ミクロネシア講座

ミクロネシアン・セミナー

[第4回講義]自殺とミクロネシアの家族

- フランシス・X・ヘーゼル、S・J - The Dillemas of Development: The Effect of Modernization on Three Areas of Island Life [1987]
はじめに

過去10年間以上にわたって私たちはミクロネシアの自殺率が過去最高の水準にまで上昇するのを、手をこまねいて見ているしかなかった。我々は1960年から、ミクロネシアの自殺の実状を把握しようと試み、自殺者に関するデータをさまざまな角度から集め、データベースを作って定期的に情報を更新してきた。また10を越える会議や無数のセミナー、ワークショップなどに参加して、最近のミクロネシアに暗い影を落としているこの不可思議で悲劇的な社会的現象を的確に説明する理由はないかと探し求めた。このような衝撃的社会現象には何らかの社会的理由があると我々は考えた。自殺の背景にある文化的理由を探るための調査をより的を絞って集中的に行うために、我々は地理的にミクロネシアの中央に位置し、約5万の人口を持ち、太平洋地域で最高の自殺率を記録しているトラック諸島に注力することに決めた。同僚であり文化人類学者であるロナルド・ルビンスタインは最近までハワイを活動の拠点にしていたが、3年間にわたる民族誌学的研究を行い、何本かの論文を書いた(Rubinstein、1981年、1982年、1983年、1984年、1985年、1987年)。私は彼の研究結果を2つの論文にまとめたが(Hezel、1984年b、1987年)、彼は研究結果として、トラック諸島の自殺の理由の一つに文化的特徴を挙げ、過去20年間の自殺率上昇の理由は社会的変化にあるとの仮説を立てた。本論文で、私は文化的相違を考慮に入れながら、トラック諸島に関する研究結果 をミクロネシア全体に当てはめて考えてみたい。つまり、本論文は、最近の自殺増加に関して一つの社会的説明を加えることを試みたものである。

ミクロネシアで自殺率が目立って上昇しはじめたのは1970年代の初期だった(表1参照)。ここで「ミクロネシア」とはマーシャル諸島、パラオ、ミクロネシア連邦(ヤップ、トラック、ポナペ、コスロ)を指す。不完全かもしれないが、60年代に関するデータでは人口10万人当たりの自殺率は5%だった。20年代、30年代にこの地域を統治していた日本政府がとりまとめたデータによると、20年代、30年代の自殺率は約8%だった(Purcell 1987:8)。

その中間の40年代と50年代には信頼できるデータがないが、前後の時期と比較して自殺率が上昇したことを裏付ける情報はない。70年代初期には自殺率は10.8%まで上昇し、70年代半ばには21.7%へと急増し、80年代初期に28.2%でピークに達した(表2参照)。その後70年代後半とほぼ同じ水準である25.8%まで下落した。このようなデータを全体的に見ると、70年代を通 して自殺率が急増し、90年代に入ってゆっくりと落ちた、と言える。ミクロネシア全体の自殺率の推移と、ミクロネシア最大の群島であり、私の研究対象であるトラック諸島の自殺率の推移が非常に類似していることは特筆に値する(表2)。また西サモアでも自殺率の上昇が見られるが、ミクロネシアの自殺率の上昇パターンと非常に良く似ている(グラフ1参照)。

その中間の40年代と50年代には信頼できるデータがないが、前後の時期と比較して自殺率が上昇したことを裏付ける情報はない。70年代初期には自殺率は10.8%まで上昇し、70年代半ばには21.7%へと急増し、80年代初期に28.2%でピークに達した(表2参照)。その後70年代後半とほぼ同じ水準である25.8%まで下落した。このようなデータを全体的に見ると、70年代を通 して自殺率が急増し、90年代に入ってゆっくりと落ちた、と言える。ミクロネシア全体の自殺率の推移と、ミクロネシア最大の群島であり、私の研究対象であるトラック諸島の自殺率の推移が非常に類似していることは特筆に値する(表2)。また西サモアでも自殺率の上昇が見られるが、ミクロネシアの自殺率の上昇パターンと非常に良く似ている(グラフ1参照)。

表1:ミクロネシアの諸島別自殺者数
ポナペ トラック マーシャル コスラエ パラオ ヤップ 合計
1960 1 4 1 6
1961 1 1
1962 2 2
1963 1 2 3
1964 1 1 1 3
1965 2 2 4
1966 1 1 1 1 4
1967 2 3 5
1968 2 1 1 4
1969 1 1 1 1 4 1 9
1970 1 4 2 4 2 13
1971 4 6 1 11
1972 1 6 4 1 5 17
1973 2 5 4 2 13
1974 3 10 4 3 1 21
1975 8 12 7 5 2 34
1976 5 6 3 4 1 19
1977 5 11 4 1 1 2 24
1978 5 8 10 1 1 6 31
1979 4 19 5 1 7 2 38
1980 4 18 10 2 4 3 41
1981 2 18 9 0 3 5 37
1982 13 4 1 4 4 26
1983 4 13 6 1 4 4 32
1984 4 15 1 2 7 2 31
1985 1 11 8 3 3 2 28
1986 3 15 10 1 3 0 32
1987 10 10 20 0 2 1 43
Total 64 209 123 14 75 47 532
資料:ヘゼルとルビンスタインがミクロネシア・セミナーのために取りまとめたデータ
表2:ミクロネシアとトラック諸島の4年毎の自殺者と自殺率1960年から1987年
【ミクロネシア】
合計 平均 人口10万人当たりの自殺率
1960-63 12 3 4.3
1964-67 16 4 5.2
1968-71 37 9.25 10.8
1972-75 85 21.25 21.7
1976-79 112 28 25.5
1980-83 136 34 28.2
1984-87 134 33.5 25.8
【トラック諸島】
合計 平均 人口10万人当たりの自殺率
1960-63 2 0.5 2.3
1964-67 6 1.5 5.7
1968-71 11 2.75 9.8
1972-75 33 8.25 26.1
1976-79 44 11.0 30.9
1980-83 62 15.5 38.8
1984-87 51 12.75 28.3
グラフ1:1960年から1987年までの、ミクロネシア、トラック、
西サモアにおける人口10万人当たり平均自殺率
グラフ
自殺の特徴

ミクロネシアの島々における自殺率は時期によって大きな相違が見られるが(表3参照)、自殺に関しては共通 の特徴がいくつかある。どこでも圧倒的に男性の自殺者が多く、男女比は11:1になること。自殺者は若者が多く、自殺者の平均年齢は22才で、自殺者の 60%近くが15才から24才であること(Rubinstein、印刷中)。自殺率の上昇がはじまる前と比較して年齢や性別による差が大幅に縮小されたこと。自殺率の上昇が始まる前は、男女比は3:1から5:1であり、平均年齢は30才前後だった(Rubinstein、印刷中)。過去10年間にトラック諸島では、最もリスクの高い、15才から24才までの男子では自殺率が人口10万人当たり70人から206人に増えた(Rubinstein、印刷中)。最も一般的に使われる自殺方法は首吊りだ。立ったまま、あるいは座ったまま輪のなかに頭を入れて前に倒れ、酸素不足で死にいたる、というパターンである。ほとんどどの島でも首吊りによる自殺者が80%を越える。首吊りに次いで多いのが毒薬の注射、拳銃、溺死などである。成人男子のほとんどが泥酔中、あるいは深酒後に自殺をしているが、この傾向は女性や少年にはあまりみられない。

