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オーシャンニューズレター

第107号(2005.01.20発行)

第107号(2005.01.20 発行)

海洋汚染に関する日本主導の国際調査・研究組織の設立を望む

東京大学海洋研究所教授◆宮崎信之

慢性的な海洋汚染はそこに暮らす生物に深刻な影響を与えており、生物の大量死、繁殖障害、奇形、免疫機能の低下などと深く関与している。
過去数度にわたって大量死を起こしたカスピカイアザラシの調査でも、健康個体の数十倍に及ぶ有機塩素系化合物濃度が検出されるなどの驚愕の結果が得られた。
海洋汚染に関する国際的な監視体制の強化と調査・研究組織の設立を推進していく必要がある。

慢性的な海洋汚染が引き起こす生物への影響

海洋汚染には、核実験や核廃棄物の海上投棄などの意図的な汚染のほかに、船舶の衝突や座礁による油の流出などによる突発的な汚染、水俣病やイタイイタイ病に見られる工場排水からの有害化学物質の流出や農薬の使用による長期的・慢性的汚染がある。特に、日本では、1940年代から1960年代にかけて、水俣病、イタイイタイ病、PCB油症などの公害病が知られるようになった。DDTs、PCBs、BHCs(HCHs)などの有機塩素系化合物は、当初、人間の生活を便利で快適にするために大きく貢献してきたが、長期間の使用によって人体を著しく害することが明らかになった。最近では、これらの化学物質は、内分泌攪乱物質として一般の人々にも関心をもたれるようになった。このような有害化学物質は、北米大陸五大湖における魚食性鳥類、北海・バルト海のアザラシ、バイカル湖・カスピ海のアザラシ、セントローレンス川のシロイルカ、地中海のスジイルカなどで観察された大量死、繁殖障害、奇形、免疫機能の低下などに深く関与しており、その動向と生物に与える影響が世界で注目されている。ここでは、環境汚染の深刻なカスピ海に生息しているカスピカイアザラシ(Phoca caspica)の例を紹介し、人間が環境へ与えた影響と自らがその環境より受ける影響を考えてみたい。

カスピカイアザラシの大量死はなぜ起きたのか?

カスピ海は、ロシア、アゼルバイジャン、カザフスタン、トルクメニスタン、イランの5カ国に囲まれており、37万km2となる日本の領土に匹敵する面積を持った世界最大の湖である。1991年に旧ソ連邦が崩壊した後、中東の約1/3に相当する石油が海底に埋蔵していることが明らかになった。石油掘削による汚染が加速し、同時にボルガ川などの周辺河川から有機塩素系化合物、放射性核種などの有害化学物質が流入したことによって、近年、その環境悪化が懸念されている。カスピ海の生態系の頂点に位置するカスピカイアザラシでは、1997年、1998年、2000年にそれぞれ数千頭の大量死が起きており、その要因について様々な角度から検討されてきた。

私たちは、1993年、1997年、1998年、2000年の4回にわたってロシア研究者と国際共同調査を実施し、性成熟年齢(9歳)になっても妊娠しないメスが増え、通常のアザラシでは70-90%である妊娠率が20-30%に低下していることを指摘した。愛媛大学の田辺信介教授との共同研究では、死んで海岸に打ちあがったアザラシの体内から、健康個体の数倍-数十倍の有機塩素系化合物濃度が検出された※1。また、衰弱個体や肝臓・膵臓に異常が見られる個体が出現していることから、大石和恵博士(海洋研究開発機構)を中心とするウイルスの専門家にも参加していただき、生物影響調査を多面的に展開した。その結果、私たちの研究チームは、カスピカイアザラシは1979年にヒトの社会で流行したA型インフルエンザウイルス(A/Bangkok/1/79/H3N2)を20年以上にわたって保持しており、現在でもアザラシの集団間で感染が継続していることを明らかにした※2。同時に、カスピカイアザラシがこれまでヒトの世界にしか存在していないと考えられていたB型インフルエンザウイルスにも感染していることを突き止め、近い将来、アザラシからヒトへの感染の可能性があることを示唆した。

■図1
ユーラシア水系に生息しているアザラシ3種から検出されたA型インフルエンザウイルス(クリックで拡大)

この論文は、2004年1月に共同通信社を通じて国内はもとより海外のメデイアにも伝えられ、内容に関する問い合わせが殺到した。特に、国際学術雑誌の「The Lancet」からは直接電話でインタビューを受け、次のような記事「今回の研究成果は、野生動物であるカスピカイアザラシがウイルスのリザーバーとして機能していることから、インフルエンザやSARSなどの感染症の対策を講じる際にも、ヒトと野生動物との関連性について十分に考慮した監視システムや研究体制を構築していくことが重要である」が紹介された。その後、私たちは、バイカル湖のバイカルアザラシや北極海のワモンアザラシも調査し、ユーラシア大陸のアザラシは様々なタイプのA型インフルエンザウイルスに感染していることを明らかにし(図1)、その総合対策の必要性を強調してきた※3。

海洋汚染に関する国際的な対策を

毎年、冬になると日本を含めたアジア地域で新しいタイプのインフルエンザウイルスによるヒトへの感染が話題になり、その対策について様々な議論がされてきた。共同研究者の北海道大学の喜田宏教授は、野生のカモの結腸に多くのタイプのA型インフルエンザウイルスが存在していることを明らかにしている。夏、シベリアなどの高緯度地域で生活していたカモが、冬、アジア地域に回遊し、糞を通じてインフルエンザウイルスがニワトリや豚に感染し、その後ヒトへ感染するのではないかと推察されている。特に、豚はトリとヒトの双方のインフルエンザウイルスを遺伝的に交差することができることから、トリからヒトへの感染に重要な役割を担っていると考えられている。

私たちは、共同研究者の協力のもとに、上記のような調査を実施してきたが、環境問題を本質的に解決していくには、資金面や組織面で限界があることを認識せざるを得なかった。このような環境問題に取り組むには、優れた研究者集団を組織し、しっかりした計画の基に実行することは勿論であるが、組織的に調査・研究が継続できる体制を構築していくことも重要である。日本はこれまでにも環境研究で様々な貢献をしてきた。この成果をさらに生かしていくには、日本が主導して海洋汚染に関する国際的な監視体制や国際的に中立な調査・研究組織の設立を推進していく必要がある。この設立に向けて、日本が積極的にリーダーシップを発揮することを期待したい。(了)

※1 N. Kajiwara, S. Niimi, M. Watanabe, Y. Ito, S. Tanabe, L. S. Khuraskin and N. Miyazaki. 2002. Environmental Pollution, 117: 391-402.

※2 K. Ohishi, A. Ninomiya, H. Kida, C-H. Park, T. Maruyama, T. Arai, E. Katsumata, T. Tobayama, A. N. Boltunov, L. S. Khuraskin and N. Miyazaki. 2002. Microbiology and Immunology, 46(9): 639-644.

※3 K. Ohishi, N. Kishida, A. Ninomiya, H. Kida, T. Takada, N. Miyazaki, A. N. Boltunov and T. Maruyama. 2004. Microbiology and Immunology, 48 (11): 905-909.

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