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オーシャンニューズレター

第408号(2017.08.05発行)

瀬戸内海のタイシバリ網漁と聞き取り調査の緊急性

[KEYWORDS]タイシバリ網漁/ウオジマ/伝統漁法
香川県立観音寺総合高等学校教諭◆真鍋篤行

伝統的網漁は近世以前に起源のある歴史的価値の高いものが多いが、高度経済成長の間に大半が消失している。
伝統的網漁の終末期に20歳代であった漁民も現在は80歳代で聞き取り調査もあと5、6年が限界になる。
今、伝統的網漁に関する聞き取り調査を実施しなければ、貴重な網漁に関する情報が永遠に失われる。
ここでは伝統的網漁の聞き取り調査の緊急性とその意義を瀬戸内海のタイシバリ網を事例に述べたい。

タイシバリ網とはどのような漁具・漁法か?

伝統的網漁には歴史的価値の高い漁法が多いのですが、高度経済成長の間に大半が消失しました。この時に20歳代の漁民も、現在は80歳代で、聞き取り調査もあと5、6年が限界という危機的状況にあります。ここでは瀬戸内海のタイシバリ網漁の調査で明らかになったことをもとに※1、伝統的網漁の聞き取り調査の緊急性とその意義についてお伝えします。
写真は香川県仁尾町南の恵美須(えびす)神社に奉納された1907(明治40)年の絵馬で、タイシバリ網が描かれています。網主の小山家での聞き取りによると、燧灘(ひうちなだ)の魚島近海で大漁になったことを神に感謝し、船頭を筆頭にした網子(従業員)一同が奉納したそうです。網漁の絵馬は近世後期から大正期を中心に全国各地で奉納されました。絵馬は網主が大漁祈願で奉納したと思いがちですが、この絵馬のように網子が大漁を感謝して奉納したものが多いようです。網子は大漁の収入を飲酒に使うだけでなく、絵馬の費用にも当てたと推測でき、そこには網漁の担い手としての自負心とその文化的水準の高さを窺うことができます。
マダイは産卵のため瀬戸内海に来遊し、卵を抱えて体色を鮮やかなピンク色に変え「桜鯛」とか「花見鯛」と呼ばれました。タイシバリ網漁は紀伊水道で2月中旬、豊後水道で4月に始まり、燧灘では5月初旬から下旬までの短い漁期に、香川、広島、愛媛等各県のタイシバリ網が入漁、船上で寝泊まりしながら操業しました。
この絵馬で漁網上部の浮子綱がマダイを囲み漁網でこれを包囲していることが分かります。漁網は海面から海底に達して魚群を包囲、上は海面で下は海底で魚の逃走を防いだことが分かりました。2艘の網船が交錯しますが、これは一方の網船が他の網船の曳く漁網を乗り越え、魚が逃げないよう漁網を縛るためです。網船は舵を外し網子は浮子綱を押し下げ、漁綱を越えやすくしました。この漁法は慶長年間に紀州で創始され、瀬戸内海に伝わりました。幕末から明治初年には、安芸・備後で薄板を多数装着したカズラ縄を2艘のカズラ船で曳き、魚を網まで誘導するようになり、瀬戸内海全域に広がっていきました。
マダイが、乱獲と言うよりも沿岸の埋め立てや工業化・都市化による生息環境の悪化で激減したことと、備讃瀬戸航路開設により船との衝突の危険回避のため、タイシバリ網漁は昭和40年代末に消失してしまいました。

タイシバリ網が描かれている明治時代の絵馬(香川県仁尾町南 恵美須神社)

大漁の光景ウオジマと海面下の様子を探る道具

タイシバリ網漁は、漁網で魚群の周囲を、海面と海底で魚群の上下を包囲し捕獲する構造で、絵馬のように漁網の包囲を狭めると、マダイは密集し海面から島のように盛り上がりウオジマと呼ばれました。明治時代に愛媛県から観光客が大漁の光景を見るため芸予諸島の魚島に押し寄せ、愛媛県知事も視察したほどでした。写真の絵馬もこのような大漁の高揚感の中で制作されたと思われます。タイシバリ網は魚を捕るだけでなく、大漁の壮観を生み出す道具でもあり、網子に働く意欲と誇りを与え、地域社会に活気を与えました。
マダイは海面から見えず、カズラ縄で海底を曳き、集めました。過去にマダイの捕れた場所や、他の網が大漁であった場所にカズラ縄を入れます。カズラ縄は海面から見えず、岩に引っかかった時はカズラ縄に結びつけられた浮樽の揺れで判断し、これを引っ張って縄を岩から外しました。浮樽の動きで海底の地形を把握したのです。潮の流れに沿ってカズラ縄でマダイを誘導し、潮を受けるように漁網を巻いてこれを包囲します。この時、漁網は潮に流されながら操業します。漁網と海底は密着して魚の逃走を防ぐとともに、漁網が海底を滑り潮に流される必要もあり、漁網と海底は微妙な接触が必要です。また漁網が潮を受けてうまく広がる必要もありました。これがうまくいく時は、写真のように浮子綱が円形に広がり、うまくいかない時は浮子綱が蛇行します。タイシバリ網は海面から海底に達するので、漁網と海底の接触や潮の抵抗が漁網を変形させ、海面上の浮子綱等に兆候として現れ、これが肉眼で確認できるのです。
タイシバリ網漁では、漁網が海底の様子や潮の動きを生き物のように映し出すため、環境に対する動的で新鮮な知覚が得られ、大漁の高揚感が高まる理由ともなったと思われます。漁網の生き物のような動きは神を感じさせ、漁網に大漁の神が宿ると考える網霊(おおだま)信仰がタイシバリ網などを中心に発達しました。

伝統的網漁の聞き取り調査の緊急性

タイシバリ網は魚を捕る道具であると同時に、大漁の壮観を生み出す道具であり、海面下の魚や環境を知覚する道具であることを示しました。現在の網漁では魚群探知機やGPSなどで、魚群や環境のより正確な情報が得られるようになりましたが、その一方で漁網を通して得られるような環境の生き生きとした情報は失われました。これはタイシバリ網に見物客が殺到するような光景が、現在の網漁では少なくなったことにも現れています。
伝統的網漁の調査は、単なる過去の懐古でなく、現代の網漁が見失ったものを浮き彫りにします。特に漁網の微妙な変化から、いかに環境の情報を読み取るかを知るには、漁民からの聞き取りが不可欠です。話者が途絶する前に、早急に伝統的網漁の聞き取り調査を行い、その貴重な情報が永遠に失われないように記録を残す必要があると考えます。(了)

  1. ※12007年度財団法人福武学術文化振興財団、瀬戸内海文化研究・活動支援助成「瀬戸内海における鯛縛網漁業技術の発達に関する研究」

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