表3:諸島別4年毎の自殺率
1960年から1987年
ポナペ トラック マーシャル コスラェ パラオ ヤップ*
1960-63 0 2.3 0 0 23.0 6.6
1964-67 1.6 5.7 5.5 0 9.1 0
1968-71 2.9 9.8 11.9 6.9 20.8 18.8
1972-75 18.1 26.1 19.5 0 18.1 43.3
1976-79 22.4 30.9 20.0 16.7 25.0 40.9
1980-83 10.6 38.8 22.7 19.2 30.2 60.3
1984-87 16.7 28.3 26.5 25.9 28.8 20.2
注:ヤップとはヤップ島だけに関する数字であり、周辺の島々は含めない。
周辺の島々は文化的に異なり、自殺率も非常に低い。
資料:ヘゼルとルビンスタインがミクロネシア・セミナーのために取りまとめたデータ

ミクロネシアではどの地域をとっても同じような傾向が見られることは衝撃的である。一例を挙げると、常日頃から家族から愛されていないと感じていた 17才の男の子が弟と喧嘩をして怪我をさせ、両親からきつく叱られた。数日後、その青年は泥酔した状態で自宅の外で首を吊って死んだ。別 の島の若者は、自分なりの予定があると言ったにもかかわらず父親から畑で働くよう強く言われた。家族がコミュニティで行われるイベントに出かけた後、その青年は庭に穴を掘り、首を吊って死んだ。また別 の島では、卒業を間近に控えた18才の青年が、両親に小遣いをねだったがもらえなかったことを苦にして自殺した。またさらに典型的な例としては、20代の若者が、2年間同棲し、子どももいる女性との結婚を家族に認めてもらえないことを苦にして自殺した。また別 の若者は自分が肉体関係を持っていた女性が一族のなかで自分に「妹」に当たることを発見し、長期間酒に溺れた後に首を吊って死んだ。10代前半の若者は似たような理由から自殺する。ペットの犬をどこかに捨てた母親に憤りを感じて自殺した若者もいれば、自分が投げた岩が叔父に当たり、叔父に怪我をさせたことを苦にして自殺した少年もいる。夜遅くまでビデオを見ていた少年が家に帰ると叱られると思って自殺したこともある。また78才の病身の男性が家族が自分をないがしろにすることを嘆いた自殺した。73才の喘息持ちの男性は、先妻が子どもとの面 会を認めないことを理由に自殺した。

ミクロネシアの自殺者に関するデータを簡単に見ただけで、欧米諸国の自殺者の理由とは理由が異なることがはっきりと理解できる。慢性的な鬱病や、人生のむなしさ、仕事での失敗、学校の成績の悪さなど、欧米諸国で一般 的に自殺の理由と考えられていることはミクロネシアには当てはまらない。ミクロネシアでは、人間関係、あるいは人間関係の崩壊が自殺の理由である。トラック諸島の自殺に関する理由や背景は、ミクロネシア全体の自殺の理由や背景に当てはまる。「ほとんどの自殺の理由が、自殺者と親、あるいは自殺者より年上の親族(兄や姉を含む)、時として配偶者、との間の摩擦、あるいは予想される摩擦である。」(Hezel、1987年:284)。自分の子どもや自分より年下の人からの敬意や保護者としての扱いを受けられなかったことから屈辱を感じて自殺する人も少なくない。

ミクロネシアの自殺は、特定の、非常に明確な状況に対応して起こる、と考えるべきだろう。ミクロネシアではどこでも、怒りという感情が自殺の理由として大きな割合を占める(表4)。両親や兄姉から願いを断られたり、叱られたり、拒否されたことを苦に自殺をする。ミクロネシアでは、両親や年上の親族に対する否定的な感情をもろに出すことが社会的に認められていないため、侮辱を受けたと感じる人は一人で黙って耐えるか、自殺という手段で自分の憤りを表現するか、ナイフで自分の身に傷をつけるか、食事を拒否する、ような行動に出る。最近自殺をした若い男女のなかには、衝動的な自殺に見えても、実際には家族に対する怒りを数ヶ月、あるいは数年間にわたって持っていた人が多い。直接自殺の引き金になった事件は時期的にはごく最近発生したものである場合が多いが、自殺者と家族の緊張関係を明確に物語っている。だがすでに記したように(Hezel 1987年:285)、彼らにとって自殺は単に家族に対する憤りや広義というよりむしろ、家族からの理解を求める、あるいは家族との和解を求める強烈な願望の現れと見られている。自殺者の13%は、家族との緊張や摩擦の原因が家族の側にあるのではなく、自殺者本人が摩擦の理由となっており、自分が家族を侮辱したり、自分の行動が原因となって家族関係が崩壊するのを苦にして自殺に踏み切ったケースである。自分が投げた岩で叔父に怪我をさせたり、妹と性交渉を持っていた男性などはこの例に当たる。

表4:諸島別自殺の理由:1960年から1987年
理由 トラック パラオ ヤップ ポナペ コスラェ マーシャル
怒り 72% 50% 60% 76% 58% 85%
恥・恐怖 17% 10% 27% 15% 8% 4%
精神病 6% 34% 13% 7% 33% 2%
その他 5% 6% 0% 2% 0% 9%
小計 193 62 30 3 59 5 12 1 91
理由不明 8% 17% 36% 8% 14% 26%
合計 209 75 47 64 14 123

データ:ヘゼルとルビンスタインがミクロネシア・セミナーのために取りまとめたデータ

注:理由に対するパーセント数は明確に理由が分かっている場合のみ。
「理由不明」の理由が明確になれば、上の欄の数字も変わってくる。

調査の対象となった人口そのものが小さく、自殺率そのものが低いため、コスラエは論文の内容の対象には含まれていない。

現在でも過去と同じように、ミクロネシアの自殺の理由の大半が家族との人間関係にある。ミクロネシアの諸島の文化的背景にかかわらず、ここで概説した、あるいは他の論文(Hezel 1984年b 1987年)で詳述した自殺率の推移はミクロネシアの諸島すべてに当てはまることである。

過去の自殺に関して我々が持っている、時系列的には部分的なデータから、どこでも家族との摩擦が自殺の大きな理由になっていることが分かる。1854年の天然痘の流行直後の社会不安の時代のポナペでの自殺数件は、すべて家族との人間関係が原因となっている。(ABCFM:Sturges、1958年10月 26日)。1838年から1841年までの3年間にギルバート諸島のなかのある島では5人が立て続けに自殺したが、これも理由は同じだった。「感情を害したくないと思っている人から受けた侮辱」(1845年Wilkes:V.107)。したがって、ミクロネシアではどこでも、家族の苦しみに対する一つの回答として自殺が行われるというのが昔も今も変わらない一つのパターンになっている。トラック諸島でもギルバート諸島でも見られる自殺の主因が、西サモアの最近の自殺に関するデータからも伺える(Macpherson, Macpherson 1985年)。

