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第98号(2004.09.05 発行)
第98号(2004.09.05 発行)

宍道湖・中海のグランドデザイン

島根大学汽水域研究センター センター長◆國井秀伸

40年近く続けられてきた宍道湖・中海の干拓淡水化事業が中止され、劣化した生態系の修復が急務となっている。
いまこそ、宍道湖・中海保全のための流域管理計画を立て、10年後あるいは50年後の両湖の目標像を明確に示さなければならない。
宍道湖・中海の自然再生において、地元の汽水域研究センターの果たす役割は大きいと考え、両湖の生態系の再生の可能性に関する私案を述べたい。

干拓淡水化事業中止後の将来像

宍道湖・中海のランドサット衛星画像

40年近く続けられてきた宍道湖・中海の干拓淡水化事業は、2000年9月に最後の干拓予定地である本庄工区の干拓中止が決定され、2002年には淡水化事業も中止された。翌2003年7月には島根県知事が両湖をラムサール条約の登録湿地とすることを表明し、劣化した湖沼生態系の修復が今、急務となっている。これを機会に、宍道湖・中海の「グランドデザイン(大きな将来像)」を描き、宍道湖・中海保全のための流域管理計画を立て、10年後あるいは50年後の両湖の目標像を明確に示さなければならない。その場合には、ラムサール条約の条文にも使われている「賢明な利用(wise use)」が要となろう。賢明な利用とは、その湿地の生態系が持つ生態学的特徴を損なわないような方法で、その湿地が与えてくれる恩恵を将来の世代に引き継ぐことができるように、その湿地を活用することを指す。適正に管理された漁業はこの賢明な利用の最たるものである。ここでは、地元の大学の学内共同利用施設である「汽水域研究センター」に勤める者として、両湖の生態系の再生の可能性に関する私案を述べたい。

自然再生事業

2002年3月に策定された「新・生物多様性国家戦略」において提案された「自然再生事業」が各地で始まっているが、この事業は、開発の際に損なわれた自然環境を単純に作り出すといったことではなく、それまでの人間による影響をていねいに取り除き、過去に失われた自然を取り戻すことを通して、地域の生態系が自己回復できる活力を取り戻すための事業であるとされている。これは「順応的管理※1」によって長い年月をかけて行う事業であり、過去に大きく改変された宍道湖・中海の再生・修復にふさわしい事業といえよう。自然再生事業はまた、科学的知見に基づいて実施することや、さらに事業の着手後においても自然再生の状況を監視し、その結果に科学的な評価を加え、これを事業に反映することを理念としているので、宍道湖・中海の自然再生において、地元にある汽水域研究センターの果たす役割は大きい。

再生の目標像

両湖を再生するに当たっては、賢明な利用を念頭に置いて、いつの時代のどのような湖の生態系に戻せばいいのか、その目標を設定する必要がある。ここでは、宍道湖に比べ劣化の程度の高い中海に限って話を進める。現在は漁獲らしい漁獲のない中海では、過去の文献や聞き取り調査によって、かつてアマモやコアマモ、オゴノリなど沈水性の大型植物が繁茂し、これら海草類は1950年頃まで、弓ヶ浜半島や大根島の農業を支える肥料藻あるいは寒天藻として重要な役割を果たしていたことが明らかになっている。中海では以前に広大な面積の藻場が広がり、サルボウ貝や海草類の採藻などで宍道湖を上回る漁獲があり、水質も良好に保たれていたのである。そこで、再生の一案として、長期目標をアマモとサルボウ貝の復活とし、当面の目標を浅場の再生による海草のコアマモ(砂泥地)や褐藻類のウミトラノオ(岩場)の増殖としてはどうかと考えている。再生のために海草類を増やすのは、次のような理由による。

砂泥地に生える海草のコアマモ
岩礁に生える海藻のウミトラノオ

海草あるいは海藻といった大型の水生植物は、植物プランクトンとともに、水界生態系において一次生産者としての機能を果たしている。しかし、海草類は、水中を漂う微細な植物プランクトンとは違って三次元構造を持ち、多くの仔稚魚や貝類あるいは動物プランクトンに、餌場、すみ家や産卵場所、あるいは隠れ家を提供する。浅い湖沼では、水中の栄養塩濃度がある臨界点を越えると、沈水植物の優占する透明度の高い湖から、突如として植物プランクトンの優占する透明度の低い濁った湖に変化するという説がある。沈水植物群落が発達していると、群落が植物プランクトンを捕食する動物プランクトンの隠れ家となり、根を張ることで湖底泥の巻上げを防ぎ、また植物体が水中懸濁物質をトラップし、あるいはアレロパシー※2作用や栄養塩を巡る競争によって植物プランクトンの増殖を抑え、その結果水中の透明度が高くなる。しかし、人為的な富栄養化により植物プランクトンが繁殖して透明度が低下すると、沈水植物群落は衰退し、その結果透明度がますます低下するという正のフィードバックが進行する。沈水植物群落はある臨界濁度を超えると消滅し、植物プランクトンの優占する平衡状態にジャンプする。厄介なことに、この変化は不可逆的で、いったん植物プランクトンが優占する湖になった場合には、栄養塩レベルを下げて沈水植物の生えていた濁度を回復しても、沈水植物は再生しない。

再生の展望

水辺再生という観点からすると、海草類の生育する浅場の再生は重要なテーマである。中海では干拓工事により浅場が決定的に減少してしまったが、コアマモやウミトラノオ、オゴノリなどの海草類はまだあちこちに生育しているので、浅場を再生することにより、これら海草類は徐々にではあるが量的に回復する可能性が高いと考えられる。幸いにも島根・鳥取両県と国土交通省出雲河川事務所が、今年度になって藻場や浅場の調査を開始したところである。10年後あるいは50年後の両湖の姿はどうなっているであろうか。両湖の将来像は、あるいはそのままセンターの将来像なのかも知れない。(了)

※1 順応的管理=不確実性が高く予測の難しい生態系を管理する場合に、管理や事業を一種の実験とみなし、検証を重ねて対応の仕方を柔軟に変えること。

※2 アレロパシー=他感作用とも言い、植物体が出す化学物質によって他種または自らが影響を受ける作用で、多くは阻害的である。

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