Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第496号(2021.04.05発行)

ボードゲーム『The Arctic』で考える北極

[KEYWORDS]北極研究/学習ツール/文理融合
(国研)海洋研究開発機構 地球環境部門 北極環境変動総合研究センター副主任研究員◆渡邉英嗣

北極域研究推進プロジェクトArCSの枠組みにおいてロールプレイング型のボードゲームを開発した。
この「北極域研究学習ツール『The Arctic』」では「海洋学者・先住民・漁業者・文化人類学者・開発業者・外交官」のうち1つの役割を担いながら、海氷が急減する北極域において環境・文化・経済のレベルを一定以上に保つことを目指していく。
これまでに国内外で数多く体験会を実施してきたほか、研究・教育・政府機関への貸出も行っている。

制作の経緯

本稿で紹介する「北極域研究学習ツール『The Arctic』」※1はロールプレイング型のボードゲームである。このボードゲームは文部科学省による「北極域研究推進プロジェクトArCS : ArcticChallenge for Sustainability(2015-2019年度)」の枠組みで制作した。国立極地研究所・(国研)海洋研究開発機構・北海道大学が中核機関として進めてきたArCSプロジェクトでは自然科学と人文社会科学の連携や社会への発信を強化ポイントに挙げており、その一環として2018年1月に東京のお台場にある日本科学未来館で一般向けのイベントを開催した。
本イベントではArCS研究者による3つの講演の他、海洋地球研究船「みらい」の北極航海で採取した海氷や先住民族の道具などを展示し、参加者には概ね好評であった。ただこのような1日限りのイベントではその日の来場者にしか北極域の現状を伝えられないということもあり、もう少し持続的に幅広く活用してもらえる体験型の学習ツールを制作することになった。ちなみに本稿は北極海の自然現象を研究している私が執筆しているが、制作責任者は国際法学が専門で2020年3月まで(国研)海洋研究開発機構に在籍していた木村元氏である。他にも文化人類学・生物海洋学・雪氷学・国際政治学をそれぞれ専門とする複数機関の研究者と日本科学未来館およびプロのゲーム会社と協力しながら開発を進めた。
その過程では既存の学習ツールを体験したり、試作品(すごろく型など)のメリット・デメリットを検証したり、ゲーム性・教育性・利便性のバランスを調整したりと様々な試行錯誤を繰り返してきた。ゲームを通じて紹介したい現状や研究内容はたくさんあったが、あまり細分化された専門的な項目を盛り込むとゲームとして面白くなくなってしまう懸念もあり、取捨選択せざるを得なかったのが研究者サイドとしては悩ましいことであった。そして構想から1年半ほど経過した2019年8月にベースとなる日本語版をリリースした。

ボードゲーム概要

このボードゲームの各プレイヤーは「海洋学者・先住民・漁業者・文化人類学者・開発業者・外交官」のうち1つの役割を担いながら、北極域の急激な海氷減少に対して環境・文化・経済のレベルを一定以上に保つことを目指していく。元々は高校生以上を対象として制作したものだが、小学生高学年くらいでも内容を理解してプレイしてもらえることが体験会の様子からわかった。一度にプレイできる人数は、6つの役割を1人ずつ担う場合には6人だが(最少4人でもプレイ可能)、1つの役割を例えば3人1組で担当するように割り振れば18人でも可能である。1回のプレイ時間は約45分が目安だが、解説や議論の時間を調整することで30分以内に終わらせることもできる。一方、大学の講義などでは、約5分間のイントロ動画や「北極環境の基礎知識」などミニレクチャーを加えながら1コマ90分かけてじっくり実施することも可能である。
メインボードには北極域を上から見下ろした地図が描かれており、その上に現実の海氷分布を模したタイルを35枚並べた状態からゲームがスタートする。順番が来たプレイヤーが海氷タイルを1枚めくると北極域で実際に起こり得る様々なイベントが登場する。各プレイヤーは「イベントブック」の該当ページに書かれている解説や指示に基づいて対応していく。例えば「海洋酸性化」のような発生イベントの場合は環境・文化・経済のレベルが変化する。一方、「プランクトン調査を推進しますか?」といった選択イベントや「化石燃料採掘に投資しますか?」といった投票イベントが出た場合は、限られた予算の中でそれらが必要かどうかの判断をしていく。各自の「役割」になりきった主張をして、他のプレイヤーを説得することも推奨される。そして北極点付近の海氷タイルをめくり終わった段階でゲームが終了し、その時点での環境・文化・経済のレベルに応じて勝者が決まる。ちなみに全員勝つこともあれば、全員負けることもあり得る。
ここでボードゲームの教育的特徴を紹介する。まずタイルの厚さ(2mm・4mm・6mmの3種類)で実際の海氷分布を表現し(ロシア側よりカナダ側の方が厚くなっている)、ゲームの進行とともにタイルの枚数が減っていくことで、北極海の海氷が減少していることをより現実的に実感できる。海氷タイルが減っていくと北極海航路が地図上に現れる工夫もされている。多岐に渡る分野の研究者が制作と運用に関与したことで、北極研究がどのようなものかを網羅的に示す内容となっている。「イベントブック」に書かれている解説を読むだけでも参考書として使えるようになっている。さらに限られた予算で必要な対策を取ることが求められ、環境・文化・経済のバランスを保てないとクリアできないこと、そして自分だけ勝とうと思うと期待する結末にはならないかもしれないということで、北極の複雑な現状への対応をリアルに議論できる。それぞれの判断に正解はなく、勝ち負けよりもどうしてこのような結果に至ったのかを考察することに大きな意義がある。

6つの「役割」のどれかになりきって、海氷が急減する北極域の「環境・文化・経済レベル」を一定以上に保つことを目指していく。 北極域研究学習ツール『The Arctic』英語版。「投票イベント」が出た場合は「イベントブック」の解説文を参考にして、「YES/NOカード」のいずれかを提示する。

運用状況

日本語版のリリース後は、制作メンバーの所属機関や全国各地のイベントで体験会を実施したり、国内外の学会や一般講演会での宣伝を積極的に行ってきた。それらの場で要望が多かった「英語版」や解説文を平易な表現に書き直した「児童向けイベントブック」も制作した。学校への出前授業も数多く実施してきたが、2020年2月以降はコロナ禍の休校や移動の自粛などで中止が相次いでしまったのが残念であった。ただこのような対面でのプレイが難しくなった昨今の状況を踏まえて、リモートで実施可能なオンライン版も制作することで、大学のオンライン講義などで活用することができた。体験会以外の運用としては、国内外の学校・研究所・政府機関・先住民団体などへの貸出も行っている(貸出期間の目安は1ヵ月程度だが応相談)。また日本科学未来館で企画されたオンラインイベントに制作メンバーが参加して、その様子をYouTubeチャンネルで配信するといった活動もしている※2。体験会や貸出の希望があればThe Arcticウェブサイトから申し込むことができる。北極域には現在のバージョンで紹介されていない現象や研究が他にも多々あるので、既存のフレームワークを維持したままリメイク版を制作することも今後の展開として考えられる。また技術やコストなどの問題があるが、ブラウザ版やスマートフォンアプリ版なども開発できれば、社会全般に幅広く普及していくことが期待される。(了)
  1. ※1The Arcticウェブサイト https://www.nipr.ac.jp/arcs/boardgame/
  2. ※2「オンラインイベント:研究者と語る 北極の今とこれから」 https://www.youtube.com/watch?v=mAl6dqu_N9c

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