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オーシャンニューズレター

第122号(2005.09.05発行)

第122号(2005.09.05 発行)

船の安全性を産業戦略として活用する欧州造船界

大阪府立大学大学院海洋システム工学分野教授◆池田良穂

欧州造船業は、先進的な船舶の建造にターゲットを絞ることによって、建造トン数においてははるかに上回る日本や韓国を凌ぐ売上を上げ、その10%余りを研究開発費として充てている。
最近は、船舶の安全性の向上をその競争力として生かすべく、IMOでの積極的な活動、巨大研究プロジェクトを展開している。
研究開発費が桁違いに小さくなっている日本の造船業にとっては大きな脅威になりつつある。

世界のリーダーシップをめざす欧州造船界

欧州造船工業会(AWES)の一昨年度のレポートによると、欧州の造船業界の売上は1兆7,000億円に達したという。日本および韓国が1兆2,000億円余りなのに比べると5,000億円余りも上回ったこととなる。船舶建造トン数で比較すると、日韓の半分にも満たないが、クルーズ客船などの高船価船に戦略的にターゲットを当てて建造した結果とみられている。さらに驚くべきことは、売上の10%を研究開発費に充て、2015年には世界の造船のリーダーシップをとるという明確な目標をたてていることである。日本の造船界の競争相手は、韓国であり、さらに中国だとされているが、欧州が新しい造船業への構造改革を着実に進め、急速にその実績を挙げつつある。

経済性重視から安全性重視へ

欧州造船業界が、その産業振興のための戦略の一つとして積極的に活用しているのが、「船舶の安全性」のように見える。国際海事機関(IMO)における各種の安全性レベル引き上げの動き、安全性に関する巨大研究プロジェクトの立ち上げなどが、筆者がそのように感じる根拠である。

交通機関にとって、安全性が何にも増して重要なことは当然であるが、経済性と相反する側面があるため、実際にはその両者の兼ね合いの上で安全性レベルが決められるのが常である。しかし、経済性にウェイトが傾くと、最近の重大な列車事故、トラックの事故多発、航空機におけるトラブル等にみられるような事例が顕在化する。

船の世界では、大ヒットした映画「タイタニック」でもよく知られた、かつての巨大客船「タイタニック」が北大西洋上で氷山と衝突して、多数の犠牲者が出たのを契機に、船の損傷時の安全性を確保するための国際的な取り決めの一つとして「海上における人命の安全のための国際条約」、すなわちSOLASとして知られる国際規則ができた。また、昭和29年の台風で沈没し、1,155名の犠牲者を出した青函連絡船「洞爺丸」の海難を契機として、復原性規則が日本で作成され、それがベースとなって国際規則が制定されている。こうした規則が完備されても、依然として、海難は続いている。これらの影にも経済性重視という側面が見え隠れしている。船齢の高い老朽船の使用、安い税金を求めて船舶の国籍を移す便宜置籍、発展途上国の安い賃金の船員の雇用などである。

 
左/日本海で遭難したロシアのタンカー「ナホトカ」。写真は漂流する船首部分。積んでいた重油が流出して日本海沿岸で油禍をまねいた。 (写真:朝日新聞社、1997年1月2日撮影)

下/事故調査委員会のために海上技術安全研究所製作の「ナホトカ」の船首破損部分模型。

「船舶安全設計国際会議(Design for Safety)」と機能要件化の流れ

欧州における、船舶の安全性を造船産業振興のための戦略としても使うという考え方を下から支えているのが、欧州の大学や研究機関であり、1999年に英国において「船舶安全設計国際会議(Design for Safety)」が開催された。この流れの背景には、欧州における船舶の安全性の向上を求める世論の高まりがある。欧州において、800名あまりの犠牲が出た旅客カーフェリー「エストニア」の沈没事故(1994年)をはじめ、ROROフェリーの海難が続いた。また、イギリス籍のバラ積み貨物船「ダービシャー」の沈没事故(1980年)、大小様々なタンカー事故による海洋汚染の多発も世論を大きく動かした。IMOにおける安全性レベル向上を目指す欧州各国の動きに、造船産業の中心である東アジアの各国は、むしろ迷惑顔であったが、大きな研究費をかけた科学的な根拠に基づく欧州提案が通る場面がIMOの場でも次第に多くなっている。こうした船舶の安全性レベルの向上を造船産業振興のためにも積極的に活用しようという明確なメッセージを発信したのが、同会議であった。

この会議の中で、船舶の大きさ(長さ、幅、深さ)に応じて部材寸法など(板の厚さ等)の基準値が画一的に決定する従来の安全基準に代わり、船の用途や運航の仕方も考慮した当該船舶にとってより合目的で合理性のある安全基準により、設計の自由度を増して新しい革新的な船を創造していこうという動きが明瞭になっている。船舶の専門家はこうした動きを「船舶の機能要件化」と称している。すなわち、これまで船舶の安全性に関する各種の基準は、伝統的な形式の船舶に対して作られており、その性能や構造について事細かく基準や規則が制定されており、それらに基づいて船を設計すれば、安全性を確保した船の設計ができた。しかし、そこからは画期的に新しい船はなかなか出てこない。そこで、機能要件化の流れが出てくる。従来の基準や規則では、遠洋まで行く船については、復原力がいくらで、乾舷高さがいくらで、船の外板厚さがいくらと決まっていた。それを、「波の高さが4mの中で、ある想定の航海速力を保って安全に航海できること」のように簡潔にその規則が本来要求している当該船舶に対する機能で表現するということである。機能要件化をすると、製造者は、その機能要件を十分に満たしているかを証明する義務があるし、監督官庁にはそれを的確に評価する能力と制度が求められる。

先進的技術開発の必要性

同会議を企画した英ストラスクライド大学のバッサロス教授から、第2回を日本で開催してもらえないかという打診があったのは、3年ほど前の船舶復原性のワークショップでのことであった。昨年10月、大阪で開催された同会議は、船舶の安全性に強い関心をもつ国内産官学の関係者をはじめIMO(国際海事機関)の主要メンバーや、各国の政府関係者、船舶の安全性に関する研究者135名あまりが参加し、3日間にわたり熱い議論が交わされた。この会議の中で、主導的な立場を維持していたのは欧州勢であり、EU主導の巨大研究開発プロジェクトの紹介もあった。

日本の造船業界の研究開発費は、売上の約1%といわれ、欧州に比べると桁違いに小さい。今回紹介した安全性技術の側面だけでなく、船舶における先進的技術開発力において、欧州がターゲットとする10年後に、大きな技術格差となって顕在化することが危惧される。

賢い造船所が、機能要件を証明できれば、他の造船所より"薄くて、軽くて、しかも丈夫"な経済的で安全な船を造ることが許される時代がそこまで来ている。わが国造船業も遅れてはならない。(了)

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