖縄と太平洋諸島は慰霊の島となり多くの参拝者の来島が絶えないが、それと同時に、戦略的拠点の島としても再評価され、グアムや沖縄のように軍事基地が設置された。

戦後の沖縄とミクロネシア諸島はともに米軍の統治下におかれた。ミクロネシア諸島は米国の戦略的信託統治領となり、沖縄も同じく米軍による支配体制が布かれた。いわば両地域の戦後は、太平洋戦争において米国が勝利をおさめた両地域をそのまま占領して西太平洋における制海権と制空権を掌握するという終戦体制から始まった。沖縄、ミクロネシア諸島を統治する最高権力者としてそれぞれ高等弁務官がおかれ、住民の福祉向上や島の経済開発よりも島の軍事的利用が優先された。沖縄、グアムは朝鮮戦争、ベトナム戦争における米軍の発進・補給基地となり、マーシャル諸島では原水爆の実験が行われた。

両地域において興味深いのは、沖縄が日本に復帰した頃にミクロネシア諸島において自治政府の形成が模索されたことである。1969年からミクロネシア諸島と米国との間で将来の政治的地位に関する協議が始まった。そして、78年に北マリアナ諸島は自治政府を樹立し、86年に米国のコモンウェルスとなった。コモンウェルスとは、住民は米国の市民権を持っているが、移民法、労働法などに関する米国と異なる独自の法律に基づいた行政が行える政治体制である。その法的独自性を利用して、多くの中国人女性を入域させ衣料工場で働かせることが可能となり、製造業の発展がもたらされた。

1979年にミクロネシア連邦とマーシャル諸島はそれぞれ自治政府を樹立し、86年に独立した。パラオは81年に自治政府を形成し、94年に独立した。つまり、沖縄の日本の復帰が確定したころに、ミクロネシア諸島において米国との政治的地位に関する協議が始まり、70年代末、80年代初めに自治政府の形成をみた後、独立、コモンウェルスという新たな地位を獲得したのである。

ミクロネシア諸島の中でグアムだけは政治的地位を変更せず米国属領のままであり、米国連邦法が適用され、住民には米国市民権が付与されているが、住民は米大統領を選べず、グアムを代表する連邦下院議院は議会において発言権はあるが、投票権を持っていない。

ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、パラオ、のミクロネシア諸国は、独立にあたり米国との間で自由連合盟約(コンパクト)と呼ばれる軍事的・経済的協定を締結した。米国が同諸島地域に対して安全保障上の権限を有することの見返りに膨大な援助金、米国市場向け輸出品に対する関税免除、気象・郵便・航空行政・教育・医療に関する技術協力などを提供することが約束された。「安全保障上の権限」とはたとえば、マーシャル諸島のクワジェリン環境におけるNMD(米本土ミサイル防衛)の実験がある。その他、パラオにおいては、第三国軍による同諸島への接近や土地使用が禁止され、また米核搭載船、核搭載航空機のパラオ領域での運行が可能であり、いくつかの空港・港を独占的に使用し、米国は必要に応じて基地使用のための土地を要求できるというものである。

米国の軍事的利用が保障されたうえで独立が認められ、経済援助の提供が約束された。パラオ政府においては、その非核憲法と米国の軍事戦略が衝突したために、他のミクロネシア諸国よりも独立の時期が遅れた。沖縄は日本復帰によって日本に施政権が移されることにより、民主的な政治体制下におかるようになったが、米軍基地は残され、ミクロネシア諸国と同じように米国の安全保障上の権限が確保されることが日本復帰の前提とされた。

米国海軍・空軍の基地がおかれたグアムでは2000年、新たに潜水艦部隊の設置が決定され、さらに、一時期、民間への払い下げが予定されていた海軍の船舶修理施設がそのまま海軍の管理下におかれることになった。また、2000年、二回目の米空軍と日本の航空自衛隊との共同演習がグアムで実施された。クワジェリン環礁におけるNMDの実験場は、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)や中国の核ミサイルに対抗するためとして近年、注目を集めている。沖縄においても名護市に新たな海上ヘリポートの建設が予定されており、米軍基地がおかれた西太平洋島嶼の軍事的機能が重視されつつある。これは北朝鮮問題、中台問題だけに対応した動きではなく、インドネシアにおける各種紛争や分離独立運動、フィリピン・ミンダナオ島における内戦、ソロモン諸島やフィジーにおける民族抗争など、西太平洋地域が不安定化していることに対する措置でもあろう。

