ミクロネシア講座

ミクロネシアン・セミナー

[第5回講義]自殺を防止するために何ができるか?

- フランシス・X・ヘーゼル、S・J - What Can We Do to Prevent Suicide?[1989]

かつて私はある人から、私が過去12年間にわたってミクロネシアの自殺について研究し、論文を書いているなら、どうして自殺を防止する手段を提案しないのか、と聞かれたことがある。私は、そのような問題に対処する姿勢、つまり医者のように処方箋を書いたかと思うと次の患者を診る、ような姿勢は好ましくないと考えているからだ、と答えた。私は自分の役割を、他の人々とともにコミュニティにおける社会問題を研究し、問題の根を自分で理解するとともに他の人々にもなるべく深く理解してもらうことだと考えている。私は常に、問題の複雑さへの理解が深まれば、コミュニティが最善の対策を講じる、と信じてきた。そして私の確信は常に十分に裏付けられてきた。

私は教育者として、たとえそれが痛みを感じさせるものであっても質問をし、問題のなかで自分が光りを当てられるという部分を明るみに出し、他の人々も促して、自分たちの目の前にある問題を考慮すべきだと考えてきた。私はコミュニティでの教育とは共同作業であると考えている。人々が、本当に問題があると考え、なぜ、どのようにして問題が発生したのかを考えれば、人々は努力をして問題の解決を目指すだろう。コミュニティへのこのような確信をもとに、ミクロネシアに関するセミナーをはじめとする多数のプロジェクトが組まれてきた。昔ながらの信用組合、共同組合、さらに最近では無教育者や恵まれない者の意識向上運動などの教育活動の根底にあるのはこのような考え方である。私はこのような考え方は好ましいものであり、安易に無視してはならないものだと考えている。

だが、私が長期にわたってミクロネシアの自殺に関する研究を続けてこられたのは、ミクロネシアの社会から甚大な支援を得られたからにほかならない。おそらくミクロネシアのコミュニティが認めている以上に、また私が感じている以上に私はミクロネシアのコミュニティから助けられてきたのだと思う。そこで、古い考え方に従いたいと考える教育者の端くれとして、及ばずながら、わずかながら恩義を返したいと思う。

また私はミクロネシアを外部から見ている者として、恐らくは正しいとは思いながらも暫定的な仮定にもとづいて、及ばずながら提案をさせていただきたい。このような状況では、我々のような研究者は、リスクを犯すことを非常に警戒する。だが、私が「生か死か」と呼べる問題だと感じていることをミクロネシアの人々と共有することは正義にかなったことだろう。

私がここで提案する自殺防止策は、私の12年間にわたるこの問題の取り組みとその結果 としての問題への理解にもとづくものだ。問題を私と同じように理解していない人々は私の提案を受け入れられないかもしれない。私の提案は問題の各層に介入することを狙ったもので、この方が問題に一面 的に取り組むより効果的だと考える。自殺とは多面的な現象であり、出来るだけ多くの方角から取り組むことが望ましいだろう。

  • 自殺率上昇の一番大きな原因は、1960年から各地で見られた大家族制の崩壊であると私は考えている。大家族制は、子どもを育てるうえで、母方の家族、父親、父方の家族の役割のバランスがうまく図られたものだった。大家族制度では一族のなかで権限が幅広く分散され、多数の人々が支援を提供するとともに緊張が見られる時には緊張を緩和する役割を果 たした。ここでは深くは触れないが、最近になって昔のバランスが崩れ、一族からの支援が消滅し、両親の権限が大幅に拡大した。問題は両親が子どもと一緒に過ごす時間が少ないことではなく、余りにも多くの時間を子どもと一緒に過ごすよう強いられることだ。両親の役割は20、30年前の両親と比べるとかなり拡大し、複雑になった。

    現在の親が、母親であれ父親であれ、新しい役割に慣れれば、両親が今感じている困難はある程度緩和されよう。だがそれまで、我々は、たとえばラジオ番組などを通 してコミュニティの啓蒙を行うことができるのではないだろうか?内容としては(1)最近、家族にどのような変化が見られるようになったのか?(2)なぜそのような変化が起きたのか?(3)今日の母親や父親は親としてどのような役割を果 たすことを期待されているのか?などだ。時計を昔に戻して昔の家族制度を作り直すことはできないかもしれない。だが人々が現在の変化を理解して、頭をくらくらさせるような変化に対応するのを支援することはできる。

  • 昔の大家族制度は家族のなかでの権威を確立しただけでなく、若者たちが自分の悩みを相談できる相手を提供してくれた。ミクロネシアのほとんどの地域で、カウンセリングやサポートを提供するシステムが家族のなかに組み込まれていた。パラオでは母親の姉妹が、マーシャル諸島では祖父母が、ヤップでは母親の兄弟が、若者の相談相手となり、問題が起きた時には若者をかばってくれた。だがこのような関係はもはや存在しなくなってしまった。悩みを持つ若者が家族のなかに、温かく悩みを聞いてくれ、自分をかばってくれる人を見つけることは難しくなった。外部の人に両親に悩みを話すうえでの助けを求めるのが難しくなった。

