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オーシャンニューズレター

第401号(2017.04.20発行)

神話を生んだ島根半島の魅力と国引きジオパーク構想

[KEYWORDS]地質変動帯/国引き神話/ジオパーク
島根大学教育学部教授・島根大学くにびきジオパーク・プロジェクトセンター長◆野村律夫

島根半島と宍道湖・中海が一体となった地域は、古代出雲文化の創生地であった。
その地に伝わる『出雲国風土記』には、人々の生活と自然が密接に関わった神話伝説を生み出すのに十分な背景があったことが示されている。その背景とは、この地域が新生代地球史のなかで地質学的大変動を起こした日本を代表する場所のひとつであったからである。

島根半島をジオパークにする魅力

島根半島は、4つの山塊が東西約65kmにわたり細長く連なっている。それはあたかも雁が飛んでいるかのようで、歌川広重の『月に雁』を思わせる。島根大学くにびきジオパーク・プロジェクトセンターでは、行政や地域の人たちが参画する推進協議会と一緒に、このような自然美をもつ島根半島をジオパークにふさわしい場所としてアピールする活動をしている。探訪会と称して、年に数回市民と共に地形地質的景観と歴史がセットになった場所を訪れる。地形、地質、歴史の専門的なことは大学や博物館の教員や研究者が解説する。昼食は地域の拠点的施設である公民館やコミュニティセンターで、地域の食材を使った食事を楽しむ。ジオパークは国立・県立公園のように国や県によって管理された自然遺産を楽しむというより、地域の自然とくらし、すなわち風土を地域住民が再認識し、内外へ向けてその魅力をアピールする活動である。したがって、風土の形成基盤となる大地の魅力が大きければ大きいほど、ジオパークとしての意義は深い。出雲地域にはその基盤である島根半島と古代より生活してきた人々の自然観が、『出雲国風土記』を通して語られている。島根半島には神話を生んだ大地の魅力があるのだ。

『出雲国風土記』にみる国引き神話とは

『出雲国風土記』は、733年に朝廷に献上された唯一の完本として現在に残る。大変興味深いことに、記述内容が編纂命令から1,300年たった今でも、往時を偲ぶことができる山河や神社に原風景が残っている。その風土記の意宇(おう)郡の冒頭に「国引き神話」ともよばれる有名な詞章がある。
「八雲立つ出雲国は、狭布(さぬの)の稚国なるかも。初国小く作らせり。故、作り縫はな」から始まり、「志羅紀の三埼を、国の余り有りやと見れば、国の余り有り」と続き、「国来(くにこ)、国来と引き来縫へる国は、去豆(こず)の折絶(おりたえ)より、八穂尓支豆支(やほしねきづき)の御崎なり...堅め立てし加志は、石見の国と出雲の国との堺なる、名は佐比売山(さひめやま)、是也。亦、持ち引ける綱は、薗の長浜、是也」と展開する。島根半島が新羅(朝鮮/韓半島)の三埼と珠洲(能登半島)の三埼から引き裂かれ、三瓶山(さんべさん)と大山を杭として太い綱で引かれてきたことを詩歌風に述べている。
この詞章は、本居宣長をはじめ、古くから多くの歴史学者を魅了してきた。たとえば、農耕に関わる人々によって伝承された詞章だとか、国造の統治領域形成の物語、または集団労働による地域社会の形成を象徴したものといった解釈がされてきた。確かに重要な指摘であるが、残念ながら、そこには島根半島の大地とは何かという考えはない。しかし、最近の歴史学者の多くは、日本海を通じた地域交流を抜きにすることはできないことや地形の重要性も指摘している。國や三埼を引いて縫ったとされる「折絶」の3つの場所は、いずれも地形が窪んでおり、国引きの神話には明瞭に地形区分がされている。

