太平洋島諸国・国際政治講座

【第1回講座】グローバル化時代における太平洋島嶼国と日本の新たな関係

5.太平洋地域における日本の経験
(1)ヤポネシアからの観点

日本には太平洋島嶼国との共通点が多い。北東から南西へと弓状に伸びる長さ3000キロの日本は、大小7000の島々からなっている。国土面 積は37万8000平方キロ強で、これは英国の約1.5倍に相当する。これを、パプアニューギニア(46万2000平方キロ)、フィジー(1万8000平方キロ)、サモア(3000平方キロ)と比べてみるとよい。ミクロネシア、ポリネシア、メラネシアなどと共通 の島嶼性があることから、一部の日本人作家(たとえば島尾敏雄)は日本を「ヤポネシア」と呼んでいるが、言い得て妙ではないか。日本人の起源を正確に知るのは困難だが、少なくとも部分的には南の島々から移り住んできた人々を含むのではないかと一般 に考えられている。興味深いことに、特定分野の日本語、特に海洋生活に関する言葉の中には、日本語とオーストロネシア語族の間に類似性がある(註9)。南の島々と歴史的な関係があるという一般 に行き渡っているこの考えの詩的表現として有名なのは、島崎藤村(1872年~1943年)の「椰子の実」である。これは、遥か遠くから日本の岸に流れ着いた椰子の実を歌ったものである。
大海原にある名も知らぬ島から椰子の実を日本の岸まではるばると運んできたのは、黒潮だと思われる。しかし、昔の日本の船乗りが外海へ出ることを阻んだのも黒潮であり、このため、日本人と太平洋島嶼人は、何世紀もの間互いに出会うことなく暮していた。日本人は、海難事故から生きて戻った船員や漁師を通 して、太平洋諸島のことを聞き伝えに断片的に知ることができたが、徳川時代の鎖国政策のもとではこうしたわずかな情報でさえも厳しく規制されていた。変化が起きたのは、日本人がヨーロッパの船員から近代的な航海術を学んだ19世紀のことであった。この頃までには、太平洋諸島のほぼすべてが西欧諸国の植民地になっていた。

(2)太平洋における日本の関心の芽生え

太平洋諸島に対する日本の関心が芽生えたのは、各国が凌ぎを削っていた20世紀初頭の国際政治に日本が海軍大国として参入するようになってからであった。第一次世界大戦で勝利を収めた日本は、それまでドイツに占領されていたミクロネシアを、国際連盟の委任統治領という形で手に入れた。太平洋戦争の時代、トラック環礁 のデュプロンを初めとする島々は、日本帝国海軍連合艦隊の基地として用いられた(註10)。ギルバート諸島のマキンとタワラ(現キリバス)やソロモン諸島のブーゲンビルとガダルカナルをはじめ太平洋諸島の多くは、日本と連合国の激烈な戦いの場となった(註11)。
第二次世界大戦で日本が敗れたことにより、約20年間続いた日本のミクロネシア領有に終止符が打たれた。その後、ミクロネシアは国連の戦略的信託統治制度のもとで米国に統治されることになる。
第二次世界大戦の終結後は、戦時中の思い出に浸る元軍人を除けば、日本人が太平洋諸島の出来事に関心を寄せるのは稀であった。太平洋諸島が日本の政策決定者や指導者の注目を集めるようになったのは、ようやく1970年代半ばになってからである。1970年代末には、ポリネシア人とメラネシア人のほとんどが政治的な独立を達成していたことから、こうした島嶼国の政治的・経済的な発展に日本も協力できるようになった。1980年代と1990年代にはミクロネシア諸島の3地域も独立国としての地位 を獲得し、日本との外交関係を樹立した。このようにして、遅れ馳せながらではあるが、日本も太平洋島嶼国の政治的・経済的発展を支援する態勢ができたのである。

(3)太平洋島嶼国の国家形成に対する支援

太平洋地域を対象とする日本の政府開発援助(ODA)は、量的には日本のODA全体の1%程度を占めるに過ぎないが、パプアニューギニアを除いた援助対象国は規模が小さいので、これは不思議ではない。むしろ、ニュージーランド、オーストラリア、米国との対比で日本の援助を捉えるべきである(表1を参照)

次の表は、太平洋地域とカリブ海地域における日本のODAの代表的な事例を挙げて、両地域に対するODA政策を比較したものである。

ただ、ODA政策は金額面だけで捉えてはならない。評価の重要な根拠になるのは、明確な目標に基づいて一貫性のあるODAが提供されているか否かである。太平洋島嶼国に対する日本のODA政策は、この点で改善の余地がまだまだあることは否めない。太平洋地域における日本のODA政策の現状を大まかに把握するため、最近の日本のODA計画を援助機関別 かつ種類別に略述する(註12)。