ミクロネシアでは今日でも同じようなパターンが繰り返し見られる。自殺が起きた時に難しい状態にあったと思われる人間関係を表す表から、トラック諸島やポナペでの自殺の半分が実際、あるいは養子縁組を結んだ親との関係の難しさから起きていることが分かる(表5)。つまり、トラック諸島とポナペでの年上の家族との摩擦が原因による自殺率がそれぞれ21%と16%増えることになる。このような島々では家族のなかで若いメンバーは年上のメンバーに従い、社会的に適度の距離を置くことが求められている。家族のなかで昔から重要な地位 を占める叔母や叔父との摩擦が全体のなかで非常に小さな割合を占めていることは注目に値する。一方、トラックでもポナペでも、親や他の兄姉との摩擦が7自殺の理由のなかで70%を占めている。諸外国とは異なり、トラックやポナペでは、配偶者や恋人に対する怒りや嫉妬は自殺の理由としては割合が低い。トラックやポナペでは男性は妻に対してかなり直接的に怒りを表現することが認められていることを考えると、これは驚くに値しない。男たちは年上の親族に対しては感情を抑えることが義務づけられているが、妻に対する感情を抑えなくてはならない文化的理由はない。トラック諸島では、またポナペでもある程度は、ミクロネシアの他の島々より自殺の理由がある程度文化的に決まっているようだ。

パラオ、ヤップ、マーシャル諸島では、親や兄姉との摩擦が理由となる自殺の割合はトラック諸島と比べて大幅に少ない。またトラックやポナペ同様、叔母や叔父のように年上の親族との深刻な状況が見られるようなデータもない。パラオ、ヤップ、マーシャル諸島でも基本的には自殺の理由はトラック諸島と大きく変わらないが、各島ならではの、特徴的な理由もある。マーシャルでは自殺の415、パラオでは自殺の27%が配偶者や恋人の不和が理由で起きている(表5)。夫は妻に対する不満を率直に表すことが認められており、時には妻を殴ることもある島の実状を考えると、この数字は非常に高いと言える。侮辱されたり暴力を受けた妻はほとんどと言えるほど実家に戻るが、つらさはあっても、双方の家族にとってそれほど深刻な問題ではない。20世紀初頭にマーシャル諸島に赴任した宣教師は「恋人との不和で起きる自殺はまれである。特定の恋人に満足できない人は、新しい恋人を見つけて自分を満足させる」と書いている(1914年 Erdland:133)。我々が持っている当時の自殺に関するデータもこのような観察を裏付けている。自分が恋している女性に結婚を申し込めなかったり、家族に好きな女性との結婚を妨害されたり、恋人を失った時に家族から非難されたことを苦にして自殺した男性は多い。記録に残っている60年代以前の自殺に関する70例のうち、配偶者に対する怒りや嫉妬から自殺をした人は6人にすぎない。そのうちの3人がパラオだが、クバリー(1990年:31)の言葉によると、パラオはミクロネシアのなかで、「愛情のもつれによる自殺」の伝統が長年にわたって確立している唯一の島、となる。このような自殺はマーシャル諸島には見られない。

表5:人間関係が理由で起きた自殺
関係 トラック パラオ ヤップ ポナペ コスラェ マーシャル
49% 34% 42% 52% 37% 38%
兄姉 21% 10% 7% 16% 0% 9%
親の兄姉 5% 2% 4% 7% 13% 4%
配偶者・恋人 12% 27% 12% 13% 13% 41%
その他の家族 7% 5% 12% 4% 0% 1%
家族以外 6% 22% 23% 9% 37% 7%
小計 154 41 30 56 8 81
理由不明 26% 45% 41% 13% 43% 34%
合計 209 75 51 64 14 123
データ:ヘゼルとルビンスタインがミクロネシア・セミナーのために取りまとめたデータ

調査の対象となった人口そのものが小さく、自殺率そのものが低いため、コスラエは論文の内容の対象には含まれていない。

「愛情のもつれによる自殺」はこれまで少なかったものの、すでにマーシャル諸島やパラオでは重要な理由となりつつある。家族のなかの年長者との摩擦が理由で起こってきた自殺がなぜ、一種の消耗品であるとともに入れ替えのきく妻や恋人との摩擦によっても起きるようになってきたのか、正確な文化的理由はまだ不明である。パラオやマーシャル諸島での「愛情のもつれによる自殺」のほとんどは、妻が他の男のもとに走ると言って脅迫したり、浮気をしていると思われる時など、いわば性的な関係に対する嫉妬が理由で起きている。パラオやマーシャル諸島では、妻に対してさえ男が嫉妬心を見せるのは男らしくない態度と見られていることは重要である。妻が夫以外の男性に少しでも関心のあるような振りを見せると殴られるトラック諸島ではこのような自殺は見られない。自殺は、文化的理由から直接表に出すものではないとする文化圏では、心のなかの否定的な感情に対する一つの解決策としてとられる手段であることを考えると、嫉妬心を見せることが男らしくないと考えられているマーシャル諸島やパラオで「愛情のもつれによる自殺」が多いことを説明する理由にはなる。また他の要因も考えられる。数年間にわたってマーシャル諸島での自殺に関する研究を行ってきたマーシャルのある島民は、妻や恋人に去られることは男にとって恥であり、特に家族の反対を押し切ってつきあい始めた相手の場合にはなおさらである。この島民は、「愛情のもつれによる自殺」と思われるものでも、根底に家族との問題がある場合も少なくない、と指摘する。数年前に起きた事件からも分かる通 り、「愛情のもつれによる自殺」がパラオでも見られるのは同じ理由である。数年前、良家の息子が家族の反対を押し切ってある女性と結婚したが、妻が他の男と家出をし、残された夫は家族からの侮辱的視線に耐えられず自殺した(Polloi 1985年:125-6)。

表5に関して最後にもう一言付け加えたい。パラオとヤップの自殺の理由のなかに「家族以外」という欄があるが、この具体的内容は地域によって大きく異なる。とりわけパラオでは表4から分かる通 り、約3分の1が精神的に問題を抱える人の自殺で、このような人々は自ら命を絶つことによって自分の苦しみに終止符を打とうと考えるようだ。だがもちろんこのような場合でも、精神的病気が理由となった人間関係の煩わしさや不安が自殺の理由の大きな割合を占めてもいる。どの島にも精神病から自殺する人は少なからずいる(表4参照)。ヤップでは「家族以外」と言う場合、精神病が大きな理由とはなっているものの、家族以外の人々との人間関係が重要な影響を与えている場合が多い。ヤップでは他の島々に比べて、広義のコミュニティ、特に村のなかで面 目を失って自殺する人が多いようだ。

社会的変化と自殺

過去のデータから、ミクロネシアでは特に自殺が多いことが分かる。自分より社会的地位 の高い人々、勇気の育成、若者の死に対する無関心などへの憤りの表明、自分の苦しみを愛情の証拠だとする幻想、などの文化的傾向が人々に自殺を選ばせる結果 となっている。だが昔の自殺と過去20年間の自殺増加の間には大きな相違があり、その背景を探る価値は十分にあるだろう。まず70年代に自殺率は大幅な上昇を見せ、70年代の末の自殺率はその10年前の5倍に達した。2番目に特に若者(男性)の自殺率が急上昇を見せた。このような傾向に関するルビンスタインの指摘は、日本政府がこの地域を統治していた時代の統計から当時の自殺者が性別 としても年齢層としても幅広い分布を見せていたことからも裏付けられる(Purcell 1987年:4、6)。3番目に、最近では「愛情のもつれによる自殺」が増えている。パラオやマーシャル諸島では配偶者や恋人に対する嫉妬や怒りが理由となってこのような自殺が多く、またトラック諸島やポナペなど、このような自殺がこれまでなかった地域でも最近では見られるようになった。

