Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第210号(2009.05.05発行)

第210号(2009.05.05 発行)

海の防人への感謝を忘れた日本人

[KEYWORDS] 「対日飢餓作戦」の教訓/大きな負の遺産/シーレーン防衛
ジャーナリスト◆桜林美佐

日本人はシーレーン防衛に関心が高いとは言えない。
また、私たちは海を守ってくれている人のことを意識もせず、感謝もしない。ソマリア沖への海上自衛隊派遣を契機に、海洋国家としてあるまじき現状を打破すべく、意識改革が求められる。

はじめに

当然のことではあるが、今、突然、すべてのライフラインが止まり、コンビニもないエレベーターも動かない、そんな生活をしなければならなくなったら、たちまち国民はパニックになり、たった一日であっても国家そのものが機能不全に陥るだろう。そしてこれは、映画の筋書きでも何でもなく、いつ起きてもおかしくないことなのである。
原油をはじめ私たち日本人の生きる糧は、ほとんどが海から運ばれると言っていい。それは翻れば即ち、何らかの理由で海を自由に往来できなくなった場合、日本は立ち行かないということだ。
すでに日本人の記憶から失われつつあるが、終戦後、日本人は食べるものが極端に少なく、貧しい暮らしを強いられた。その原因は何かということを「あれは戦争をしたから悪い」などと言うのは、小学生でもできる分析で、これはまさしく「海上輸送路」が閉ざされたことによる被害であった。

いつの間にか忘れられた海上輸送路の大切さ

護衛艦2隻「さみだれ」(写真)と「さざなみ」がソマリア沖に派遣された。(写真:海上自衛隊)
護衛艦2隻「さみだれ」(写真)と「さざなみ」がソマリア沖に派遣された。(写真:海上自衛隊)

終戦間際、日本の近海には米軍によって一万個以上の機雷が撒かれ、港は閉ざされ一切の物資が入らなくなった。米軍はこれを「対日飢餓作戦」と呼び、あと一年戦争が続いていたら国民の一割にあたる約七百万人が餓死したと言われているのだ。
このようにまさに「兵糧攻め」の辛苦を骨身に染みて知ったはずの日本国民であったが、意外にも今、現在、海の重要性や海上輸送を滞りなく継続させることが、いかに日本の生殺与奪を握っているかをよく分かっていない傾向がある。
なぜか。それは、この米軍による機雷敷設が国際法に違反していた疑いのあったことから、戦後、これらの掃海作業を海上保安庁と海上自衛隊は命懸けで行い、またそこで殉職した人々のこと、その事実については長きにわたり秘匿されたことが、大きな要因として考えられる。それゆえ私たち日本人の多くは、日本の戦後復興がいつの間にか達成されたと勘違いしてしまった。海をひらき、港を復活させた人々への感謝の念など持つこともなく現在に至ったのだ。
こうした経緯を考えると、昨今、「あの戦争は」といった検証などが行なわれることがあるが、海上輸送路の喪失こそが敗戦の大きな原因であると言うことができ、戦後の国民がその大切さを忘れてしまったことは、戦後の大きな「負の遺産」となった気がしてならない。 
そしてこの「負の遺産」は、このたびのソマリア沖への海上自衛隊の護衛艦派遣を巡る論議にも現れた。海賊被害が頻発するこの海域には、年間二万隻の船が行き交うが、そのうちの二千隻が日本に関係する船である。ところで、なぜ「日本の船」ではなく「日本に関係する船」なのかというと、税制上の問題から日本船籍が少なく、大半が外国船籍であることからそうした言い方をするのだろうが、この言葉が、どこか他人事のように聞こえ、国民の関心を遠ざけているような気もしなくもない。また、この船籍の問題に加え、日本人船員がほとんどおらず外国人船員に頼っているという現状も、わが国の安全保障において憂慮すべき問題であることも、忘れてならないことだ。

海賊多発海域

日本はシーレーンへの認識が甘い

それはさておき、今回この「日本に関係する船」つまり、日本人の生活を支える船が海賊の危険に晒される中、わが国の初動はどうだったのかというと、それらの安全は他国にお任せしよう、傍観しましょうという無責任な態度をずっととり続けていたのだ(同海域の海賊事案は数年前から問題視されており、今に始まったことではない)。「シーレーンが日本の生命を左右する」という認識さえあればよいのだが、それが欠如しているために不毛な議論が延々繰り返された。
そして、紆余曲折あったが、やっとソマリア沖への海上自衛隊派遣となった。しかし、ちょっと気になる点がある。いや、武器使用、護衛対象の問題をはじめ、派遣時点でいわゆる海賊新法が成立しておらず、自衛隊法第八十二条「海上警備行動」を根拠としているなど「ちょっと気になる」どころではない大きな問題は山積であるが、その前に大前提として言われるこんな言葉がひっかかるのだ。
それは「海賊問題は海上保安庁が第一義的に担う」というものだ。確かに、海上における犯罪取り締まりは海上保安庁の任務である。間違いはない。しかし、これでは海上保安庁の「代わりに」海上自衛隊が派遣されると受け止められがちである。どうも、「自衛隊派遣反対」の声に対してはこの方便は有効なようであり、このあたりが情けないところであるが、こうした表現は国民に誤ったメッセージを与えてしまうのではないかと懸念している。
シーレーンは、わが国の生命線であり、その安全確保はわが国の至上課題である。ソマリア海賊事案は、まさしく通常の犯罪取り締まりの域を大きく越えており、このことは、各国が灰色の軍艦を派遣していることからも明らかである。日本だけが、海上保安庁の白い船というのは、連携という観点でもそぐわず、ネイビー対コーストガードでは情報交換の面でも壁がある。
ここは、法案を通すための小手先の議論ではなく本質に迫って頂きたい。さもなくば、日本はいつまでもシーレーンの認識が甘い、似非「海洋国家」であり続けなければならないだろう。第一、海上保安庁が行くことができないから海上自衛隊が行くというのは、双方に対してもずいぶん失礼な言い方ではないだろうか。
過去から現在に至る、わが国の海を守ってくれる人々の役割をしっかりと理解し、感謝することが、今、国民に喫緊に求められるのだと、私は感じて止まない。(了)

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