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オーシャンニューズレター

第247号(2010.11.20発行)

第247号(2010.11.20 発行)

津波・高潮災害への備え ~世界の高潮・津波調査結果を踏まえて~

[KEYWORDS] 沿岸災害/途上国/減災
早稲田大学理工学術院教授、横浜国立大学名誉教授◆柴山知也

最近、頻発している沿岸域災害に対応して、災害調査手法の精緻化、数値予測法の進歩により、減災技術の向上は顕著であり、地域ごとに具体的な災害イメージを持つことが可能となった。
予測できる被災を経済的、社会的な条件により、放置することは許されない。科学的検討結果を早急に社会に伝達していく必要がある。

高潮・津波の災害調査

ここ七年程の間に、外力の規模が大きく、被害も大きかった津波、高潮、高波などの沿岸自然災害が頻発している。それらは、2004年インド洋大津波(被災国はインドネシア、スリランカ、タイなど)、2005年ハリケーン・カトリーナ高潮(アメリカ合衆国)、2006年ジャワ島中部地震津波(インドネシア)、 2007年サイクロン・シドル高潮(バングラデシュ)、2008年サイクロン・ ナルギス高潮(ミャンマー)、2009年のサモア島沖地震津波(サモア)、2010年のチリ地震津波(チリ)である。
私はこれらすべての沿岸災害に際して、災害発生直後に調査隊を組織し、隊長として被害の調査に当たってきた。この間、現地から直接に世界中の研究者に対してインターネットを通じて情報を発信し、この分野における国際的な災害調査の一翼を担ってきた。この他にも私が調査を行った最近の国内の沿岸災害の例としては、2006年の横浜港大黒ふ頭の冠水(陸棚波に起因した異常潮位)、2007年の台風9号による湘南海岸の侵食(西湘バイパスの一部が崩壊)、2008年の富山県入善漁港の寄り回り波による被災などがある。これらの経験をもとに、世界中で毎年のように起こっている沿岸災害にどう対処したらよいかについて、述べてみたい。

被災の多様性

上記の調査活動の結果、解ってきたことは、類似した力学的な破壊力が与えられても、被災の形態は地理的な条件などのほかに地域社会の構造、個々人の行動選択などに強く依存しており、その文脈は極めて多様であるということである。例示すれば、1970年のサイクロンで30万人から50万人、1991年のサイクロンでは14万人の死者を出したバングラデシュで、2007年のサイクロン・シドルによる高潮では4千人余りの死者にとどまったことがあげられる。バングラデシュでは1990年代を通じて、日本をはじめとする各国の援助のもと、着々とサイクロンシェルターを建設して避難場所を確保してきたことが功を奏したといえる。その一方で2008年にサイクロン・ナルギスに襲われたミャンマーでは、南部のデルタ地帯が高潮に襲われた経験がほとんどなく何も対策を立てていなかったため、14万人に上る死者・行方不明者を出すこととなった。

2010年チリ津波と2009年サモア島沖地震津波


■写真1: チリ津波の被災地トゥンベス


■写真2: サモア津波の被災地アマナベ

最近の例としてチリ津波について述べる。調査の結果、沿岸域の陸棚上や湾内にトラップされた津波が4時間以上にわたって何度も海岸を襲ってきており、津波の浸水の高さは8~10m程度、遡上高は最大で20mを超えることが分かった。これは、2004年のインド洋津波の際にスリランカ南部に押し寄せた津波高さに匹敵するが、チリの場合には地震と合わせても死者が350人と著しく少ないのが特徴であった。これは、(1)1960年チリ地震、2004年インド洋津波を契機として、津波教育が行き渡っており、多くの住民が高台に避難したこと、(2)地震の規模が大きく、住民にとって具体的に津波の来襲を感じることができたことなどが理由として挙げられる。写真1に示したのはタルカワノ近郊の村、トゥンベスでの被災状況である。7.6mの津波の高さで、この周辺で遡上高を測ったところ、9.5m、6.7m、8.6mなどであった。この村では2人の人が亡くなっており、1人は船の保存に手間取り、1人は津波の怖さを信じず逃げなかった人であったという。
一方で、震源の南約100キロの商工業都市コンセプシオンの北側にあるディチェトでは、市内の中心部が浸水し中心街が壊滅して大きな被害を出した。海岸で津波高さは8.0m、小さな丘を越えた中心街で6.9から6.3mであった。町の北側には河口があり、川が中心街の陸側を流れていた。この川筋を津波が遡上し、大量の水を中心部に流し込んだ。河口周辺で津波高さは6.4m、右岸(市内の反対側)で7.7mとなっていた。家屋は概ね破壊されていたが、死者が18人と少なかった理由は、津波の知識がある程度行き渡っており、大きな地震の直後だったため住民が急いで避難したことにあると思われる。
2009年のサモア島沖地震津波でも同じく183人と死者が少なく、住民はサンゴ礁上で砕ける波を見て、避難を開始している。写真2はアマナベの被災後の写真である。この村では湾内に約7mの津波が襲来し、内陸に250m近く氾濫していることが分かった。村の人口は500人ほどで犠牲者はなく、津波襲来時にはラジオで警報が伝達され、ベルを鳴らして注意を促したという。また、子供たちはあらかじめ津波の知識を与えられていたため、親を含む住民の避難に役立ったという。これらを踏まえると、具体的に津波の危機を住民が感じられるような警報システムを設計する必要があると考えている。

災害調査と減災に向けて

災害の調査に当たって私は、痕跡高などの量的データや、被災者へのインタビュー結果などの質的なデータをもとに、災害現場で何が起こったかの現実を再構成することを目指している。今後の被災発生の予測シナリオを組み立て、それに対応する減災施策を立案するためには、現地の現実を再構成することが不可欠の第一歩となるからである。実際には現地の事情は様々であるが、個々の地域の被災の文脈を読み解くための調査とそれを再現しようとする数値シミュレーションを併用することにより、現実を再構成し、災害の具体的イメージを持つことができる。また、このイメージは住民と共有することが可能である。つまり、被災の事情は様々であるが、災害発生に見られる地域の固有性を端緒としてその社会的文脈を読み解くことによって、対応するそれぞれの地域での減災シナリオを作成し、現地のパートナーとともに有事に備えることができるようになったのである。その際、地域の人々との協働が不可欠であるが、私たち専門家の役割は他所での調査で蓄積した経験を生かして、現地での施策を具体的に提言することであろう。
上記に述べた方略以外にも、現実の多様性に対応して、減災に向けた対処の仕方も多様な手法を準備することが求められる。例えばミャンマーの場合、軍事政権の頑なな姿勢により、日本人研究者が直接に高潮対策の提案を行うことはできない。しかし、幸いにしてここ20年ほどの日本の大学の積極的な努力の結果、多数の日本留学経験者達が学位取得後に母国に帰国し、文民として多くの官庁に奉職している。すなわちミャンマーの場合にはこれらの日本留学卒業生を通じて、これまでの日本やバングラデシュで蓄積した経験をもとに提言をしていくことが可能であり、その努力が既に行われつつある。今後は、さまざまな方略を駆使して、沿岸災害に強い地域のシステムを作っていく必要がある。(了)

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