70年代に入ってから特に若い男性の自殺が急増しているのはどうしてなのだろうか?その理由を探るための話し合いや会議が多数行われてきたが、このような社会で激しい変化が見られ、社会そのものが混沌とした状態であることが理由であると指摘される場合が多い。ミクロネシアでは近代化によってこれまでまったく存在しなかった「若者文化」が生まれ、若者から広義の家族のなかに社会的根を張っていくチャンスを奪うと同時に、さまざまな誘惑をもたらすようになった。家族が「若者文化」に子どもを奪われたとする苦情を頻繁に耳にするようになった。「若者文化」とは具体的に、同世代の強い影響、尊敬よりは自由の重視、週末にながながと続く酒飲みパーティ、そして若者の心のなかに巣くう空虚感と退屈、などを指す。社会的変化のおかげで若者は家族の呪縛から解放されたが、同時に若者と年長者の間に無数の価値観の相違を生み、それが家族間の緊張を生み出すようになった。価値観の混乱のなかで、若者が緊張から逃れるために自殺という道を選ぶのも理解できる。

自殺急増の理由として近代化、「若者文化」の台頭、そしてそれが従来のミクロネシアの考え方や慣習の中心であった家族関係に与える影響が頻繁に挙げられるが、我々が調査のために収集したデータからは必ずしもこの因果 関係が裏付けられているわけではない。まず、自殺者は、少なくとも従来の基準で図って、人口の中で最も近代化が進んでいるグループの人々ではない(Rubinstein 1985年:92-3)。自殺が増えているのは、郊外に住み、近代化の過程の中間ほどに位 置する若者たちである。たとえばマーシャル諸島の首都であり、港町であるマジュロでは、自殺率が最も高いのは、変化にさらされ収入が増えた、長年にわたってこの都市に住んできた人々ではなく、周辺の珊瑚礁 の村々から都会に出てきた新参者だ。ヤップの遠隔の島々、トラック諸島の西部にある珊瑚礁 の島々、ポナペの離島、マーシャル諸島の珊瑚礁の島々など、今でも比較的昔ながらのライフスタイルが残っているところでは、自殺率は非常に低い。また都心の自殺率も低い。これはつまり、文化的に移行段階にいる人々の自殺率が最も高いことを示している。

ミクロネシアの人々にとって自殺は昔から、特に家族が関与する難しい状態から身を引くための重要な手段だった。したがって、今でも自殺が多いことは、自殺者がある程度従来の価値観を受け入れていることを物語っている。ミクロネシアの自殺者は、自殺することによって自分が家族の呪縛から解放されたことを見せようとしたのではなく、自らの死を通 して従来の家族の価値観に自分が縛られていることを主張しようとしたのだ。自殺者が家族の重要性や両親の権限を否定していたら、自分の憤りや傷を自殺という極端な手段で誇示しようなどとは考えなかったろう。つまり、自殺とは、今の若者の心のなかに、たとえ家族との間に問題があったとしても、生きていく上で家族が重要であるとの価値観があることを示している。家族とは変化から身を守るための防波堤ではなく、変化という虫に攻撃されている制度なのだ。

ミクロネシアでは実際に世代間に価値観の相違が見られるが、だがそれが1970年からの自殺率の急上昇の理由だとは言い切れない。自殺者は一般 的に、家族との間にどのような問題を抱えていようが、義務感の強い若者が多く、反抗的な成り上がりが自殺者に多いわけではない(Hezel 1985 年:121)。過去の自殺者の例を見ると、家族との対立のなかで従来の価値観を重視した若者が多数自殺している。例えば、両親に母親の家族のために食事を作るよう強く求めていた若者が自殺している。家族間の緊張の理由として最も多く挙げられているのが、両親が子どもに食事や物を与えない、結婚の相手を認めない、叱る、などだ。だがこのような問題は以前からミクロネシアでは親子の間に見られてきた。近代化による価値観の変化がミクロネシアの家族間の緊張をさらに増長させているのは事実だが、それが若者の自殺率の急増の直接的要因ではないようだ。以前なら、家族が摩擦を吸収し、相反する考えの家族の感情を和らげる役割を果 たしてきた。家族がもはやこのような役割を果たせないとすれば、家族が従来のような機能を果 たせないことが問題である。

ミクロネシアの家族構成の変化が最近の自殺率の上昇に重要な役割を果 たしているのではないとかと疑える理由はたくさんある。ミクロネシアの人々にとっての家族の絆の重要性は強調して強調しすぎることがないほど重要である。ミクロネシアの人々の幸福感、自尊心は、家族に受け入れられ、家族の支援を受けているという気持ちから発する。最近の自殺のパターンを見ていても、現在でもこの価値観が生きているのが分かる。自殺は彼らにとって、家族の絆が崩壊の危機にある時への対策である場合が多い。1960年以降の自殺の70%以上が、家族との摩擦が理由である。かつては個人を社会生活の荒波から守る役割を果 たしてきた家族がこのような緊張をもはや管理できなくなったとしたら、家族構造の変化による家族機能が低下したことになる。自殺とは常に家族との文化的絆の反映であり、自殺の急増の理由は家族のなかに見いだせると仮定するのが妥当だろう。

だが、これまで示唆してきたことも含めて、他の理由の重要性にも留意したい。どのような病気であれ、病気の流行の理由には感染があり、ミクロネシアの自殺の流行の理由の一つとしても感染が挙げられる。またほとんどの島社会のなかで、若者の社会的地位 が凋落し、自殺だけでなく、不良やアルコール中毒などになりやすくなっている。だがさまざまな要因をすべて総合的に見た場合、私はミクロネシアのほとんどで見られる家族構成の根本的変化が過去18年間の自殺率の急増の最大の理由だと考えている。

従来のミクロネシアの家族

ご想像の通り、ミクロネシアのように文化的相違が大きい地域では、家族の形態も諸島から諸島によって大きく異なる。そこで、島々の社会の家族に見られる変化とそれが自殺に与える影響とを検討する前に、主要な島の家族構成について、特に子どもの育て方を中心に簡単に触れてみたい。コスラエでは20世紀に人口が急減するとともに宣教師活動が行われたことから、社会的組織が早期に崩壊したため、ここでは除外する(Hezel 1983年:169-70)。またヤップ島本島とは大きく異なる周辺の珊瑚礁 の島々や、自殺率が非常に低いポナペのヌクオロやカピンガマランギ島に関する調査結果 はここでは除外する。各諸島について語った後、最後にミクロネシアの家族構造についてまとめたい。

トラック諸島:ミクロネシア文化のなかで最もシンプルな文化を持つトラック諸島の社会的単位 は母系家族である(Goodenough 1961年:Gladwin 1953年)。30人から40人で構成され、年長者によって率いられる女性家族は、年長の女性の子どもたちに土地、支援、アイデンティティを提供してきた。女性は結婚すると夫を自分の家族の土地に住み、自分の家族から子どもを育てるうえでの支援を受ける。日常生活では父親が子どもたちに対して大きな影響力を持っているが、全般 的に年長の女性の監督下にある。家族が一緒になって食事を共同の台所で作り、妻の兄や担当の家族が食事を分配する。母親の兄や家族のなかの担当者が子どもたちに仕事を与える。子どもが青年に達すると、自宅ではなく、一族が持つ集会場で眠り、そこで同年代の青年たちと一緒に男として必要な技能を学ぶ。このような学びの場を通 して一族の年長者、特に母親の兄の指示下に入る。父親は自分の子どもに対してもっと楽な立場に立つ。結婚の相手など、重要な決定は、父親だけでなく一族の年長者の同意を得なくてはならない。