◆海外経済協力基金(OECF)
OECFはパプアニューギニアとフィジーを対象に円借款を供与している。パプアニューギニアに対する1998年3月末現在の円借款供与承認累計は計13件、約586億円で、国際・国内航空網および陸上輸送網の整備のための支援に重点が置かれている。一方、フィジー向けには、1992年2月、ナンディ地域の観光開発と住民用の飲料水確保を目的とした上水道整備事業に22億8700万円の円借款が供与された。域内のこれ以外の小国はOECFの円借款を受ける資格はないが、経済基盤が小さいこれらの国々は、日本の無償資金協力や技術協力を受けてきた。こうした国々に援助を提供するのは次に述べるJICAである。

◆日本国際協力事業団(JICA)
技術協力と無償資金協力を主たる任務とするJICAは、14の太平洋島嶼国を対象に事業を展開しており、パプアニューギニア、フィジー、サモアに事務所を構えている。また、トンガとバヌアツを含む6カ国に青年海外協力隊(JOCV)を派遣している。1997年度には、JICAの活動費1574億円の3.1%に当たる46億円が太平洋島嶼国向けであった。支援事業の内容としては、人材育成やBHN(人間として基本的に必要なもの)に優先順位 が与えられている。

◆太平洋諸島センター(PIC)
まだ歴史は浅いが特筆すべきはPICの活動である。1996年SPFの要請をもとに東京に設立されたPICは、島嶼国と日本との間の各種の情報(島嶼国の投資環境、貿易ディレクトリー、観光情報、日本市場に関する情報)の仲介者として機能している。たとえば、1998年11月には、外務省と通 産省の支援のもとに、東京で開かれた南太平洋総合展示会および投資促進セミナーをJETROおよびSPF事務局と共同で開催した。今後、在シドニー、オークランドの南太平洋貿易事務所や地域機関の1つ南太平洋観光機構などと提携しながら、活動を展開していくものと期待される。

◆NGO
太平洋島嶼国の問題に関心を持つ日本のNGOやNPOはまだ少ないが、いくつかの活動を紹介する。第一は、太平洋島嶼国に関心のある財界人、元官僚、政治家などが1975年に設立した日本南太平洋経済交流会(JASPA)である。JASPAは毎年島嶼国へ経済交流ミッションを派遣し、すでにその回数は21回を数えている。この経済交流ミッションは主に民間企業からなるが、通 産省、JETRO、OECFなどの政府機関や準政府機関からも参加者があり、通 常官民混合の構成となる。
笹川太平洋島嶼国基金(SPINF)は、太平洋諸島民の福祉を真剣に捉えているNGO/NPOである(註13)。それ以外にも、情報研究基金(FAIR)の太平洋島嶼国委員会は、太平洋諸島に関する問題で一般 の啓蒙や政府への政策提言など、積極的な活動を展開してきた(註14)。

(4)サミットへ向けて:PALM 2000

日本政府は、1997年10月13日に東京で開かれた島サミットに南太平洋フォーラム(SPF)諸国の指導者を招待した。会議には、クック諸島、ミクロネシア連邦、フィジー諸島共和国、キリバス共和国、マーシャル諸島共和国、ナウル共和国、ニウエ、パラオ共和国、ソロモン諸島、トンガ王国、ツバル、バヌアツ共和国の大統領または首相が出席した(オーストラリア、ニュージーランド、パプアニューギニアは外務大臣を派遣し、サモアは副首相兼大蔵大臣を出席させた。SPFの事務総長も会議に出席した)。
このサミットでの基調演説の中で当時、橋本龍太郎首相は太平洋島嶼国との貴重な関係をさらに深めるために、「4本の柱からなる協力」を打ち出した。

この4本の柱とは、
 (1)太平洋島嶼国の自主性を尊重した協力
 (2)経済的自立を図るための協力
 (3)人材開発に重点を置いた政府開発援助を通した協力、および
 (4)グローバルな問題に対処するための国際的なフォーラムにおける協力
であった(同年12月に京都で開催予定の気候変動枠組み条約第3回締約国会議(COP3)に関する言及もあった)。

日本政府がサミット開催のイニシアチブを取った理由は想像に難くない。太平洋諸島地域に対する日本の経済的関心は、島嶼国の海洋資源、鉱物資源、森林資源にある(例:ミクロネシア、マーシャル、パラオ、ソロモンのマグロやカツオ、PNGの銅や石油、PNGとソロモンの木材)。また、島嶼国周辺の海域は重要な航路であり、この航路を経由して、中東からの石油やヨーロッパからの核燃料材料をはじめ重要な資源が日本に輸出されている。日本は、太平洋島嶼国が国連の改革でも日本を支持し続けてくれることを大きく評価している。
こうした日本の関心は、先に述べたように太平洋島嶼国に対する経済援助や、SPFの域外諸国との対話への参加という形で表明されてきた。日本と太平洋島嶼国との関係をさらに深めるための機はすでに熟している。日本政府が日本・南太平洋フォーラム・サミットの開催を3年前に提案したのは、こうした理由からである。最近、日本と太平洋島嶼国は今年4月22日に宮崎で第2回会議を開くことで合意した。これがPALM2000である(太平洋・島サミット)。

註2:"Little hope in trade pact", The Business Authority, Barbados, March 30, 1998; "CARICOM seeks longer transitional periods into FTAA", The Broad Street Journal, Barbados, April 8, 1998.
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