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オーシャンニューズレター

第104号(2004.12.05発行)

第104号(2004.12.05 発行)

いつの日か、ヨット王国ジャパン

アテネオリンピック・セーリング競技男子470級代表(銅メダル)、関東自動車工業(株)所属◆関 一人

オリンピックの華形競技である柔道や体操に比べ、セーリング競技への注目度は残念ながら低い。
いま日本ではセーリング競技をくわしく知る人も少ないだろうし、このスポーツの愉しさを知る人も少ないだろう。
しかし、一度でもヨットに乗ってカラダで風を感じれば、誰もがすぐにこのスポーツの魅力に気付くはずだ。
新しいファンを少しずつ育んでいけば、いつか、世界に誇れる「ヨット王国ニッポン」が生まれると信じている。

「ヨット競技の愉しさって何ですか」。そう質問されることがよくあります。アテネから帰った後はとくにそういう質問をされる機会が増えました。しかし、実をいうと、その答えは単純そうで本当に難しく、私は、いつも、うーむと深く悩んでしまうのです。

ヨット競技は一般にはほとんど知られていないスポーツです。ちょっとした説明をするにしても難解な専門用語ではチンプンカンプンでしょうし、かといって、かんたんな言葉では意味やニュアンスが違って伝わってしまう。また、ただでさえ口下手な私は「海の上は自由だから」と、ついつい禅問答のような答えをして、質問した人をいっそう困らせてしまうことにもなるのです。

実際のところ、海もヨットもそう難しいものではありません。思い描いてください。目の前に広がる真っ青な海。どちらに向かって走ってもいいなんてすばらしいと思いませんか! 道路と違って何も線が引いてない、標識もない。私が父に連れられて初めてヨットで海に出たときにも、まずそのことに驚き感動しました。小学校2年生だった私は、それからずっとヨットの愉しさにのめり込み、とうとうオリンピックに出るまでになったのです。

たしかに、セーリングのことを何も知らない人にとって、わからないことだらけのスポーツでしょう。しかし、風を直にカラダに感じて一度でも海を走れば、すぐにわかってくれるはずです。自然と一体となることの歓び、自由であることの愉しさ、これぞセーリング最大の魅力なのだということを。

技術や能力を超えた勝負・オリンピック

ところで私が出場した470(ヨンナナマル)級は、艇の長さが470センチであることからそう呼ばれています。高校時代からのライバルであり、いまは会社の同僚でもある轟賢二郎とのコンビも3年目です。轟は身長173センチのがっしり型。私は167センチで体重が58キロと、やや小柄な体型。そういえば、ふたりでアテネの選手村を歩いていたとき、他の選手たちが、あのデコボコ・コンビはなんの競技だろうかと囁く声を耳にしたことがありました。470級では、クルーとスキッパーという役割の違いから、自然とコンビ間でこうした体格の差が生まれ、前方の帆を操りながら艇から身体を大きく乗り出してバランスをとるクルーは長身で大柄の方が圧倒的に有利なのです。ちなみに私たちは世界でも例がないくらいに小さいコンビで、体力的にもこの競技では不利だとよく言われますが、基本的にセーリングは操艇技術の戦いなのです。

アテネオリンピックのセーリング競技男子470級で銅メダルを獲得した筆者(手前)とクルーの轟賢二郎。(写真提供:関東自動車工業(株))

たとえば風上に向かうときにはヨットは風に向かって45度の角度でしか走ることができないので船を方向転換しながら走らせるわけですが、どこでいつ方向を変えるか、いかに正確にスムーズに行うか、一瞬一瞬の決断も重要になります。また、そもそも風は目に見えないもの。何処から吹いてくるか分からないので、波の形、海の色など、さまざまな情報をたよりに、次にどちらに変化するかを予測して方向転換をするのです。また、同じ風の中を走っても、いかに帆の回りを速く空気が流れるか、いかに速く流すか、たったそれだけのことが艇のスピードを大きく変えてしまいます。艇を操る技術と能力は本当に微妙で奥が深いものなのです。

実をいうと、私のアタマの中には、いつも風が吹いています。風呂のなかで、クルマを運転しているとき、いつもイメージの中でヨットを走らせてみるのです。そして、思いついたことを海に出て試してじっくりと研究する。週4日の練習はその繰り返し。操艇は練習を繰り返すことでしかうまくならないのです。私のことを天才だと簡単にいってくれる人がいますが、私はコツコツ努力型タイプなのです。

前回のシドニー後、アテネまでの4年間で、世界選手権の男子470級の最高位は11位でした。それが、いまの日本のレベルであり、正直に言って、メダルを狙う実力にまだ自分たちは到達できてないと思っていました。ただ、最後まで落ち着いて展開を読んでレースを愉しむことができたことが銅メダルにつながったのだと思います。とくにオリンピックを意識しないですんだことも好結果につながったのでしょう。

レースは大詰めになったところで、それまでダントツで金メダルに近いと言われてきたイギリス・チームがちょっとしたミスでアメリカに追いつかれ、優勝をさらわれるという結末になりました。金というプレッシャーにイギリスは敗れたわけです。それに対して、アメリカチームがみせた土壇場での勝負強さ。ともに40歳を超える大ベテランが、大きなプレッシャーにさらされる局面でみせた凄まじい集中力。自分たちが勝つんだというものすごいオーラ。いっしょに走っていて、とても自分が勝てるとは思えませんでした。しかし、そういう極限といえる戦いを世界一の舞台で目撃できたこと。これは選手として素晴らしい経験でした。

セーリングの課題と未来に向けて

残念ながら今回のアテネでもセーリング競技は日本のマスコミにはほとんど注目されていませんでした。私たちのメダルが決まって、TV局があわてて競技のフィルム探しに奔走したという後日談も耳にしました。しかし、これがセーリング競技の悲しい現実です。

たしかにセーリングは、柔道王国や体操王国と呼ばれる人気競技にくらべれば、あまりに目立たない競技です。もちろん知名度だけの問題ではないでしょう。競技を支えているのは選手ではなく、日本中のファンや一般の愛好家であり、ヨットのことが好きな人たちがもっともっと増えなければ、セーリングが注目される日は来ないと私は思います。

日本は周囲を海にかこまれているので、ヨットの環境はけっして負けているとは思いません。しかし、海外のヨットハーバーには日本にはない一般の人たちがふらっと立ち寄って遊ぶことができる、親しみやすい雰囲気があります。初めて会った人と仲良くなり、ヨットでの夕食に誘われて愉しいひとときを過ごしたという海外遠征の思い出はいくつもあります。しかし、本当にそれは文化の違いで、日本にそれを求めるのは無理なのでしょうか。

いま、ジュニアの教室や体験スクールなど、誰もが気軽にヨットに接する機会が関係者たちの努力で増えつつあります。セーリングの愉しさは、乗ってカラダで感じればすぐにわかるはずです。新しいファンを少しずつ育んでいけば、いつか本当の意味で世界に誇れる「ヨット王国ニッポン」が生まれる、その日がくることを願いつつ、私はセーリングというスポーツの魅力と愉しさをできるだけ多くの人たちに伝えていきたいと考えています。(了)

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