ポナペ:トラック諸島ではポナペ同様、女系家族が中心だが、一緒に生活をする人々の数は少なく、新婚の夫婦は夫の家族と一緒に住む場合が多い。兄姉の家族はそれぞれ独立した世帯を構成しながらも皆がまとまった一つの土地のなかに住み、定期的に食事や他の資源を共有する(Peterson 1977年:174-5)。母親の兄が子どもに対する影響力を持ち、しつけを担当する。一方、父親はより楽な役割を持つ。某文化人類学者はこのような関係を図に表し、家長が自分の息子を集会場の台座のうえに自分の隣に座らせ(儀式の時も同じ)、家長の甥は適度の距離を置いて座る、としている(Fischer 1957年:133)。だが彼はまた、父親とその妻の兄、つまり子どもから見て伯父との立場は異なり、伯父が場合によっては父親の厳しいしつけから甥を守ることもある、と指摘している。いずれにしても伯父が一族のなかでの子どもの利益を代表し、父親は伯父の役割を補完する立場になる。

マーシャル諸島:マーシャルでも母系家族が中心だが、新婚の夫婦がどこに住むかに関してはかなりの柔軟性が見られる。一族全員が一カ所にまとまって住むことは珍しい。核家族と3世代が異なる住居に住み、一つの台所で作った食事を共有することが多い。一緒に住む家族の人数は3人から30人までさまざまである。だがマジュロでの1948年の平均は9人(Spoehr 1949年:104)、ビキニでの1963年の平均は15人(Kiste 1974年:71-2)だった。だがマーシャル諸島の人々は、距離的にかなり離れている場合でも、世帯から世帯へと一族のなかで自分が一緒に住む人々を比較的簡単に変える傾向が見られる。子どものしつけは親が担当するが、子どもが成長するにともなって親子はかなりくつろいだ関係を持つ。一方伯父は自分の妹の子どもと固い関係を持ち、子どもは伯父にかなりの敬意を示すよう義務づけられる。伯父は甥に土地に関する慣習を教え、父親が提供できないものを与える(Spoehr 1949年:194)。母親の家族、また父親の家族もある程度、子どもが青年に達するとともに同じ程度の影響力を持つようになる。子どもは両親とくつろいだ関係を持ち、祖父母とはもっと親しい関係を持つ。祖父母は孫たちが異性との交際を始めるのを認める。

パラオ:パラオの社会も母系家族が中心である。だが新婚の夫婦は夫が夫の家族から継承した土地に住むのが普通 だ。パラオの社会には多くの特徴があるが、その一つとして家族間の緊張が挙げられる。子どもは父親の家族のなかで育てられ、子どもの成長に伴って父親の影響力が増してくる(Alkire 1977年:29)。父親は子供を厳しくしつけるが、子どもを罰したり、体罰を加えることができるのは伯父だけである(Smith 1983年:192)。父親と同居している子どもが深酒をしたり問題を起こすと、父親は一族の「資産」に自由な行動を許したとして批判をうけるため、子どもの態度を直すことは難しくなり、最後の手段として、子どもは母親の一族に送り返され、しつけを再び受けることになる場合もある。パラオでもミクロネシアの他の島同様、子どもたちと家族との絆は強い。伯父や代理人は、子どもが青年期に達すると仕事を指定し、その子の行動に責任を持つ。子どもが何か願いことがある時には伯父を訪ねて頼む。某文化人類学者は、子どもへの家族の期待は大きいが、家族は子どもがどのようなことをしても無条件の愛情を注ぐため、子どもと一族との感情的絆は非常に強い、と述べている(Smith 1983年:45)。対照的に、父親の家族との絆は暫定的で、努力して維持しなくてはならない。

ヤップ:ヤップの社会は父系社会であるという特徴がある。だが母系家族も社会的に重要な基盤を構成している。大半の世帯が核家族で、夫の土地に住む。このような社会制度は今でも残っている。父親が世帯主で、子どものしつけに責任を持つ。子どもの願いを聞き、かなえるかどうかを決めるのは父親である。父親の兄弟はそれぞれの配偶者とともに近くに住み、甥や姪に対して直接の影響力は持たないものの「第2の」両親として必要なアドバイスをする。また父方の祖父母が同居する場合も多いが、子どもたちは祖父母に甘え、温かく、愛情深い関係を築く(Lingenfelter 1975年:41-6)。母方の家族は他のミクロネシアの島々の社会に見られる母方の家族より子どもたちへの影響力は弱いが、子どもたちに支援を提供し、最後の安全ネットとしての機能を果 たす。子どもが親から勘当された場合には、母親の家族に支援を求めることもできる。この場合でもパラオで見られるのと同じように、子どもは礼などの義務を感じずに、母親の家族の支援を期待できる。対照的に、父親の家族からは、従順な息子としての役割を果 たすことを条件に愛情を支援を受ける(Lingenfelter 1975年:50)。母方の伯父は甥の「保護者」兼「ナビゲーター」としてくつろいだ関係を構築し、アドバイスや支援だけでなく、必要な場合には食糧や金銭を与える(Labby 1976年:50)。

このように諸島によって文化的特徴があるが、特徴をぼやかしてしまう危険があることを承知のうえで、ミクロネシアの家族構成についてまとめてみたい。私が行った簡単な調査から、ミクロネシアの家族構成はミクロネシアの有名な工芸品であるアウトリガーカヌーと同じような微妙なバランスのうえに成り立っていることが分かる。ヤップを除いてどこでも母方の家族が子どもに大きな影響を持つ。また母方の伯父も同じように重要な影響力を持ち、伯父と甥や姪との間には特別 な条件にもとづく重要な関係が構築される。子どもはどこで育てられようと、家族に深く受け入れられ、家族が子どものアイデンティティとなる(必ずしも土地ではない)。子どもにとっての社会的単位 とはその子どもが所属する世帯と同一ではない。ミクロネシア諸島には世帯を指す言葉はなく、後になって「家族」という言葉を他の文化圏から借用して使用するようになったにすぎない。

母方の家族に対して父方の家族が存在するが、父方の家族は通常、母方の家族より子どもとの関係が浅く、重要性も少ない。ミクロネシアの社会をアウトリガーカヌーに喩えるとすると、父方の家族は船体と言えよう。アウトリガーカヌー同様、父方の家族は権限を分配することによって家族の安定を図っている。ヤップでのみ、父方の家族が子どもに対して圧倒的に強い影響力を持つ。父方の家族の代表は子どもの父親だが、家族のメンバーがそれぞれにある程度の影響力を子どもに対して持っている。

母方の伯父と父親はそれぞれに一族を代表する重要な役割を負うが、互いに異なる、補完的な役割を果 たす。民族誌学的データによると、母方の伯父と父親の役割はそれぞれの島の文化によって異なるだけでなく、一つの文化圏のなかでも時代によって相違を見せる。子どもがそれぞれに堅苦しい関係とくつろいだ関係を構築しているからといって、片方を権威のある存在、もう片方を友人と簡単に決めつけるのは誤りだろう(Sweetser 1966年:1009)。だが一言でまとめると、子どもが小さいうちは父親が子どもに対して影響力を持ち、母方の伯父は子どもが青年期を迎えて以降に責任を持つ傾向が強い。だが子どもが青年期を迎えた後も、子どもに対する責任は両方の親族が分かち合うのが普通 である。

