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【Ocean Newsletter】バックナンバー

第86号(2004.03.05 発行)

真珠養殖と生物環境

(社)日本真珠振興会 参与◆赤松 蔚(しげる)

長い間、日本は養殖真珠の宗主国として世界に君臨してきたが、近年その図式が崩れつつある。その原因として真珠の急速なグローバル化も挙げられるが、赤潮発生などによる漁場環境の悪化と、感染症による母貝の大量へい死が最大の原因と言える。こうした現象は真珠養殖だけではなく、狂牛病、コイ・ヘルペス、鳥インフルエンザなど、経済効率を追求する余り、生き物を生き物として扱わず、また生産拡大のため自然環境をどんどん変えてきた「つけ」が回ってきた結果ではなかろうか。

今から110年ほど前、真珠養殖技術が開発されて以来、日本は養殖真珠の宗主国として長い間世界に君臨してきました。しかし最近これが大きく崩れています。その原因としては、真珠養殖のグローバル化に伴い、中国、インドネシア、フィリピン、オーストラリア、タヒチなどの生産が量、質共に大幅に向上したことが挙げられますが、もう一つ見落としてはならない原因に、日本の真珠産業の急速な衰退があります。これは漁場環境の悪化と、感染症による母貝の大量へい死によって引き起こされた人災とも言えるもので、経済効率のみを追い求める余り生き物を生き物として扱わず、また生産を増加させるため自然環境をどんどん変えてしまった「つけ」が回ってきた結果のように思われます。そこで今回は真珠養殖と生物環境を中心にお話したいと思います。

1.養殖真珠の現状と問題点

アコヤガイはナイロンネットに入れられて養殖される。海事作業は台風や赤潮、冬場の低水温など、刻々変わる海況変化に素早く、的確に対応しなければならない。(写真:日本真珠輸出組合)

前述のように、110年ほど前に開発された養殖技術は、やがて産業として大きく開花します。特に第二次大戦後、養殖真珠は貴重な外貨を稼ぐ輸出産品として重要な役割を果たします。やがて真珠養殖が中国やオーストラリア、タヒチなどに広がり、こうしたグローバル化に伴って、熾烈な競争が始まります。その結果、日本の淡水真珠や黒真珠は中国やタヒチとの厳しい国際競争に曝されて敗退を余儀なくされました。現在では世界で独壇場だったアコヤ真珠でさえ、中国の追い上げを受けています。またこれに追い討ちをかけるかのように、日本では赤潮や、感染症によるアコヤガイの大量へい死が続き、生産量もこれまでの1/3ほどに落ちてしまいました。そして気がついてみると、日本は世界最大の真珠輸入国になっていたのです。

どうやら日本の真珠産業は衰退期に入ったように思われますが、これをもう少し詳しく分析してみると、真珠産業の変遷には母貝の種類や養殖地域に関係なく、共通のルールが見えてきます。それはどんな場合でも、真珠養殖は技術発明→技術革新・増産→漁場環境の悪化・母貝の大量へい死や品質低下→国際競争の激化→衰退という流れに移行するということです。最初技術が発明されて産業となり、技術革新が起こると生産量が飛躍的に伸びます。そして養殖場の生産能力をはるかに越え、再生産が不可能になるまで増産が続けられます。当然そうした漁場環境の下で働かされる母貝は生き物ですから、環境の悪化に耐えられなくなっていきます。その結果、今までに起こらなかったような赤潮が突然発生したり、感染症など対応できないような新しい病気が発生して、母貝異常や大量へい死を起こしたりして、真珠養殖が続けられないような事態が起きています。

アコヤガイの健常貝(写真上)と病貝(下)。写真下の感染症に罹ったアコヤガイは貝柱が赤変している。やがて筋肉全体が損傷を受けて、貝はへい死する。8年前に発生したこの感染症に対して効果的な対策が見つからず、日本の養殖真珠産業は大きく後退した。

アコヤガイの感染症は、感染したアコヤガイに夏場の高水温や過密養殖などのストレスが加わると発症するのです。おそらく、これまで感染しても発症しない抵抗力を持っていたものが、「働け、働け」と毎日ストレスを加え続けられたため、それに耐えられなくなって発症するのでしょう。この現象は他の動物でも起こっていて、例えば霞ケ浦で発生したコイのヘルペスの、「霞ケ浦」を「愛媛」に、「コイ」を「アコヤガイ」に、「ヘルペス」を「感染症」に置き換えると、奇妙な位オーバーラップするのです。現在世界各地で起こっている牛の狂牛病、コイのヘルペス、鳥のインフルエンザなどの問題を見ていると、何だか人間に無理矢理働かされた生き物達が、人間に対して復讐しているように思えて仕方がないのですが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。

2.これからの真珠養殖

これからの真珠養殖にはいくつかの課題がありますが、その中で重要なものを3つほど取り上げます。第一は養殖真珠に宝石的価値を維持させることです。残念ながら最近では養殖真珠の大衆化に伴い、「売れれば何でも」という考えが浸透して、たとえ低品質、低価格の真珠でも、一度それがもうかるとなると、自然環境や生き物への配慮を忘れて大増産に走り、行き詰まるまでとことん行ってしまいます。かつてのように「漁場も無限、母貝も無限」と考える時代は過ぎました。限りある資源を有効に利用して、本当に良いものを少量生産する体制に切り替える必要があります。

第二の課題は「労働集約型真珠産業」から「技術集約型」への脱皮です。これまでの対応では全く新しい感染症などに対して無力状態となり、その結果初期の対応が遅れ、被害が拡大しました。他の動物の場合は、牛でも、コイでも、ニワトリでもアヒルでも、ハクビシンでも即処分されます。残念ながら真珠養殖では発生初期にこうした処置が講じられなかったので、感染症はあっという間に全国に広がりました。また多くの真珠業者は中国産のアコヤガイの中に感染症に強いものがあるという噂を聞いて、中国産母貝を大量に日本に持ち込み、日本産との交雑種、いわゆる「ハーフ貝」を作ったため、今では純日本産のアコヤ貝が絶滅する恐れさえ出てきています。赤潮にしても感染症にしても、これまでの経験や勘では全く通用しないことがわかりました。これからは科学的根拠に裏付けされた養殖への転換を図らない限り、不測事態への対応ができなくなります。

第三の課題は、最も重要な「真珠産業とエコシステムの調和」です。これからは単に産業だけを優先させるのではなく、環境への配慮をどのように行うかがポイントになります。具体的には漁場の生産能力を的確に把握して過密養殖にならないようにし、餌不足や酸素不足、硫化水素の発生などによる漁場悪化を防ぐなど、徹底した漁場管理が必要になります。また海況の変化を科学的に捉え、赤潮予知システムなどを確立させて、起こりうる被害を未然に防ぐことも必要になります。一方母貝については、健常な優良母貝を作出する必要があります。そのためには優良母貝の遺伝子レベルでの分析、精子の凍結保存などによる優良種の保存、人工採苗による母貝作出技術の確立などが必要となります。また病貝を持ち込ませない、病貝の焼却など、感染症に対する迅速な対応も求められます。外国種との交雑化も避けなければなりません。こうしたことは個々の養殖業者ではとても対応しきれないことなので、地域や組合がまとまって取り組む必要があります。

これからの日本の真珠養殖は、完全に技術集約型へと脱皮して、再び飛躍を遂げることができるのか、あるいはこれまでのやり方を続け、国際競争に敗れて衰退するのか、大きな岐路に立たされているといえます。(了)

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