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第103号(2004.11.20発行)

第103号(2004.11.20 発行)

与那国島海底遺跡の現状、保護のあり方

琉球大学理学部物質地球科学科教授◆木村政昭

沖縄県与那国島海底遺跡が、このほどユネスコ関係者から"水中文化遺産"に値するとの知らせを受けた。
それは、今から1万年前かそれ以前に陸上でできた世界最古級の巨石文明と推定されるにもかかわらず、未だ保護の手が打たれていない。

海底遺跡の調査

1986年、地元ダイバー新嵩喜八郎氏がたまたま階段構造を見つけ、そこを"遺跡ポイント"と名づけ※1、ダイビングスポットとしての調査を開始した。その貴重な情報の提供があり、琉球大学海底調査団の調査が実現した。1992年のことであった。それ以降スクーバダイビングによる調査のほか、シーバット(三次元地形探査機)による音波探査、ロボットを用いた調査等により、三次元地形データをはじめさまざまなデータを得ることができた。なお、関連陸域は、レーザービーム測量と空撮により、地形図作り等を行うことができた。またベリリウム10や炭素14による年代測定も行った。その結果、与那国島の遺跡ポイントは人工的な遺跡とみなすべきだとの結論が得られた。

海底遺跡の現状

■図1-1 第1海丘立体図(クリックで拡大)
■図1-2 第1海丘南北模式断面図(スケールなし)(クリックで拡大)

まず、与那国島南岸の新川鼻沖には、古代の市街地をイメージさせるような地形形態が存在している。その代表的なものには亀神殿、円形広場、ロータリー、水源池等と作業名が付されたものがある。それらのうちでも最大の階段構造の高まりを、"第1海丘"と仮称する。ここがいわゆる当初"遺跡ポイント"と呼ばれた所の中心部にあたる(図1-1)。第1海丘の南にある2つの階段状地形は、西から東へ、第2(南神殿)~第3海丘とされる。

第1海丘の中心は岸から約100mの沖合にあり、水深約25mの海底から立ち上がる階段ピラミッド状地形だとわかった(図1-2)。これを"与那国海底ピラミッド"と仮称する。その高まりの全長は東西に長く、斜面は階段状で城壁のようにもみえる。規模は、東西方向に約270m、幅は南北方向に120m、高さは26mほどとなる。ということは、実は1mほど海面上に顔を出しているのである。一方、この海底が、少なくとも4-1万年前には陸上にあったことは、付近に見つかった複数の海底鍾乳洞の存在によって疑う余地はない※2。

これら海底構造物に付着しているサンゴ藻等の生物化石の炭素14と構造物を構成している表面付近の岩石(砂岩)中のベリリウム10の年代測定により、遺跡ポイントおよびその周辺の形態はおよそ1万年かそれ以前に陸上で人の手が加えられて形成されたことが推定される※2 ※3。

人工の検証

ではここでなぜ人工としたか、要点をあげてみる。

■図2 遺跡ポイントおよび付近から発見された遺物(クリックで拡大)

(1)第1海丘や擁壁(ようへき)の角石のコーナーの部分には、石を切った際のクサビや梃子(てこ)を使った跡と思われるへこみ(ツールマーク)が観察される。

(2)第1海丘周辺には周縁道路(ループ道路)が形成され、その道に沿って巨石がどけられている。

(3)周縁道路には擁壁が作られている。図1-1および図1-2にはその様子が示されている。また、周縁道路へ入るための門がしつらえてあり、その前の広場には敷石も敷かれている。道路工事が行われたのである。

(4)これまでに、用途のわかる石器や線刻石版・動物のレリーフが彫られた直径70cmの円石等はっきり人が使ったと認められる遺物が出土している。図2には、その代表例を示す。とくに、Dの線刻石版は、1994年の台風後ループ道路の石垣の巨石が倒れた裏からでてきたものである。そのため、海底遺跡形成時かそれ以前のものということが明らかなサンプルである。このように、生活遺物が出土している。

(5)第1海丘は、大局的に見れば階段ピラミッド状である。しかし、中・南米に見られる階段ピラミッドのように完全には対称ではなく、複雑で、それ自体は山城と言った方が良い。その形態は沖縄の大型グスク(城)によく似ている。グスクは、城と神殿を合わせたような機能・構造をもつものと言われている。特に、首里城とは大きさ・構造ともによく似ている。

(6)現在にも通じる本格的な大土木工事が行われていた証拠が次々と認められている。第1海丘では、道路、排水溝、擁壁等が確認されたが、その周辺域には、街路、ロータリー、市街地の廃墟らしいおびただしい石片、水飲み場および水源地と思われる凹所、敷石、スタジアム、彫像およびモニュメントのような物が確認されている。南神殿のさらに南に亀のように見える構造物がある。亀を型どった神殿と思われるモニュメントの両側に住居状のスペースがある。その壁近くに、オベリスクのような三角柱状の巨石が立っている。また、周辺にはイースター島のモアイ像を思わせる高さ7mほどの人の顔と思われるモニュメントがある。7-8mの人面岩が立っている。水中ロボットを用いて、これを再調査したが、横からみると、髪を長くのばしたヒトか、羽飾りのついた帽子をかぶった王の顔のように見え、全体がスフィンクスのように見えることが確認された。

保護のあり方

われわれの調査結果に基づき、1998年に与那国島の海底遺跡の発見届けを沖縄県教育委員会に提出した。しかし、遺跡保護の手はさしのべられていない。

水中の文化財に対する無理解は、世界の趨勢でもある。そのため、2001年にユネスコで「水中文化遺産」保護条約ができた。その条約作成関係者より資料提供を求められ出した結果、それは、「水中文化遺産の定義にあてはまる」との返事がごく最近あった。早く水中文化遺産として保護・保全されることを望みたい。(了)

※1 木村政昭・新嵩喜八郎・琉球大学海底調査団(2000):与那国島海底の遺跡様地形の調査・研究, 月刊地球, 22(2), p.77-83

※2 木村政昭(2002):海底宮殿, 実業之日本社,東京,291p

※3 Kimura, M., Nakamura, T., Kobayashi, K., Yagi, H., Ishikawa, Y., Ueda, M., Sakamoto, M., and Chihara, T. (2001): Research for submarine ruins off Yonaguni, Japan, Bull. Fac. Sci., Univ. Ryukyus, (72), p.49-72

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