事業紹介

2014年
事業

344 ウェブサイトによる情報発信II

事業概要

本事業は、人民網と協力して笹川日中友好基金の中国語サイトを運営し、中国に向けた情報発信の強化を図るもの。


第一期(2009-2013)において、人民網と協力して中国語WEBサイトを運営してきた。


引き続き、第二期(2014‐2018)でも人民網と協力して以下の通り、中国語WEBサイトを運営する。



  • 日中基金の中国語サイトの運営管理

  • 記事の翻訳更新業務

  • 5年間で構築した基礎データのデータベース化

  • 日本財団グループの対中国関連事業の活動内容紹介

  • 日中基金創設25周年を記念した中国語ウェブサイトのリニューアル

  • 新しい運営委員長と中国の日本専門家との対談を特別企画


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リニューアルした笹川日中友好基金中国語WEBサイト


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尾形武寿運営委員長インタビュー(中国語)


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笹川日中友好基金創設25周年記念対談(WEB動画45分)
動画の内容は日本語です。

事業実施者 笹川平和財団 年数 5年継続事業の1年目(1/5)
形態 自主助成委託その他 事業費 8,406,742円
笹川日中友好基金運営委員長インタビュー

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尾形武寿笹川日中友好基金運営委員長インタビュー(2015年1月15日)

「体験」通じて相互理解促進

近年困難に直面している中日関係だが、「一衣帯水」と言われる両国には、平和を愛し、交流・対話を訴える人々が確かにおり、両国の友好と関係発展に向けてたゆまぬ努力を続けている。中でも、両国交流の促進の過程で欠かすことのできない役割を演じているのが、民間の友好機構・団体である。日本財団傘下の笹川日中友好基金はその一つだ。人民網が伝えた。

最大の中日民間交流基金である笹川日中友好基金は設立25年以来、幅広い分野で中日友好交流事業の促進に力を尽くしてきた。人民網はこのほど、笹川日中友好基金の運営委員長で日本財団の理事長を務める尾形武寿氏を単独インタビューし、同基金の交流事業の実施状況や中日交流に対する氏の見方をうかがった。尾形氏は、交流の最大の意義は両国民が自らの体験を通じて相互理解を深めることにあり、こうした交流は子々孫々にわたって受け継いでいかなければならないと訴えている。

▽25年で延べ2万人の相互訪問を組織

尾形氏によると、笹川日中友好基金の設立目的はごく単純なものである。中日関係は非常に重要な二国間関係であり、中日両国の相互理解と両国の子々孫々にわたる友好は、民間交流によって促進されなければならない。同基金が設立されたのは1989年12月。当時、激しく変化していた国際情勢は中国にとって非常に不利に働いていた。西側諸国は中国に経済制裁を科していた。日本も最初は中国への円借款を凍結する措置を取ったが、まもなく世界に先駆けて中国への経済制裁を解いた。中国を世界で孤立させるべきでないと考えたためである。

日本財団の初代会長である笹川良一氏はこうした状況下、中国を支持する立場を公にした。当時の中国国際友好連絡会は担当者を日本に派遣し、笹川氏の立場表明に感謝を表した。中国側と日本財団はこれをきっかけに、交流と接触を重ね、100億円規模の交流基金設立で合意した。笹川日中友好基金はこうして、当時の中国の王震・国家副主席と笹川良一氏の立ち会いの下で正式に設立された。

設立当初、同基金の規模は50億円だった。1992年の天皇訪中で中日関係はさらに発展し、その翌年、日本財団は50億円を増資し、基金の規模は100億円を突破した。同基金は設立から現在まで、最大規模の中日民間交流基金となっている。この25年で同基金が実施した交流活動は340回余りを数え、相互訪問者数は延べ2万人近く、事業経費は約30億円にのぼっている。

▽幅広い交流活動

尾形氏によると、笹川日中友好基金は設立後、日本語教育の支援や両国間の相互理解の促進、知的ネットワークの構築、安全保障分野の交流促進などを中心に交流活動を進めてきた。日本語教育支援では、日本語学習者の日本研修や日本語教材の編集・出版などが重点となっている。例えば中国西部の大学からは毎年、日本語専攻の学生20人を選抜し、日本での1カ月の交流学習に招いている。2009年から2013年までの5年間でこの交流プログラムに参加した中国人学生は計99人を数えた。

相互理解と日本理解の促進では、中国のメディア関係者やネット有名人、オピニオンリーダーなど30人近くを日本視察に招いた。こうした人々の影響力を介して、日本の本当の姿を中国の人々に知ってもらうためだ。科学技術の進歩に伴って情報の伝達形式は大きく変わっている。従来のメディアの中心だった新聞の発行量は減少した代わりにソーシャルメディアが大きく発展し、誰もがインターネットで自分の意見を発表できるようになった。尾形氏によると、同基金の交流活動もこの動向を反映し、情報の伝達やプログラム普及をインターネットで展開し始めている。