これまで家族制度の概要について述べてきたが、育児に関する責任は家族のメンバーがそれぞれに分かちあうのが普通 だ。しつけを担当する人もいれば、支援を提供する人もいる。文化的事柄に関して指示を出す人もいる。子どもが家族の一人から厳しい扱いを受けたとしても、別 の人のなかに安らぎを見い出すことは可能だ。また、パラオやヤップで時折見られるように、父方の家族全員から拒否されるような状況になったとしても、母方の親族が何も聞かずに住まいと食事を無条件で提供してくれることは良くある。またマーシャル諸島やヤップで見られるように、祖父母をはじめとして自分を温かく包んでくれる人もいる。端的に言えば、昔の家族制度は、若い男女が青春期という難しい時期を迎えてから、子どもに対する影響力に歪みが出ないよう、多数のチェックポイントを確立するという意味で権限を分散することに主眼が置かれていた。またこのような家族制度のおかげで、問題が発生したときに多数の人が仲介者として解決を支援し、解決策が見いだせない場合には多数の家族が安全ネットを創れるようになっていた。

ミクロネシアの家族に見られる関係

過去20年から30年の間に、ミクロネシアの家族制度には重要な変化が見られた。各島に見られた家族制度への変化について述べるだけのスペースも詳細な情報もないが、重点を置いて述べてきたトラック諸島の家族制度の変化について簡単に触れたい。そしてその後に、他の島々に見られる変化について簡単に、だがポイントを抑えて述べたい。

トラック諸島の人々の多くが今でも母方の一族が持つ土地に住んでいる。だが親族が果 たす機能も昔とは違ってきた。昔、母方の親族は子どもたちに仕事を分配し、監督し、自分たちの土地で作った食糧を配分し、定期的に青春期を過ぎた子どもたちの面 倒を見ていた。だが今ではこのような傾向は見られない。今では、このような役割は一族を構成するそれぞれの世帯を代表する世帯主が果 たすようになった。現金収入が増え、世帯主(通常は核家族の父親)が収入を管理し、小売店で購入した食糧を保管するようになるに伴い、一族からの支援に対する依存度が減ってきた。またサラリーマンを持たない、現金収入の多くない世帯に対する社会からの期待の内容にも変化が見られるようになってきた。その結果 、同じ敷地内の他の世帯と食糧や他の資源を分かち合う部分は残っているにしても、父親は家族に食糧をもたらすという重要な役割を果 たすようになった。父親はまた子どもが青年期を過ぎても子どもに対して強い影響力を持つとともに最終責任を負うようになり、必要な場合には子どものニーズを満たすとともに、しつけもするようになった。一族の長が果 たしていた責任が軽くなるのにともない、父親が30年前には考えられなかったほどの権限を家庭内で持つようになった。だが注意すべきことは、一族が依然として経済的単位 として機能し、一族の長が結婚式や葬儀、特別な機会には一族のメンバーを召集していることだ。

社会的単位としての一族にもこれは当てはまる。母方の伯父や一族の長は結婚相手を決める時には相談相手となり、また一族を代表する立場にも立つ。このような傾向は依然として見られるが、日常生活ではそれぞれの世帯の独立性が強まっており、これが社会的革命につながっている(Hezel 1987 年:289)。

ミクロネシア全体で巧妙に作られていた昔の家族制度に大きな変化が見られ、家族制度そのもののバランスが失われつつある。母方の伯父の役割、母方の伯父が代表する一族の果 たす役割の重要性がミクロネシア全体で弱まっている。昔なら、母方の伯父が自分の妹の子どもをしつけたり、罰を与えることができたが、今ではこのようなことは滅多に見られなくなった。母方の伯父は自分の姪や甥の労働力を期待できなくなっている。このような伯父の役割の変化に伴って、昔、母方の伯父に対して使われていた表現はもはや使われなくなった。今では、若者は母方の伯父も父方の伯父も同じように「父」と呼んでいる。この傾向は特にポナペとトラック諸島で見られるが、パラオやマーシャル諸島でも顕著に見られるようになってきた。トラック諸島で見られるように、かつて母方の伯父が果 たしていた役割は父親に取って代わられている。今でも伝統的な家族制度が色濃く残っている周辺の島々を除いて、子どもの両親が家庭で中心的役割を果 たすとともに、子どもが青春期を迎えてからは子どもに対して一番強い影響力を持つようになっている。

核家族化が進むにともない、母方と父方の親族多数が負担してきた様々な役割がいろいろな理由から失われつつある。マーシャル諸島では祖父母が孫たちと温かく、緊密な関係を維持しているが、家族のなかに入ることは少なく、特に、現金収入を求めてマジュロやエベイなどの都会で出てきた家族のなかに祖父母の姿は見られない。パラオでは母方の伯母が姪や甥たちに対して重要な役割を果 たしてきたが、同じ傾向が見られる(Smith 1983年:85)。トラック諸島の核家族化のような変化は、今日のコミュニティの変化に対する現実的な対策である。60年代から70年代にかけて都市に出ていく家族が増えるにともない、昔ながらの役割を果 たしていたメンバーが核家族とともに都会に出なくなり、このような役割を果 たす人がいなくなってしまった。昔から父系家族が中心で、核家族が多かったヤップでさえ、家族の役割が減少している。ヤップでは、父方の伯父が甥に対して果 たしていた役割(支援の提供)は消滅すると同時に、母方の伯父の役割も縮小傾向が見える。ミクロネシアで昔から母系家族が中心だった社会では核家族の増加とともに父方と母方の家族の関係が浅くなり、その相違も曖昧になってきた。

現金収入の普及の影響

では過去20、30年間にどうしてこのような根本的変化が社会に見られるようになったのであろうか?文化人類学者が常に指摘するように、家族構成が土地の所有と深く結びついており、家族が土地を共有していることが理由の一つである。某文化人類学者は「ミクロネシアでは家族制度をはじめとする社会・政治的体制が土地の所有と管理の上に築かれている」からだ(Alkire 1977年:87)。小さな島では土地が限られており、唯一の生きる手段であったことを考えればこれは当然である。どのような理由であれ、土地の継承制度が変われば、社会組織にも変化が出る。例えば、20世紀初頭のドイツ植民地政府はポナペの土地の継承を父親から長男にすることを中心とする土地改革を実施したが、これによって毎日の生活パターンが母系家族中心から父系家族中心へと変わった(Peterson 1977:118-25)。ヤップでは父系家族の持つ土地への重心が強まるに伴い、父系家族が社会の中心となってきた。Alkire の言葉を借りると、ミクロネシアの人々にとって土地は常に生命と生活の手段を意味した(Alkire 1977年:88)。少なくとも、戦後になって現金収入が得られる雇用機会が生まれるまではそうだった。

