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オーシャンニューズレター

第330号(2014.05.05発行)

第330号(2014.05.05 発行)

バンドウイルカの人工尾びれの開発

[KEYWORDS]人工尾びれ/ハイジャンプ/技術屋の心
ブリヂストンフローテック株式会社相談役◆加藤信吾

沖縄美ら海水族館にいるイルカのフジのことをご存じだろうか?
病気で尾びれの大半を失ったこのイルカの人工尾びれを、ひょんなきっかけから開発することになった。途中で何度も挫折しそうになりながらも素晴しいチームワークで課題を乗り切り、フジはハイジャンプが可能となるまでになった。

尾びれを失ったイルカ

2002年12月、ゴム製品の配合設計や製品開発を担当していた私に奇想天外な開発話が舞い込んできた。沖縄美ら海水族館にいるイルカが病気になり尾びれを切除し、泳げなくなってしまったのでゴムの技術を使って人工尾びれを作成してほしいという依頼であった。タイヤ以外の製品はさまざまなものに携わった経験があるが、生き物相手ではとても自信がなかったのでお断りするつもりで水族館の植田啓一獣医の説明を聞いた。
難しい手術に成功して病気の進行を食い止めることはできたが、イルカは泳ぐことをやめてしまい、ただぽっかりとプールに浮いて餌を食べるだけの生活になっているという。せっかくイルカのために難しい手術にチャレンジしたのに、これが正しいことであったのかと悩んでおられた。
「この子をもう一度仲間と一緒に泳がせたいのです」と言う獣医の言葉に引き込まれ、断るタイミングを失ってしまった。「世界で誰もやったことがありません」という言葉が技術屋の心をくすぐった。

チャレンジ開始

まずは観察してみる必要があると思い、紹介された近くの八景島シーパラダイスで初めてイルカに触った。尾びれの感触は確かにゴムに似ていた。断面形状はまさに流線型で、前端部が非常に硬く後端部は紙のように薄く柔らかい。尾びれの内部に骨はなく繊維質とのこと。信じられないほど最適化された構造である。ふだん海水以外と接触することのない皮膚は薄く、硬いものと接触するとすぐに傷がついてしまう。これからやろうとしていることの困難さが頭をよぎった。
そこで尾びれの材料には、イルカの皮膚に影響がないこと、また、試行錯誤が想定されるため簡易な型を用いた製作が可能であることを重視し、室温硬化型のシリコーンゴムを選択した。作り方は、型の中にイルカの尾びれのレプリカを吊るし、隙間に液状ゴムを流し込み、これが固まって中空の人工尾びれが完成するという構想。ちょうど冬休みに入ったので、家で粘土を使ってミニレプリカを作成し、実際にシリコーンゴム流し込んでこの方法を試してみた。その結果、ほぼ期待通りのミニチュア人工尾びれが完成し、試作に向けた第一歩を踏み出すことができた。
2003年、実際の尾びれの型取りを行うために沖縄に行き、初めてバンドウイルカ「フジ」の姿を見た。「何とかしてあげる」と心の中で誓い作業に入った。型取りはミニサンプルで行ったのと同じ手順で、シリコーンのパテを詰めた木箱に4人がかりでフジの尾びれを押し付けた。しかし、本物のイルカはおとなしくしていてくれない。何とかレプリカを作ったがどうも本物と形が違う。これではフィットする人工尾びれが作れない。
そこでイルカの造形作家の薬師寺一彦氏に修正をお願いした。削りあがったレプリカはまさに本物そっくりなものとなった。

人工尾びれの取り付け

■カウリング型尾びれの検討案

■改良を加えたカウリング型人工尾びれ

さまざまな協力を得て、第1号の人工尾びれが完成した。早速沖縄に送って取り付けてもらった。その様子をビデオに撮ってもらって確認してみると、フジは嫌がることもなくこの尾びれを受入れ、これまで忘れていた縦方向へのドルフィンキックを行っていた。不安が一気に期待へと変った。しかし、この尾びれでは長靴を履いて泳いでいるような状況で、他のイルカと一緒に泳ぐようなスピードが出せなかった。
その後、取り付け方法やゴムの硬さを変えるなど、何度も週末を沖縄で過ごし改良を試みた。少しずつ泳ぎは良くなっているものの、フジの遊泳能力は健常イルカと比較すると、そのレベルはまだかけ離れていた。水の抵抗の少ない取り付け方法を考えたり、部位ごとの硬さの分布を本物のイルカに近づけたりするなど、改良のための課題は山積していた。水族館の会議室で獣医、飼育係を交え、夜のふけるのも忘れて議論をした。固定方法をこれまでのバンド方式から、強化プラスチック製のカバー(カウリング)でとめる方式に変更し、硬さの分布を再現するためにゴムの尾びれの内部に強化プラスチックの板を埋め込むなどの改良にも取り組んだ。
このような改良を経て、カウリング型と名付けられた新形状の尾びれが完成した。装着テストを行った結果、フジはこれまで見たこともない身のこなしを見せた。ほどなく他のイルカも一緒に泳ぎ始めた。これが植田獣医の目指していた姿だ。シンクロの取れた動きは芸術的にも見えた。

どんでん返し

■カウリング型人工尾びれを装着してジャンプするフジ

人工尾びれの装着訓練も一般公開され、多くの人々が感激していた。2004年、これで完了したと思った矢先、植田獣医から電話が入った。
「フジがジャンプしようとしています」、「え、フジはもう年なので激しい泳ぎはしないと言っていたじゃないですか」
そうです、飛ぶことまで考えた設計はしていなかったのです。その数日後に人工尾びれが無残にも壊れたという連絡が入ってきた。不安が現実のものとなってしまった。ジャンプを前提とした設計をしなければならない。簡単な計算では、ジャンプ前のキックでは尾びれに1トン近い力がかかることがわかっていた。このため一から出直して、科学的な解析手法を使って補強材の素材から製法まで全て改良することとなった。材料は最終的に、飛行機やロケットに使われる高級素材に変更された。これまで何度も人工尾びれが壊れて、一時は人間がチャレンジしてはいけない領域なのではないかと悩んだこともあった。そんな状況の中で、多くの仲間とともに、これならばという人工尾びれを作り上げた。浅瀬から泳ぎだしたフジは軽く泳いだ後に、いよいよジャンプに向かった。横方向へのボウジャンプの後、垂直方向へのハイジャンプ。スタートしたフジのスピードに圧倒されるまもなく空中に飛び出した。高い! 新しい設計の尾びれの適度なしなりが助走のスピードを上げたことは明らかであった。心配していた割れも起きていない。これまでの苦労がようやく報われた瞬間だった。
開発に着手してから10年以上が経過した。これまで40本近い人工尾びれが作られてきた。今後もフジを生涯面倒を見ようと決めている。さまざまなトラブルを乗り越え、元に近い状態で遊泳をさせるレベルにまで至った。異なる分野の専門家が知恵を出して解決してきた結果である。チームワークの大切さと物作りの面白さを感じた挑戦であった。(了)

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