中日両国の知的ネットワークの構築では、政府高官や企業家の訪日交流活動、両国の若い歴史学者によるシンポジウムの開催、現代日本を紹介する書籍の翻訳出版などを進めてきた。尾形氏も参加した同基金の最初の交流プログラムは、中国沿岸都市の市長15人と国有企業の上層部15人を日本での2週間にわたる視察活動に招くものだった。市長団と企業家団は二組に分かれ、日本各地の訪問を集中的に行い、多くのシンポジウムを開催した。こうした大規模な視察訪問は、改革開放の初期にあった中国にとって非常に重要なものとなった。このプログラムは18年にわたって続けられ、中国にとって、近代的な管理法を学び、資本と先端技術を導入する有効な機会となった。

防衛交流の分野では、2001年から2012年まで中日両国の佐官級333人の相互訪問が実施された。日本を訪れた中国解放軍将校は207人、中国を訪れた自衛隊幹部は126人だった。中日両国の安全保障分野の関係者に交流の機会を作り、相互理解を深めることが目的だった。

▽実体験によって相互理解を促進

尾形氏は当初から国際交流事業を志望していたわけではない。だがこの道に入ったのには、氏が身に付けていた「グローバル」な思考法が影響している。1944年生まれの尾形氏は大学卒業後、船舶機械の輸出に従事し、シンガポールや欧州でも数年にわたって勤務した。こうした海外勤務の経験は、国際交流事業に従事するきっかけとなった。海外で勤務・生活している間、尾形氏はさまざまな国の人々と知り合い、異なる国の文化や考え方を知った。そして個人が社会を離れて生きていくことができないように、いかなる国家もこの世界で単独で存在することはできないという認識に至った。安定した秩序ある国際社会を交流によってともに築くことの重要性を知った尾形氏は1986年、日本財団傘下の笹川平和財団に入り、国際交流の分野に正式に足を踏み入れた。

交流活動にどのような成果があるかについて、尾形氏は、最大の効果は、交流活動参加者が自分の目で相手国を見、相手国の風習や人情を自ら知ることにあると語る。情報伝達で大きな役割を果たしているのはメディアだが、相手国の事情をそっくり完全に映し出すことはできない。中国のテレビ局が放送する抗日ドラマは日本のマイナスイメージを深めているし、日本のテレビ局が流す中国と韓国のネガティブなニュースも日本人のこれらの国の印象を左右している。

尾形氏によると、主権問題や歴史問題の解決が難しいのは、世論の影響が関係することが多いからだ。こうした問題を解決するには、世論を形成する人々ができるだけ多く相手国を知ることが必要となる。すべての中国人を日本に招くことはできないが、各分野で影響力を持つ人に日本での実体験を語ってもらうことは有効な手段となる。日本は高度経済成長期、日米貿易で大きな黒字を出し、米国の「反日感情」を誘発した。当時も民間交流で相互理解を促すことが重要となった。日本財団は交流基金を通じて米国の関係者を日本の工場の視察に招き、日本の産業発展の状況を知ってもらい、日本への理解を広める後押しをした。

▽世代を越えて受け継ぐ交流活動

尾形氏は過去30年で200回余りにわたって中国を訪れてきた。中国に対してはまさに大国であるという印象を持っている。初めて中国を訪れて北京の故宮と長城に行った時には、中国の古代文明のスケールの大きさに圧倒され、「日本はなぜこのような(輝かしい文明を持った)国と戦争を起こしたのか」と思った。中国と日本はいずれも「漢字圏」に属し、文化的にも近い。歴史を振り返っても、日本は中国から多くのことを学んできたし、近代には中国も日本から多くを学んだ。中国と日本は本来、相互理解の容易な国同士であるはずだ。

尾形氏は、恩師の笹川良一氏が鄧小平氏との会談で語った言葉を今もはっきりと覚えている。「世界平和にとってはアジアの安定が重要だ。アジアの安定にとっては中日関係の安定が重要となる」。鄧小平氏はこの見方に賛同し、この一致が笹川日中友好基金設立の前提となり、尾形氏が中日友好交流に携わる上での信念となった。

笹川日中友好基金の今後の目標について、尾形氏ははっきりと、中日両国の交流を絶えず推進していくことだと語った。国民は一代一代と入れ替わっていくものであり、国家と国家の間の交流は長期的に持続させていかなければならない。相互理解はそれぞれの代の人々が絶えず推進しなければならないものだ。日本の首脳は時折、歴史問題についての言論で物議をかもす。だがそれで交流活動を停めてしまっては、中日関係の発展はますます困難となる。尾形氏は、日本は歴史を正視し、隣国と世界のほかの国々と交流し、ともに繁栄を求めていかなければならないと考えており、ほとんどの日本人は同じように考えているはずだと語った。

▽尾形武寿氏略歴

日本財団の笹川良一会長と1984年に初めて中国を訪れて以来、財団の関連部門を率いて対中友好交流事業に尽力してきた。中日最大の民間交流基金「笹川日中友好基金」の設立に中心となってかかわる。中国の10大学の優秀な若者に対する奨学基金の設立、中国の市長の訪日交流プログラムや中日防衛人員の交流プログラム、中国人医師を養成する笹川医学奨学プログラムの展開、中国の大学への日本語研究図書の寄贈事業の推進などを行ってきた。中日関係が谷間に陥った時には、中国の多くの大学で講演を行い、中国の若者に日本人の考えを説明し、中日間の民間交流の重要性を訴えている。2014年、笹川日中友好基金運営委員長に就任。(編集MA)

人民網日本語版」より(2015年1月15日)

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