    昔の大家族制度を取り戻せないのなら、家族のなかでこのような支援を提供できるような新しいメカニズムを作ればよいのではないだろうか。ハワイをはじめとするポリネシアの島々では、毎週、あるいは二週間に一度家族が集まって家族のなかの問題を話し合っている。ミクロネシアでもこのようなことができないだろうか?トラック諸島の人々はこのような話し合いを葬儀の場で行っている。ではこのような話し合いをもっと頻繁に、例えば毎週とか毎月できないだろうか?教会での活動に積極的に参加している家族では家族の祈りの時にこのような話し合いができないだろうか?両親以外の年長の親族が若者たちとの対話を率先して行い、悩みを話すように奨励してはどうだろうか?これには意識の変化が必要となるが、我々は最近になって諸々の変化をもう十分に体験してきており、さらに変化をもう少し体験しても良かろう。だがこのような対策がいずれも奏功しない場合には、カウンセラーや危機介入センターのような外部からの支援を要請することが必要となるかもしれない。だが外部からの支援は、私が提案した家族のなかを変えることほどの効果 はもたらさないだろう。

  • 両親や配偶者との間で摩擦を体験してきた人々は家族の愛情を「試そう」とするが、試される側の人はそれに気づかない。父親が自分より他の兄弟をかわいがっていると感じている少年は、父親の自分に対する愛情を確認するために父親に金をせがむ場合もある。家庭を数週間離れていた若い夫は、妻が浮気をしていないかどうかを確認するために、深夜に一緒にディスコに誘うかもしれない。このような行動は理解に苦しむと考える向きもあるかもしれない。だが相手の出方次第で、本人が自殺をする結果 になる可能性も十分にあるのだ。

    テストをされる側は、例えば酔っぱらった息子が友人ともっと酒を飲むために金をせびりに来たときなど、相手の要請に応じなくてはならない理由がないと考えた場合には拒否すれば良い。だがその時には少なくとも次の2つのことをすべきだ。(1)なぜ要請に応じられないかを詳しく説明する。(2)要請には応えられないが相手の愛していることを相手が理解できるように説明する。これだけの簡単なことをするだけでずいぶん多くの自殺を防止することができるだろう。また、若者に愛情とは食糧や金銭、贈り物などで測るべきものではないことを、難しいことだが教える努力もすべきだろう。これは若者を対象とする広範囲な教育活動などを通 して行うべきことだろう。

  • ミクロネシアの人々も、外国人も、若者たちが自殺を理想化していることは十分に認識している。特にトラック諸島、ポナペ、マーシャル諸島などではこの傾向が顕著に見られ、ミクロネシアの他の島々でも同じ傾向が見られる。愛の歌には自殺の言葉がよく使われ、若者たちは自殺を仲間内で平気で口にし、時には自殺をする約束を交わし、自殺をして家族や友人たちの嘆きを誘った若者を尊敬したりする。だがもっと衝撃的なのは、大人のなかに若者の自殺行為を利他主義だとか英雄的な行為だと見る人々がいることである。ミクロネシアンの大半の人々が本当に自殺が名誉なことだと考えているなら、このような論文はまったく無用であり、このような努力は放棄して、自殺率が上昇するに任せた方が良いだろう。若者たちは年上の人々の基本的な価値観をするどく察知する。若者たちが、年上の人々が自殺を美化しているとの印象を受けたなら、喜んで首を吊るだろう。

    私は常に自殺は命の無駄使いだと考えており、同じ管区の他のカトリック司教たちも私の考えと同じ考えであると断言できる。ネイロン司教は3年前に「自殺は身勝手な行為である。家族に甚大な悲しみを与え、コミュニティ全体を弱める」と書いたが、自殺者を個人として、またその背景を批判するのではなしに、私はネイロン司教の考えに全面 的に賛成する。ネイロン司教はまた同じ書簡のなかで「自己破壊を愛情の行為だとか家族を若いさせるための寛大な行為だと考えるのは間違っている」と書いていることにも注意を喚起したい。自殺は文化的に受け入れられる行為だと考えている人が多いが、私はそれは話にもならない話だと考えている。たとえ自殺がかつて文化的に認められた行為だったとしても、福音書にもとづいて頭狩りや一族の内部闘争と同じようにその意味を改めて判断すべきものだろう。福音書には、人間の命は尊いものであり、尊厳に満ちたものであることが明記されている。