ミクロネシアの大半で、すでに19世紀半ばには通貨が普及していた。パナペでは捕鯨貿易が盛んな頃には年間8000ドルもの現金収入があった。その後捕鯨に代わってコプラが主な現金収入源となった(Hezel 1984年a:13-4)。だが私たちが知る限り、商品として支給された当時の現金収入は一族の長によって親族に配布されたため、家族制度に大きな影響を与えることはなかった(Hanlon 1988年:70-1)。コプラ産業は短期的に見て、従来の社会・政治体制を弱めるのではなく、強化する方向に働いた。家族のネットワークを外れて、個人個人の手に直接わたった商品にしても(当時、ポナペとコスラエでは女性の売買も積極的に行われていた)従来の経済メカニズムに脅威を与えるまでには至らなかった。コプラ業者は商品と引き替えにタバコやギンガム、ブルーのセージ地などを受け取っても、そんなものを食べられたわけではなかった。当時、そしてその後に続く植民地時代、土地を中心とする経済、そして伝統的な家族制度は現金収入の影響は受けなかった。コプラ輸出は19世紀末にピークを迎え、1920年代に入って生産量 がピークを迎えるとともに市場価格が暴落し、人口一人当たりの年間収入は増えなくなった。

1937年、日本経済は「奇跡的成長」を遂げたにもかかわらず、コプラからの収入は人口一人当たりわずか28ドル、あるいは戦後のドル価値の4分の1ほどにしかならなかった(Hezel 1984年a:30)。日本産業のなかでも繁栄を期した砂糖産業からのメリットをミクロネシアの人々はほとんど受けなかった。南海政府で働く人に加え、約400人の島民が燐鉱で働き、約1100人が巨大な南洋貿易会社でパートタイマーとして雇用されたにもかかわらず、賃金は安く、手取り収入が社会に与える経済的影響は非常に少なかった(Purcell 1967年:198)。ミクロネシアの島民全員が正規の社員として働いたとしても、島民全体の年収は23万円、人口一人当たりの年収はわずか5ドルだった(Purcell  1967年:198;Hezel 1984年a:30)。

戦争直後はミクロネシアの人々は土地の果物に依然として大きく依存し、従来の家族制度がミクロネシア全土でそのまま残っていた。当時ミクロネシアの島々で調査を行ったCIMA(コーディネーテッド・インベスティゲーション・オブ・ミクロネシアン・アンソロポロジー)チームの報告書によると、大家族はともに定期的に食事を一緒にし、一緒に働き、生きるために必要な日常の労働を行った。これは事実だったろう。(北部マリアナ諸島を除く)ミクロネシアの人々の人口一人当たり年収は、コプラや魚などの輸出から得る、わずか28ドルだけだった(表6)。ミクロネシアの人々は、当時昔からの方法でコプラを作り、コプラを売って得た資金は昔通 り、一族の長を通して一族のメンバーに配布していた、と当時を思い出して語っている。50年代に入って地元の人々の間に雇用機会が増えるとともに人口一人当たりの収入も少しずつ増えていった(ドル)。1962年の人口一人当たり現金収入は46ドルとなり、1950年より60%増えた。人口一人当たりの収入は、ケネディ政権が委任統治領への予算を拡大したことを受けて、その後急速に伸びはじめた。1962年から1977年にかけて、正規社員としての雇用チャンスは3000から18000へと6倍に増え、給与総額も240万ドルから1580万ドルへと急増した。輸出や給与所得を含めた一人当たり実質収入は46 ドルから114ドルへと急増した。人口が年率3%で増加し、輸出量 が減少しているにもかかわらず、ミクロネシアの国民一人当たり年収は30年足らずの間に4倍になった(グラフ2)。初めて、マネー経済が土地を中心とする経済に代わり、土地を中心とする経済が築き上げてきた旧式の生産体制と社会的組織が崩壊した。家族制度の変化も起こってきた。

表6:1950年から1977年の給与所得と輸出所得の総額の推移
給与所得 輸出所得 個人収入合計
  総額 人口一人当たり 総額 人口一人当たり 未調整 1950年のドル額
1950 $330 $8 $972 $20 $28 $28
1954 $1,000 $19 $1,213 $22 $41 $36
1957 $1,541 $26 $1,400 $24 $50 $42
1962 $2,355 $33 $2,000 $28 $61 $46
1967 $6,713 $83 $2,100 $26 $109 $82
1972 $21,949 $230 $2,373 $25 $255 $88
1977 $42,781 $388 $2,606 $24 $412 $114
資料:国連年次報告書「1981年太平洋委任統治領」
グラフ
ミクロネシアの人々の収入
1950年から1977年までの給与所得と輸出総額

伝統的な土地経済に代わってマネー経済を導入するとする政策がまた同時に、当然ながら委任統治領の社会的変化をもたらすことにもなった。学校に行く子どもの数が何倍にも増え、新しい道路や空港ができて島内外の交通 が便利になった。外国から政府の職員や平和部隊の隊員が多数島に来るようになり、電気通 信技術の発達に伴って島内外との交流が拡大した。だがミクロネシアの家族制度に最も大きな影響を与えたのは現金収入の増大だった。1930年代、日本政府の統治下にある時から、ミクロネシアの島々ではすでに数多くの変化が見られていた。

家族制度の変化がもたらした影響

昔の土地を中心とする経済制度の崩壊に伴う核家族化は、現在の親の役割に大きな影響を与えた。昔なら母方の一族(時には父方の一族)が与えた支援を提供しなくてはならなくなった親たちはなれない責任を負担と感じるようになっている。トラック諸島の親たちに関して書かれた次のような記述は、今のミクロネシアの大半に当てはまろう。「今、親たちは子どものしつけを行い、学校に行かせ、青春の精神不安定な時期には個々に対応し、さまざまな要求を識別 して、受け入れられるものと受け入れられないものに分け、友人の選択を監督し、結婚相手を見つけるうえでの支援を提供する」(Hezel 1987 年:289-90)。なかでも一番の重責は、子どもたち、特に息子たちが青春期を迎え、成人男性として成長していくうえで直面 する問題を、以前のように母方の親族の支援を受けずに乗り越えるのを支援することだろう。大家族制度のなかで育った両親には、このような新しい重責を担うだけの用意が整っていない。幼児の死亡率が低下し、子どもの数が増えている今、両親へのプレッシャーは強まるばかりだ。父親は自分への要求の強まりに応えて、長男にさらに大きな責任の分担を期待するようになる。

家庭のなかでたった一人の責任が重くなるに伴い、家族の人間関係に摩擦が生じてくる。大家族の場合には孤立しているメンバーにも支援を提供できるような体制的余裕があったが、それが消滅したことが厳しさに輪をかけている。父親に何かを願い、自分の願望が却下された時に、若者は昔ならほかに支援を求める人がいた。伯父さんたちとの仲が特に良ければ、伯父に仲介を求めることもできた。父親に拒否された願望を持って伯父の家に走り、母方の伯父の支援を求めることもできた。あるいはこのような状況の時になぐさめてくれた年上の親族のところにいって愚痴をこぼすこともできた。だが今では若者が同じような緊張関係を父親と持ったとしても、昔のような選択肢はない。一族の長老の権限が消滅すると同時に、親族のメンバーはこのような役割を果 たすことを放棄したからだ。