西太平洋の島々は軍事の島であるとともに、観光の島でもある。観光地としては沖縄、グアム、北マリアナ諸島、パラオが有名である。これらの島々は綺麗な海や戦跡を観光資源とし、格安パッケージツアー、短い滞在期間、日本本土からの近さなど観光内容において類似しているという意味でそれぞれ競合関係にある。観光客市場や、観光関連投資でも日本に大きく依存している。

台湾の海洋戦略においても、沖縄と太平洋の島々は重要拠点として位置づけられている。台湾は太平洋諸国に対して積極的な外交活動を展開しており、現在、台湾と外交関係を樹立した国は、パラオ、マーシャル諸島、ソロモン諸島、ナウル、ツバルである。一時期、トンガも台湾と外交関係をもっていたが、中国に切り替わり、1999年、パプアニューギニアが台湾と外交関係を締結しようとしたところ、豪州の介入により、それが頓挫した。パラオは2000年12月に台湾と外交関係を結んだが、台湾は日本に次ぐ観光客市場であり、衣料製造、ホテル建設・経営、銀行などへの投資などを国民党、民間企業などが活発に行うとともに、台湾政府によるODA活動も顕著である。台湾は沖縄においても投資活動を推進しており、沖縄側も身近な外資として台湾企業の進出を歓迎している。台湾は太平洋諸国と外交関係を締結し、投資を行い政治経済的関係を強化することで、中台関係が悪化した場合に備えて、太平洋諸国の支援を期待するとともに、資本や台湾人の逃避地として太平洋の島々や沖縄を重視しているように思われる。

3.太平洋島嶼との連合

以上のようにさまざまな関係性により沖縄と太平洋諸島は結びついているが、太平洋諸島の経済自立にとって沖縄の存在は大きな意味を持っている。たとえば、太平洋諸島には熱帯果樹が豊富であるが、害虫駆除技術が存在しないため日本への輸出ができない状況にある島々が少なくない。沖縄では既にウリミバエ、ミカンコミバエを駆除し、果実などを日本本土に移出できるようになった。害虫駆除技術を太平洋諸島に移転すれば、物産の輸出振興につながるだろう。その他、沖縄におけるランなどの花卉栽培技術、黒真珠養殖技術なども太平洋諸島の発展には有効である。閉ざされた空間である島嶼には生物の稀少資源が豊富であり、サンゴ礁に囲まれた島では真珠の養殖が適している。黒真珠に関しては既にクック諸島、マーシャル諸島、仏領ポリネシアで商業化が進んでいるが、その他の島でも養殖成功の可能性はある。

さらに重要なのは、島の資源を製品化して、それを日本のマーケットに販売する方法であるが、沖縄特産物の全国市場への普及などに関しても沖縄には多くの経験と蓄積があり、太平洋諸島の経済発展に役立てることができる。

沖縄と太平洋諸島はサンゴ礁に囲まれ、気候や植生などにおいて多くの共通性がある。また、社会構造的にもゆったりとした生活リズム、人間関係の繋がりを重視することなども似ている。上に指摘した技術移転を行う際にも、沖縄県人の投資家・技術専門家は太平洋諸島の環境に馴染みやすく、また技術研修のために沖縄に来る太平洋諸島の人々も沖縄の風土に馴染みやすいだろう。

太平洋諸島との連合を強化することで沖縄側には次のような利点がある。

(1)沖縄県の失業率は全国一高く、特に若年層の失業は大きな問題である。これらの失業者に一定の技術訓練を施し、太平洋諸島に派遣すれば、人材の有効活用につながる。太平洋の人々との草の根的な交流を行えるとともに、一定程度、経済発展を遂げた沖縄が世界の途上国、特に太平洋諸島の発展に貢献することができる。