    では死を美化する傾向をどうしたら排除できるのだろうか?自殺は名誉の死ではなく、他人に不必要な悲しみを与えるものであることを、どうしたら理解させることができるだろうか?中世のヨーロッパでは体を切断し、道の真ん中に置いて、人々が踏みつけられるようにした。我々はそこまではやらないが、自殺者を讃えるべきではない。ネイロン司教は、自殺者の遺体はすみやかに、簡単に、誇示することなく埋葬すべきだと書いている。また自殺者の葬儀は、教会での儀式や一般 の人々の祈りの機会などを設けずに行うべきだとも提案している。これは、教会や家族、社会が自殺行為を認めていないことを明確に誇示することが目的だ。このような方法を採ることは家族にとっては難しいことだろう。だがそうすれば愚かな若者が自分の死を通 して周囲の注意を集めようなどとは考えなくなる。ミクロネシアのように葬儀が大々的に行われ、重要だと考えられている地域では特にこのような態度が大切となる。ミクロネシアの人々が率先して死を美化するのを止めることが理にかなったことだと思われる。

  • 我々は自殺に関する研究を進めていくうちに、家族との間に問題を抱える若者が精神的バランスを維持するのを支援するにはどうすれば良いのかについて自問自答するようになった。同じ問題を抱えていても自殺をする若者としない若者がいるが、自殺を思い留まらせるのは何なのだろうか?家族との人間関係で全く精神的バランスを失ってしまう若者もいれば、同じような問題をかかえながらも生き続け、問題を乗り越えられる若者がいるのはどうしてなのだろうか?生き続ける若者の方が自殺を選ぶ若者より家族への愛情が深い、ということはないと我々は感じている。いや、多くのことに関心を持ち、いろいろな分野で能力を発揮している若者は、家族との問題にまっこうから苦しまないような術を心得ているのではないだろうか?バスケットボールのスター、勉強の面 での優れた頭脳の持ち主、若者グループの運営に関与している少年などは、家族との生活がもたらす様々なストレスや緊張から自分を守ることを知っているようだ。最近の例から見て、このような若者が全く自殺とは無縁であると言っているのではない。だがこのような若者たちは人生をうまく切り抜けているようだ。

    コミュニティが中心になって、クラブやグループを組織し、若者がさまざまな分野の能力を発揮できるような場を作れば、自尊心を強化し、自殺への抵抗力を増せるのではないだろうか?能力を強化し、関心を広げるのは、家族からのボディブローから守ってくれる鎧を身に着けるようなものだ。若者のクラブやバスケットボールのリーグを自殺を防止する手段として組織するのだ。

  • 自殺の理由に関する話し合いを行うと、アルコールがリストのトップに上がってくる場合が多い。だが自殺の理由としてのアルコールは過大評価されているように思われる。お酒を飲むと抑制が取り外され、感情をもろに表すようになり、自分を嘆くようになり、無謀な行為をしがちになる。飲酒が自殺に大きな影響を与えていることを疑う人はいない。ミクロネシアの自殺者の半数は飲酒のうえでの自殺だ。だがここで、我々は昔ながらの疑問を感じずにいられない。人は酔っぱらうから自殺をするのだろうか?それとも自殺をするために酔っぱらうのだろうか?どちらが原因でどちらが結果 なのだろうか?いずれにしても、若者の飲酒を規制することが自殺の抑制につながることは間違いない。若者の飲酒を抑制するのに効果 的な対策は、自殺を防ぐ優れた手段となろう。

  • ミクロネシアの自殺は、家族との長期にわたる摩擦が理由ではあるが、一方、衝動的な行為でもある。家族に対してカッと憤りを感じて衝動的に自殺をする若者もいる。考える時間もなく、年長で賢明な人と相談する時間もなく、自分の行為の結果 が与える影響を考える時間もない。幸運な家族なら、カッときた若者の後を誰かに追わせ、自殺行為を止めさせることもできよう。だが衝動的な自殺を防止するには24時間誰かに監視させるしかない。衝突のあとで誰かの介入を期待するのは非常にリスクが大きい。

    自殺にいたる衝動的な行為を止めようとするなら、そのような状態が起こるはるか以前から準備をしなくてはならない。衝動的な行為は本人や家族にとって威嚇的なことであることを子どもの頃からの教育や訓練を通 して、また青春の難しい時期に繰り返し語らなくてはならない。また大人が衝動的な鼓動を採るのを自ら避け、身をもって教えなくてはならない。学校内外での教育活動がある程度助けになるが、主なしつけは家庭でなされなくてはならない。長期的に見て、自殺のような自己破壊的行為を効果 的に防ぐ手段は、強く、健康的な家庭での指導である。

    この最後の文章は私の論文のなかでも事実のなかの事実を語ったものであり、自殺防止に関するこの短い論文の結論として最適だろう。要するに、自殺を防止するのは強く、健康的な家族である。

「自殺を防止するために何ができるか?」 「コミュニティ開発」アジア・南太平洋成人教育局。 クーリエ。48号(キャンベラ、1990年4月)27-31

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