出雲国風土記を自然科学でみる面白さ

このような詞章を自然科学からみると大変興味深い。それは、地質学者がこの物語の舞台である島根半島を「宍道褶曲帯(しんじしゅうきょくたい)」と呼ぶほど、褶曲と断層を伴って地層がはげしく変形・変位をしている場所だからである。風土記にある八束水臣津野命(やつかみずおみづぬのみこと)という神は「河船のモソロモソロ(重そう)に」と陸塊を綱で引く。その様子は、プレート運動とともに陸塊が水平に移動する現在の地球科学の構造運動論と視点が共通する。地図もない1,300年も前の風土記時代の人々が、大陸移動説に相当するような水平運動的な地球観を語っていたということである。
(地球)物理学者の寺田寅彦は、大陸移動説によって日本海の形成を説明しようとした最初の人である。その大陸移動説の紹介には国引きの様子が用いられている。1970年代に日本海に海洋地殻が確認され、1980年代には西南日本列島の古地磁気の偏角の45度東偏が明らかにされた。2,000万年前の磁極に合わせると、西南日本弧の朝鮮半島への近接が復元される。1990年代には国際深海掘削計画(ODP)による深海掘削も実施され、本州弧の大陸からの分離と日本海の拡大は、いまや研究者間でも異論はない。

■国引きジオパーク
島根半島域周辺域の歴史・神話と融合した自然を楽しむ国引きジオパーク構想

環日本海域の古代の人々の交流

国引き神話はどのような根拠のもと「新羅の三埼」や「都都(=珠洲)の三埼」との関係を示したのか、詳しくは分からない。しかし、その背景に島根半島、朝鮮半島、能登半島の地質に共通点があることは単なる偶然だろうか。島根半島も能登半島も新生代の中新世という今から2,000万年から1,000万年前の地質時代に基本的地質構造が形成された。朝鮮半島では中新世の地質は迎日湾のある浦項(ぼはん)付近に発達する。そこでは流紋岩や玄武岩からなる九龍浦半島が日本海へ突き出している。島根半島西端の火山岩も突き出て大社湾をつくる。能登半島の北東端は、層理をもった堆積岩が禄剛崎を形作る。美保関の海食崖も層理のある堆積岩よりなる。この景観の類似性は、古代の人々にどのように映ったのであろうか。
環日本海域の交流手段は、古来より船であった。古墳の石室に描かれた船(たとえば、鳥取市の空山古墳、鷺山古墳、阿古山古墳など)は、すでに高度な航海機能が備わっていた構造船のようにもみえる。700~800年代に盛んに行われた渤海国との交流には日本海を横断できるほどの技術があったことがうかがえる。海上移動の際に海岸地形をみて、位置を確認することは重要なことであったにちがいない。
朝鮮半島や北陸・新潟の人々との交流を通して語られてきた自然(地形)の類似性が、大陸移動説のような「陸地の水平移動」を発想させ、地質の類似性は地形に反映されたものとも解釈できる。このように地形地質学的にみても国引き神話は人々の交流がベースにあるといえる。
現在、風土記に記された島根半島の海岸には毎年膨大な量のゴミが漂着し、古代から続く景観の保全に深刻な影響を与えている。ゴミの半分は韓国をはじめとする大陸からきたものである。時を越えて、今は漂着ゴミが両国の近さを感じさせる。島根県は、韓国NPO法人「韓日社会文化フォーラム」と共同して、平成22年度から韓国内の中高生に来県してもらい、県内高校生と一緒になって海岸漂着ゴミの実況を体験する活動を行っている。今年は韓国の中高生にも国引きジオパークのことを紹介する予定である。そこで、日本列島がかつては共通した大地であったことを伝え、国引き神話のような古代から人々が交流し、素晴らしい文化をつくってきたことを学ぶことは両国間の将来にとって重要なことであろう。
島根半島は、国内でも歴史と自然が一体となった珍しい地域といえる。そのような地域をタイムスリップして楽しめるのが国引きジオパーク構想である。読者も『出雲国風土記』を一読のうえ島根半島の浦々を巡るとよい。自然の造形を目前にして古代人と空間を共有する機会となろう。(了)

  1. 島根大学くにびきジオパーク・プロジェクトセンター http://kunibiki.noomise.com/

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