Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第458号(2019.09.05発行)

「貝リンガル」で海の異変を察知する

[KEYWORDS]真珠養殖/ヘテロカプサ赤潮/生物センサー
(株)ミキモト ミキモト真珠研究所副所長◆岩橋 徳典

真珠養殖発祥の地として知られる三重県の英虞湾に、1990年代前半、アコヤガイを殺す新種のプランクトンによる「ヘテロカプサ赤潮」が突如現れた。
この恐ろしい赤潮への対策として、ミキモト真珠研究所は二枚貝の開閉を測定する装置を発案し、世界初の生物センサーによる海洋環境観測システム「貝(かい)リンガル」を共同開発した。
これからも(株)ミキモトは真珠を育む海を守り、自然との共生を目指したい。

世界初の赤潮センサー

ミキモトは、真珠養殖発祥の地として知られる三重県の英虞(あご)湾で、125 年以上にわたり真珠養殖を続けております。英虞湾は、伊勢志摩サミットが開催された賢島(かしこじま)などをふくむ大小さまざまな島とリアス式海岸がおりなす湾で、温暖な気候と自然豊かな森の恵みが支える世界有数の真珠の生産地です。
真珠養殖において、昔から最も恐れられていた海の異変は、赤潮です。真珠養殖のためのアコヤガイ被害の最初の記録は、ミキモトの創業者御木本幸吉が半円真珠養殖に成功した1893(明治26)年までさかのぼります。この年に発生した赤潮により、養殖していたほとんどの貝がへい死しています。ある意味、赤潮との闘いはミキモトの真珠養殖の歴史なのかもしれません。
英虞湾では1990年代前半、アコヤガイを殺す恐ろしい赤潮が突如現れ、大量へい死がおきました。当時は、プランクトンそのものが貝を弱らせること、ましてや、へい死をひきおこすことは知られていませんでした。海の色が変わってもいないのに養殖貝が弱っていくため、現場は混乱したそうです。調査研究が進むにつれて、ヘテロカプサ・サーキュラリスカーマという新種のプランクトンが原因であることを突きとめましたが、1990年代半ばからは、このプランクトンが、西日本各地の内湾へと急速に分布を拡大し、僅か10 年ほどで漁業被害総額が推定70〜100 億円に達したと言われています。
このプランクトンからアコヤガイを守るにはどうしたら良いのか、何か対抗手段はないのか。当時、ミキモト真珠研究所の所長であった永井清仁シニアフェローは、赤潮の研究をしていた南西海区水産研究所の本城凡夫(つねお)部長(現香川大学瀬戸内圏研究センターゼネラルマネージャー、九州大学名誉教授)との共同研究の中で、アコヤガイがヘテロカプサに鋭敏に反応すること、そして、この応答を捉えれば赤潮の存在がわかることに気付きました。それは、「海の異変は貝に聞けば良いのだ」との、逆転の発想から生まれました。
最初のうちは、貝の反応を知るために貝殻に穴をあけ、心臓に電極を付けて心電図をとったり、貝柱の筋活動電位を測定したり、貝殻の両端に歪みゲージを取り付けたりと試行錯誤しました。しかし、いずれも健康な状態での現場監視は困難でした。センサー探しに行き詰る中、ホール素子センサーという磁界を電圧に変換するセンサーに出合いました。そして、有線で計測装置とつないだマッチ棒の先ほどのセンサーを貝殻の片側に、もう一方の殻に小さな磁石を取り付けたところ、磁界の強度変化により、貝の開閉運動を捉えることができました。
こうして、小さなセンサーで生体に負担をかけずにリアルタイムで海の中の貝の様子を把握することに成功したのです。ホール素子センサーの計測技術を持つ(株)東京測器研究所と協力して、2004(平成16)年には二枚貝開閉測定装置を応用した「貝(かい)リンガル」を実用化しました。これが、世界初の生物センサーによる海洋環境観測システムが誕生した瞬間でした。

貝リンガルによる赤潮監視

アコヤガイは、濾水することで海水中の酸素を取り込むとともに、植物プランクトンなどを鰓(えら)で集めて食べています。「私は貝になりたい」と口(殻)を閉ざすたとえがありますが、正常な海の健康なアコヤガイは1時間に数回しか閉じず、むしろ口(殻)を開いたままでいます。ところが、ヘテロカプサがやってくると、まるで口の中に入ったものを吐き出したいかのように何度も何度も開閉します。研究所で実験したところ、低密度のヘテロカプサで開閉運動が頻繁になって弱り、高密度になると短時間に心臓が麻痺して、最後には心停止することがわかりました。赤潮と言っても必ずしも海は赤くならず、海の中の変化に気付くのは難しいのですが、アコヤガイの敏感な反応のおかげで、この恐ろしいヘテロカプサの初期発生を貝リンガルで捉え、赤潮になる前に、養殖貝に対処できます。
英虞湾では、湾奥と湾中央の2カ所に2 台ずつ貝リンガルを設置しています。それぞれ表層(0m)、2m、5m、底層(底から1m)と水深別にセンサー貝を配置して、どの海域の、どの水深からの情報かが分かる仕組みになっています。情報はインターネット経由で1時間ごとにパソコンに取り込まれ、海況異常を検知したら、研究所員のスマホなどにメールが配信されます。

英虞湾でミキモト多徳養殖場を監視中の「貝リンガル」と通信用ソーラーパネル。高台の家は故・御木本幸吉旧邸

ヘテロカプサ赤潮への対応

真珠生産者の多い英虞湾では、三重県水産研究所を中心に毎週海洋観測が行われています。海の監視システムも整備されており、水温、塩分、クロロフィル、溶存酸素などの情報から、湾外からの海水流入または停滞を把握し、プランクトンの動向予察に役立てています。それに加えて、貝リンガルがヘテロカプサの反応を検知した時、現場海域にどのくらいの細胞密度でいるのかを調査して早期に対応するので、仮に増殖して赤潮になったとしても、貝が体力を温存した状態で乗り切ることができるのです。
ヘテロカプサは、はじめは深所で増殖し、昼は上層へ、夜は底層へと往復しながら徐々に赤潮になります。水深別に配置したセンサー貝の動向を見て、養殖貝を湾内の海水交換の良い漁場に移動したり、上層に引き上げたりして、赤潮の影響軽減を図っています。赤潮になってからは、むやみに別の湾に避難させないようにしています。閉じられた殻内の海水中にいるヘテロカプサが、赤潮の分布拡大を招くことがあるからです。

貧酸素、硫化水素、赤潮など、異常の原因によって「貝リンガル」の波形情報は異なる。
図は、ヘテロカプサによる赤潮発生時の水深別の波形。
どの時間に、どの水深にまでヘテロカプサの影響が及んでいるのか知ることができる。

貝の声が聞きたくて

ミキモトは、真珠の故郷である英虞湾で真珠養殖を続けていくために、貝リンガルを活用して海洋環境を監視し、養殖被害をひきおこす赤潮プランクトンや海水の貧酸素化、硫化水素の発生などの異常をリアルタイムで把握しています。今では、ヘテロカプサ以外の赤潮にも活用先を広げ、シャットネラ・マリーナやカレニア・ミキモトイなど複数種のプランクトンに対応できるようになってきています。環境への負荷と貝の負担を極力減らすことを念頭において開発されたこの技術は、海以外の水圏環境の観測への応用も期待されています。もっと貝からいろいろな海の情報を教えてもらうために、今後も、貝リンガル情報の解析を進めていきます。(了)

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