Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第369号(2015.12.20発行)

瀬戸内海を「庭」や「畑」として利用する

[KEYWORDS] 瀬戸内海/貧栄養/カキ殻
広島大学大学院生物圏科学研究科教授◆山本民次

瀬戸内海は窒素・リンなどの流入負荷削減により、水質は良くなったが、同時に貧栄養化を招き、魚介類の生産は激減している。瀬戸内海環境保全特別措置法の改正により、瀬戸内海を「庭」や「畑」として捉えるという方向性が示された。
カキ殻を有効利用することで、これら2つのことが同時に達成できる可能性について提案する。


瀬戸内海の貧栄養化

■図1:ノリの色落ち。①正常なノリ、②色落ちしたノリ、③乾ノリ製品(左は正常、右は色落ち)(写真提供:兵庫ノリ研究所)

瀬戸内海環境保全臨時措置法(1973年)およびその後継法である特別措置法(1978年)に基づき、化学的酸素要求量(COD)で表される有機物、窒素(N)およびリン(P)の流入負荷量が約40年間にわたって削減されてきた。このいわゆる総量削減は5年ごとに見直され、現在ではそれぞれのピーク年の発生負荷量に比べて、CODで約1/4、Nで約1/2、Pで約1/3である※1。これにより、高度経済成長時代には「瀕死の海」と言われた瀬戸内海の水質はかなり良くなった。例えば、大阪湾の透明度は約3mから6mまで改善した。
しかしその一方で、海水中の栄養塩濃度の低下は明らかで、ノリの色落ち(図1参照)や漁獲量にも甚大な影響を与えている。ただし、生態系はさまざまな種から成り、食ったり・食われたりする複雑な系なので、サワラのように、中には増えていると判断される種もいる。しかし、簡単に言えば、栄養分が足りなければ、畑の作物同様、海の生物も育たないのである。
筆者がこの「貧栄養化」について指摘したのは2002年であるが、当時は「富栄養化」時代から抜け出して10年程度経ったところであり、学会も含めて全くといって良いほど認識がなかった。早くから流入負荷の削減が行われ、貧栄養化の問題が指摘されていた欧州と比べると、国内での認識は10年遅れた。
「貧栄養化問題」については論文や一般向け解説などこれまで数多くの文章を書いてきた。それらの要点を成書『海と湖の貧栄養化問題−水清ければ魚棲まず』(共著花里孝幸、地人書館、2015)にまとめた。貧栄養化の原因は複数あるが、瀬戸内海の貧栄養化は、窒素やリンの流入負荷量の削減、ダムによるそれらのトラップなどである。例えば生態系の構造を平均的に見て4段階(栄養塩、植物プランクトン、動物プランクトン、魚類)であると想定して、ロトカ・ボルテラモデルで定常状態を解析すると次のような結果が得られる。富栄養化が進行する過程では、植物プランクトンと魚類が増えるが、栄養塩濃度と植食動物の現存量は変化しない。逆に、貧栄養化の過程では、植物プランクトンと魚類が減少し、同様に栄養塩濃度と動物プランクトン現存量は変化しない。このことは1970年代〜1980年代の富栄養化進行期に、赤潮が頻発したが漁獲量が増加したこと、1990年代以降の貧栄養化の時代に、赤潮は減少したが漁獲量も減少したことを首尾良く説明できる。

瀬戸内海をハワイの海に

環境省による「今後の瀬戸内海の水環境の在り方の論点整理」※2において、瀬戸内海の価値として、次の3つが挙げられた。海上航路としての「道」、漁業生産の場としての「畑」、景観・観光の場としての「庭」である。列車・自動車・飛行機の時代となっては、瀬戸内海の「道」=航路としての価値は大きく低下したと言わざるを得ないが、瀬戸大橋、しまなみ海道、とびしま海道など、島々を結ぶ巨大な橋の景観は、「庭」としての価値を高めている。
瀬戸内海の「貧栄養化」について初めて指摘した当時は「瀬戸内海の水はハワイの海のようにきれいじゃない。貧栄養などありえない」という指摘がされたが、上述のように、すでに大阪湾でさえ透明度は倍になっている。透明度がこれほどまでに良くなったにもかかわらず、そのきれいさが実感できないのは、底質が泥だからである。ハワイのようにサンゴのかけらでできた真っ白な海底であれば、瀬戸内海はもっともっと美しい海に見えるに違いないのである。
私が住む広島県はカキの生産量が全国一である。隣の岡山県も宮城県に次いで第3位である。この2県からでるカキ殻は年間12万トンほどになる。カキ殻はサンゴと同じく炭酸カルシウムで白色である。これを砕いて海底に敷き詰めれば、まさにハワイの海のような景観になるに違いない。
ただし、カキ生産業者から出されるカキ殻はそのままでは産業廃棄物である。したがって、陸上で剥いたカキ殻をそのまま海に投入することは法に触れる。以前からの私の持論であるが、カキ殻を廃棄物扱いなどせず、美しい瀬戸内海にするために行政は積極的に使ってもらいたい。海から獲れたカキ殻を海に戻す、そんな当たり前のことで、瀬戸内海はもっと美しくなるはずである。法の緩和が必要である。

瀬戸内海で耕作を

■図2:干潟での局所的施肥実験によるアサリの生残・成長結果。底質改善材(施肥材)を鋤込んで3カ月後の結果(2013年7月〜9月)。尾道えび干潟、左:対照区、右:施肥区。

2015年10月、瀬戸内海環境保全特別措置法が大幅に見直された。これまでのような流入負荷の削減のみの施策による水質保全ではなく、環境の再生・創出など、人手を加えることによって管理し、豊かな海にすべきという方向へ大きく転換された。「畑」としての利用である。
瀬戸内海漁業生産の不振は、ノリだけではない。その原因のすべてが「貧栄養化」にあると言うつもりはないが、先にも述べたように、栄養分がなければいかなる生物も育たないのは誰が考えても明らかなことである。
そこで、筆者らは、干潟を耕して施肥を行うことで、アサリの餌となる微細藻を増殖させ、アサリの生残・成長を促進する実験を始めている。図2に示す通り、アサリ干潟に肥料を散布したところ、アサリの生残率が上がり、立派なアサリに成長した。
先ほど触れたカキ殻は以前から肥料や飼料として加工・販売されてきた。肥料分として必要な窒素やリンも含まれているからである。しかしながら、化学肥料のほうが安価で即効性があることや、農家自体が減ってきていることから、その需要は低下している。瀬戸内海は貧栄養化しているが、底泥中には有機物が堆積して還元状態となり、硫化水素が発生する場所も少なくない。硫化水素は猛毒であるため底生生物の生息を阻害する。また、酸素との反応性が高いので、貧酸素水塊形成の原因となっている。販売されているカキ殻は高温で熱風乾燥したもので、表面は酸化カルシウムになっているため、底泥に混ぜると弱アルカリ性を呈し、硫化水素を効率良く低減する。硫化水素を低減することで生物生息が回復し、肥料分が溶出することで生態系は豊かになる。
陸上農業で施肥は当たり前であるが、海での施肥の試みはきわめて少ない。「海の生物は放っておけば増える」という幻想は捨てるべきである。水産物の自給率は現在60%程度であり、アサリも約6割が輸入である。安全・安心な水産物を食べたければ、瀬戸内海を耕作地として捉えるのは至極当然なことであろう。(了)

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