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オーシャンニューズレター

第76号(2003.10.05発行)

第76号( 2003.10.05 発行)

新潟の舟運 ― 現状報告と将来展望

信濃川ウォーターシャトル株式会社代表取締役社長◆栗原道平

信濃川や阿賀野川などが流れる新潟平野は、昔から舟運が活発に利用されてきた。水上バス運航会社-信濃川ウォーターシャトル株式会社は、現代に通用する意義と役割を持った舟運を復活させるべく平成10年に設立された。水上バスの船着場整備、船の運航にとって必要なインフラの整備等、今後への課題も多いが、新潟をかつてのような「水の都」と呼べる街にしていきたいと考える。

舟運の現状

信濃川や阿賀野川などの流下水量の豊富な大河川が流れる新潟平野は、昔から舟運が活発に利用されてきたという歴史を有している。明治時代には新潟市から約70km上流の長岡市まで蒸気船が就航しており、旅客、物資双方に対して輸送の重要な役割を担っていたが、明治期末に北越鉄道(現信越本線)が開通したことに伴い、舟運は徐々に衰退の道をたどることになった。それでも昭和40年代初頭までは、「コーレンボー」と呼ばれる石油運搬船や砂利・砂運搬船などが盛んに往来していたが、それらも自動車輸送に取って代わられてしまい、行き交う川舟の数もめっきり少なくなってしまった。

新潟市もかつては、八千八川と呼ばれる程市街地を縦横に堀が巡り、情緒溢れる個性的な街並みを誇っていたが、モータリゼーションの急速な進展の前に、昭和38年までに堀割はことごとく埋め立てられてしまった。

そんな新潟の歴史的背景を踏まえ、現代に通用する意義と役割を持った舟運を復活し、新潟を名実共に「水の都」と呼べる街にして行こうと平成10年3月20日に水上バス運航会社-信濃川ウォーターシャトル株式会社設立に踏み切った。事業資金を広く市民から募ることにより、平成11年2月10日に1号船「アナスタシア」号を完成し、不定期航路事業を開始、平成14年6月1日には、新潟市中心部の万代島と約9km上流の新潟ふるさと村との間を結ぶ待望の定期航路開設にこぎつけた。同年7月20日には2号船「ベアトリス」号が進水し24日から就航を開始、運航体制の充実を図った。

平成15年4月1日からは、万代島乗り場を開業を一ヶ月後に控えた新潟国際コンベンションセンター(愛称:朱鷺メッセ)横に移転、中心市街地へのアクセスに優れた万代橋西詰と県庁前にも途中寄港できるようになり、料金も乗合バスに近い水準まで引き下げ、都市公共交通として最低限の形態を整えた。この夏は、朱鷺メッセと新潟ふるさと村とを結ぶシャトル便と周遊便を毎日約20便運航中である。利用者数も当初の約2万人前後から今年度は約7万人の利用を見込んでいる。

また、新潟市周辺にとどまらず、信濃川を上流へ50km以上遡り、大河津分水洗堰までの航行を平成15年4月18日に満員の旅客を乗せて行った。旅客船が大河津まで航行するのは実に86年ぶりとのことで、一般市民からの乗船希望が殺到し、片道6時間もの船旅を多くの方々に体験していただいた。このような長距離運航も年間何回か実施するようになっている。

■信濃川ウォーターシャトルの航路図

将来展望 ―― 今後舟運を発展させるために

当初の計画では、平成12年3月1日を開業目標として、万代島と新潟ふるさと村とを結び、5隻の水上バスにより早朝から深夜まで15~20分間隔で途中5ケ所に寄港する平日1日94便、休日88便の定期航路の運営を目指していたが、船着場整備などの遅れにより、当初計画どおりの運航には未だ至っていない。

船着場整備に関しては、事業計画策定時から、行政による基盤整備事業の一環として着手してもらうことを前提としており、万代橋から下流の港湾区域の2ケ所については、比較的迅速に整備がなされたが、万代橋から上流の河川部(信濃川は、最下流部の万代橋を境に河川と港湾とに管理者がそれぞれ分かれている)で予定していた船着場5ケ所については、整備を担当する行政機関が定まらないまま2年以上の期間が空費され、具体的な整備計画の策定が大幅に遅延した。

舟運を再構築するためには、舟運が廃れて長い時間が経過しようとしているため、いろいろと困難な制約が伴う。近年架けられた橋梁は、昔からあった橋梁よりも橋桁の高さが概して低くなっており、船の通過を困難なものにしているが、幸い信濃川には新潟~長岡間でこのような航行不能箇所はなく、ある程度の大きさの船の航行が可能である。快適な船旅を楽しむには、屋上のデッキに人が立つことのできるクリアランスが確保されていることが望ましく、橋桁の高さは水面から最低5.5mは欲しいが、新潟市内の最下流部に架かる橋の橋桁は、それよりも低くなっている。

船着場の整備も、水上バスとしての船着場整備は、港湾区域内において小型船舶船着場として整備が行われたが、河川域では水上バスとしての船着場整備はなかなか実現せず、県庁前船着場は防災船着場の平時利用という形式をとっている。新潟ふるさと村の船着場も3年間の暫定措置であり、いずれも利用者に顔を向けているとは言えない中途半端な施設となっている。港湾区域の船着場も、小型船を接岸することのできる空間を親水公園的に確保したというだけで、係船中の陸電受電、燃料補給、給水、汚水処理など船の運航にとって必要なインフラの整備がなされていない。また、船着場までの連絡道路や通路上の案内標識などもまったく設置されていない。船着場における旅客乗降設備、券売所、キオスクなどの付帯設備の設置も、船会社や関連事業者の方である程度自由に行えるよう規制を緩めてもらいたいところである。欧米都市の水辺空間に当たり前に見られるような賑わいが、わが国の水辺にはきわめて乏しいのは、人々が集い憩うために必要なこれらの施設の設置が、なかなか認められないためである。新潟市でも信濃川沿いのテラスにオープンカフェを開設しようという市民の動きがあるが、実現までの過程に時間がかかっている。

都市交通としての移動手段に利用して貰う方も、実のところまだまだの利用状況である。通勤・通学時間帯の運航は利用不振のため、一旦撤退せざるを得ないこととなった。今年度、北陸信越運輸局が「信濃川河川舟運を通勤・通学の足として利用する検討会」を設置し、舟運を都市交通として活用しようという取り組みが着手された。船着場までのアクセスの整備と合わせて、このような行政のサポートが実を結ぶことに期待をかけているところである。

今後は、現在の運航体制における収支の均衡と黒字化を果たし、さらに利用者サービスの向上に努め、万代シティ(新潟市内で最も人出の多い商業地域)と新潟市民芸術文化会館への寄港を実現し、できるだけ早い時期にさらに3隻を増備することにより、当初計画に沿った航路運営を実現したいと考えている。皆さんも大河津分水路などをはじめとした治水土木遺産のフィールドミュージアムの宝庫でもある新潟を訪れられた際には、信濃川の水上バスにご乗船下さい。(了)

万代橋を通過するアナスタシア号(2003年4月)
大河津分水新洗堰閘門内のベアトリス号(2002年12月)

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