(2)太平洋の島々に経済的拠点をおくことで、太平洋上に拡がった多様な経済的ネットワークを利用することが可能になる。たとえば、ミクロネシア諸国が米国と締結したコンパクトにより、米国市場に数量制限や関税なしに商品を輸出することができる。実際、台湾、香港の企業はサイパン、パラオ、ヤップなどに衣料工場を設置し、米国市場に向けの輸出を大々的に行っている。また、太平洋諸国は豪州、ニュージーランドへの製品輸出を関税免除で行うことができる。そのほか、太平洋諸国はEU市場に対する製品輸出において関税免除、価格変動保証等の特恵措置が施されている。

沖縄が持っている日本本土とのネットワークを利用して太平洋諸島から輸入した資源を、沖縄において日本市場向けに加工し、販売することもできよう。(3)台湾の海洋戦略のように、太平洋諸島との経済的・文化的交流を推進することで、世界における沖縄の発言力・外交力を強化できる。沖縄はSPFにオブザーバーとして参加して太平洋諸国との交流を深めることも、太平洋における沖縄の声を発信する一つの方法である。
沖縄は太平洋諸島から次の諸点を学ぶことができる。太平洋諸島では現金獲得の一手段として島全体をタックスヘイブンとし、外国企業、特に金融会社の投資を誘致している。しかし、ナウル、バヌアツ、マーシャル諸島、パラオ、クック諸島などが税の逃避地となり、また、ロシアン・マフィアのマネー・ロンダリングの場所として利用されているとして、OECDなどの国際的機関が懸念を表明している。沖縄でも地域開発のためとして沖縄本島北部に金融特区を形成する構想が提起されている。沖縄の金融特区が税の逃避地やマネー・ロンダリングの場所として利用されないように、太平洋諸島のタックス・ヘイブンの実情を学ぶ必要がある。

さらに、自由貿易地域に関しても太平洋諸島の事例が参考になる。沖縄の那覇空港近くに設置された自由貿易地域が成功にいたらず、現在、一層の減税措置を施した特別自由貿易地域が中城湾工業地帯におかれ、投資誘致の起爆剤にしようとしている。太平洋諸島の中でも例えばフィジーの自由加工地域で製造された衣料品の輸出が好調であり、主要産業にまで成長した。その理由は、豪州が太平洋諸国に提供している輸出品に対する免税措置を利用しているからである。自由貿易地域を設置するだけでは不十分であり、製造された商品の販路も確定しなければならないことがわかる。

4.島の制約を超えて広大なる海へ

経済活動の場を島に限定してきたことが島嶼における経済自立を困難にしてきた。島嶼は、巨大市場からの遠隔性、消費市場としての狭小性などにより民間部門の発展に大きな制約がかせられてきた。その結果、財政資金として大国からの補助金に依存するようになり政府部門の肥大化を招き、観光業や基地関連産業などへの特化を余儀なくされた島が多い。島という制約を超えて、広大なる海を島嶼の経済的活動の場にしたらどうであろうか。

沖縄は補助金や観光市場を日本本土に大きく頼ってきたという意味で、復帰後これまで主に日本本土との間に経済的ネットワークを形成してきたといえる。沖縄の産業構造を多様化するためにもさまざまなネットワークを太平洋上に構築する必要がある。ネットワーク形成の方法としてはさまざまなチャンネルが考えられる。東京にSPF事務局と日本政府が共同で出資して設立したPIC(パシフィック・アイランド・センター)がある。この国際機関は太平洋諸国の物産を日本市場に輸出するために情報提供、見本市・商談会の開催などを行っている。沖縄の業者もPICを通じて太平洋諸島物産の生産・販売に関わることができる。現在、「わした」など沖縄特産物の販売所が日本各地にあるが、将来的には「島ブランド」として太平洋諸島の物産も販売すれば、日本市場において同地域の物産に対する知名度も向上するだろう。