親族から見放され、両親だけのもとに残された若者の人生はそれほど楽ではない。2年前にミクロネシアの幼児虐待に関する調査を行ったときに、養父母がたとえ子供の母方の親族でさえ、自分が育てることになった子供たちに食料などを提供するのを拒んでいることに対する憤りを口にする人が多かった(Marcus 1986年:12)。数年前までなら当然としておこなったことを今では強いられた義務と感じており、子供を頻繁に殴ったり、子供が必要とする物資を与えないなどの行動に対する憤りが見られた。似たような幼児虐待はポナペやトラック諸島でも報告されている。従来の家族制度が比較的色濃く残っているヤップでさえ、父親の死亡にともなって孫の面 倒を見なくてはならなくなった祖父が10歳の孫を放置していたとのケースが報告されている。この少年は再婚した母親に引き取られたが、継父に嫌われ殴られたため家出をして、あちこちをふらつくようになった(Marcus 1986:11)。トラック諸島ではこのような話があちこちから聞こえるようになった。特に母親が再婚した場合に、母親の子供と継父の仲がうまくいかず、差別 されるだけでなく、激しくしかられたり、殴られるケースが後を絶たない。昔なら、このような子供たちは母親の親族に引き取られ、親族から無条件の愛情を受けることができた。このような事例は親族への期待がいかに変化したかを物語っている。子供はもはや自分への責任をすべて果 たしてくれた母方の一族に属するのではなく、両親の庇護下に置かれるようになった。

まとめ

ミクロネシアが少なくとも過去100年間には見られなかったような自殺急増に見舞われていることは、ここでご紹介したデータや以前に行った調査から裏付けられている。70年代初期から各諸島の自殺率は目立って上昇してきた。記録や記憶をたどる限り、自殺は社会的な現象であることを否定できないが、これだけでは、戦前と比較して、なぜ戦後になって自殺率が急増したかを説明できない。本論文は、過去20年間にわたってミクロネシア諸島を見舞い、今でも少しは減少したとは言え、依然として大きな社会問題となっている自殺に社会的立場から仮説を立て、説明を加えようと試みたものである。

このような複雑な問題、特に文化的背景の異なる地域をまたがる社会問題を説明しようとすると、あまりにも簡単な説明を付けるという過ちを犯しがちだ。だがミクロネシアの自殺という問題をひとくくりとして捉えることのメリットもある。それは、ミクロネシア全体を通 して、若者の自殺が増えていること、自殺率が急増している、という共通 点が見られるからだ。このような共通点はミクロネシア全体の適応できる共通 の理由や原因がある可能性を示唆しているのではないだろうか。ミクロネシア全体で自殺の裏にある文化的パターンの厳しさが似通 っていること、自殺に共通の文化的意味が見られることから、このような可能性が高いことが分かる。島によって文化的パターンに相違はある。特にパラオやマーシャル諸島では「愛情にからむ自殺」が頻繁に見られることなどはそうだ。だがこれは自殺の裏側に見られる共通 のテーマや基本的な文化パターンからは逸れている自殺だと思われる。

我々がこれまでにトラック諸島での自殺を対象に行った調査から、自殺に共通 の傾向が見られることが分かっており、また、トラック諸島のなかでも都市部に自殺率の上昇と、社会的単位 としての家族の崩壊との間に強い相関関係が見られる。このような過程の正確な段階的変化に関しては、いつ何が起こったかを正確に把握することはできないにしても、40年代後半の文化人類学的文献に、当時、伝統的制度が社会に確立されているとの記述があることから、過去40年間にこのような社会的変化が起きたことに疑問の余地はない。過去40年間に、母系家族を中心とする社会的単位 は急速に進み、今では昔なら一族の長が担っていた家族の食料を確保し、家族のメンバーを監督するという責務を世帯主が負うことになった。両親に新たな、重い責任を持たせることになったこのような変化は、トラック諸島の人々に新たな収入源をもたらした経済制度の変化によってさらに加速されることになった。 60年代から70年代にかけて雇用機会が何倍にも増え、給与所得が得られるようになったことの結果 でもある。

本論文で私はトラック諸島で見られた変化が他のミクロネシアの島々にも該当すると述べている。他の諸島に関する社会的組織に関する基本的データはトラック諸島に関するものに比べて信頼性に欠けるが、民族誌学的文献と家族体制との比較から大きな変化が起きたことが分かり、しかもその変化がミクロネシアに関して提供された情報と合致している。トラック諸島に関するデータほどまとまったデータはないが、ミクロネシアの地域では社会組織が大きく変化したことを裏付けるだけの十分な証拠となる。トラック諸島以外のミクロネシアでも、核家族化が進み、母系家族による子育てが減り、両親の権限や影響力の拡大が見られる。またトラック諸島で確認されているのと同じように、このような変化は、過去20年間にわたって社会に革命を起こしてきた経済体制の変化が根本的な理由である。ミクロネシアの島々では社会的単位 としての家族と乏しい資源の管理が密接につながっていたという事実から判断して、もっとも基本的な社会的単位 の崩壊を招いた原因として他の要素は考えにくい。

ミクロネシア全体で見られた家族構成の変化が自殺率の急増をもたらしたと断言する証拠はあるだろうか?全くない。だが状況証拠は多い。ミクロネシアでは昔も今も、家族の問題を解決するための手段として自殺が行われてきたことから、家族が家族としての機能を果 たさなくなったことが自殺率の上昇を招いたと考えることができる。また、ミクロネシアの家族制度の変化が、世代間の緊張を招き、昔なら緊張緩和を支援してくれていたメンバーの喪失につながったとも言える。最近の家族構成の変化にともなってメンバーは孤立し、精神的に弱くなり、さらに多くの負担と責任を抱えるようになり、自殺につながるような状況を招くようになった。最近の自殺率の上昇をもたらした他の要因もあるが、家族制度の変化ほどの決定的な要因とは言えない。

またミクロネシアの自殺に関するこの論文は暫定的なものとは言え、ミクロネシア以外の地域にもある程度該当する内容だと私は個人的に確信している。たとえば、西サモアでは1970年以来、ミクロネシアが経験したのと同じような自殺率の上昇が見られる。西サモアの自殺をめぐる状況や、自殺者が経験した感情的なもつれはミクロネシアで見られたものと酷似している(グラフ1)。サモアでは近年、長のつく肩書が急増したり、世帯数が急増したり、世帯を構成する平均人数が減少したり、と社会的に大きな変化が見られる。サモアで政治的に長のつく肩書が急増しているがこれは、ミクロネシアで現金収入が増えたことがミクロネシアの家族に与えた影響と同じような影響を社会に与えるものだろうか?アメリカインディアンの自殺率が高いのが知られているが、アメリカインディアンの自殺のパターンはミクロネシアの自殺のパターンと共通 点が多い。だがアメリカインディアンはミクロネシアのインディアンと同じ理由で自殺をするのだろうか?ミクロネシアの自殺率上昇に関する調査の結果 から見て、アメリカインディアンの自殺の背景を探るのもおもしろかろう。

参考文献

ABCFM(アメリカン・ボード・オブ・コミッショナーズ・フォー・フォーレン・ミッションズ)
「1852年から1909年。アメリカン・ボード・オブ・コミッショナーズ・フォー・フォーレン・ミッションズの書簡と書類:ミクロネシアへのミッション」1852年から1909年。19巻。
マサチューセッツ州ケンブリッジ、ハーバード大学ホートン図書館発行。

Alkire, William H著 1977年
「ミクロネシアの人々と文化への招待」
カリフォルニア州メンロパーク、カミングス発行。

Erdland, August著 1914年
「Die Marshall-Insulaner: Lebel und Sitte, Sinn und Religion eine Sdsee-Volkes」
ムンスター、アンスロポス・ビブリオテーク発行

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