また、JICA(国際協力事業団)の太平洋諸国に対する援助スキームを利用して、沖縄県民が同地域への技術援助のために派遣されたり、沖縄にあるJICAの国際センターに多くの太平洋諸島民を招いて技術研修を行うことで沖縄が蓄積した技術を移転することができよう。さらに、沖縄の大学・高校生と太平洋諸島の大学・高校生との交換留学や短期ホームステイを活発に実施することで、21世紀を担う若い世代同士の交流が促されよう。

両地域の経済交流を行うにあたって問題となることは島と島との距離であり、それによって物産の輸送費が高騰するのではとの懸念もある。しかし、まず、沖縄から距離的に近いグアム、パラオ、サイパンなどの西太平洋諸島との間に航空路線を開設すれば、さらに東方の島々へは幾つかの乗り継ぎで連絡可能ある。空輸にすることにより採算性が合う商品として黒真珠、ランなどの高級花卉、マグロなどが考えられるが、今後、島の稀少資源の商品開発により少量高価格の商品が生まれてこよう。また、日本の端境期を利用したトンガのカボチャのような輸出商品も見出されるだろう。

現在、太平洋諸島には日本企業を初めとするアジア企業の進出がみられ、またアジア諸国の製品が商品棚に並び、アジア人が労働者として働いている。パラオの人口は約1万7000人だが、そのうち約4000人はフィリピン人である。また、先に台湾の海洋戦略について述べたが、それに対抗すべく中国も太平洋諸島への政治経済的拠点づくりを積極的に行っている。将来的にも太平洋諸島とアジアとの関係は深化していくだろう。その際、沖縄がアジア諸国と太平洋諸島との中間的位置にあることから、両地域の中継的役割を果たすことができるだろう。沖縄はアジア的要素、日本的要素そして太平洋的要素をもつチャンプルー(ごったまぜ)文化を特徴としている。異なる文化を自らのものとしている。沖縄という場において太平洋諸島、アジア諸国、日本の人々が接することで、文化の相互理解がすすみ、太平洋諸島物産の商品化、販売にも道が開けてこよう。
アジア諸国間の物流拠点としては香港、シンガポールなどが確立しており、経済発展のレベル、社会構造上の違いから考え、沖縄が新たなアジア間貿易の中継地点になる可能性は大きくないと考える。しかし、現在のところ、アジア諸国と太平洋諸島との経済的、文化的交流を促進する中継拠点は存在しない。21世紀の沖縄のイメージとして、アジアの海と太平洋とを結びつける中継地点として展望することは可能であり、海の民として沖縄の人々の本領を発揮することができる。

楽園としてのイメージで見られやすい沖縄や太平洋諸島は、実際、解決困難な多くの問題に直面している。たとえば、ツバル、キリバス、マーシャル諸島などのように、地球の温暖化により国土が海面下に沈む懼れが生じてきた。また、フィジーではフィジー人とインド人、ソロモン諸島ではマライタ人とガダルカナル人のように民族対立も激化してきた。ソロモン諸島、パプアニューギニアなどでは樹木伐採による資源枯渇、鉱物資源採掘にともなう公害が深刻化しつつある。ニューカレドニア、仏領ポリネシア、ブーゲンビル島では自治権拡大運動が続いている。その他、都市への人口集中と貧困化、輸入食品への依存による糖尿病の頻発など楽園イメージとはおよそ異なる現実がある。沖縄にも基地の存在にともなう問題、開発による環境問題も発生している。太平洋諸島との関係が深くなるにつれて、これらの問題解決に対する沖縄への期待も高まってこよう。それに備えて、諸問題を研究し、解決策を実施する島嶼問題を専門に扱う国連機関の設置が望まれよう。

21世紀の沖縄は世界に対してどのような役割を果たし、沖縄らしさに基づいた経済自立を達成することができるのか。アジアと太平洋諸国との中間的位置にあるという地理的有利性を活用して、沖縄が太平洋における万国の津梁になるように祈りたい。

本論は『世界』2000年11月号に掲載されたものを著者と出版社の許可を得て転載させていただきました。(やしの実大学事務局)
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