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[ワークショップ全文⑧]「地域社会の多様性とムスリムコミュニティーに関するワークショップ」
~ミャンマーでの調査結果を事例に~(2017年3月28日開催)【質疑応答1/2】

2000.04.01

質疑応答

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(堀場) それでは、質疑応答に移りたいと思います。

(会場1) 一般市民ですから、非常に簡単なことを質問します。まず第1点は、ロヒンギャの人々がヘイトスピーチぐらいで国外に脱出するわけはないはずであって、一体どんな迫害を誰から受けてこういう事態に陥っているのかというのが1点目。

それから、もっと簡単なことかもしれませんが、私には、多数派である仏教徒がなぜムスリムを迫害するのかがすごく不思議で、それが一体いつからそんなことになったのかと疑問を抱いております。そんなことを言うと怒られるかもしれませんが、英国の領地になった地域は、英国が分断統治したことにより、シリアでもそうですし、たくさんの場所で起きているわけですね。そういったこととの関係はないのかという疑問が2点目。

3点目は、なぜアウンサンスーチーさんが政権を取ったのに、彼女あるいは政権が自国の問題として管理することができていないのか。その3点についてお伺いしたいと思います。

(斎藤) 分かる範囲でお返事させていただきます。一つ目の、ロヒンギャが外に出ていった時期をいくつか挙げていただいて、1970年代と90年代と、それから政権交代後と。民主化政権になった後というものがあったと思いますが、1970年代はネ・ウィンの時代で、ちょっとその辺り、私も細かいところ、ロヒンギャの専門ではないので、すみません。70年代は分からないです。

90年代については、1988年に軍政となった後で、ロヒンギャに限らず、ミャンマー国内から多数の難民、難民というか、軍政に弾圧された人が流出している時期でして、それもあってロヒンギャも同じように出ています。ロヒンギャの人数が多いというよりは、少数民族やビルマ族も含めて、タイ国境からもたくさんの人が出ています。今、問題になっている、バングラデシュでは難民キャンプ等々もなかなか設置してもらえずということですが、タイ国境は実はけっこうNGOが入って、大きな難民キャンプもできましたし、いろいろな支援が行き届いていて、実はタイにいるタイの住民よりも豊かなんじゃないかというふうに言われているぐらいです。そこでも問題が起きたりしましたので、時期としては、1990年代については軍政の影響も大きいと思います。

近年の話については、2012年の6月に、先ほどもちょっと触れましたが、時期としては5月末ですけれども、ヤカイン族の仏教徒の女性をロヒンギャの男性3人が暴行し、殺害したという事件がきっかけとなって、ヤカイン族とロヒンギャの間で大きな暴動が発生します。焼き討ちなどもあって、そこで村を追われた人が難民キャンプに収容されるわけですけれども、そこから徐々に外に出始めるというようなことで、ロヒンギャが外に出ております。



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***********斎藤氏より後日追加情報************

1978年は、当時のビルマ政府(社会主義、一党独裁)による、全国規模での居住地確定政策の影響も強いと思われる。国境に接するカチン州、シャン州、カレン州、その他の地域においても移民、難民は存在したが、特にヤカイン州は多かった。この時の政策により、移民、難民ではなくとも、全国民が移動の自由を奪われることとなり、不法移民とされた人々は政府により立ち退きを迫られた。ヤカイン州では多くのロヒンギャの人々を、1971年バングラデシュ独立時の混乱によって国境を越えてきた難民とみなしたため、バングラデシュ側に流出することになったようである。

1991年の流出については、1988年の民主化運動および1990年の総選挙が関係している。ロヒンギャはNLDおよびアウンサンスーチーを支持したため、軍からの攻撃を受け、これによってバングラデシュ側に逃れた者が多いと言われる。

昨年10月の流出については、少数のロヒンギャ武装勢力が国境警備の警察官を襲撃したことがきっかけとなり、ミャンマー側は軍を出動させ武装勢力を追ったことに伴い、治安が悪化しバングラデシュ側に難民として出る者が増加した。詳細な状況の報道は少なく、ミャンマー国軍によるロヒンギャ迫害との記事も見られるが、警察を襲撃した武装勢力は少数ではなく、国軍出動は当然の状況だったという報告もあり、巻き込まれた住民が避難せざるを得なくなったとも考えられる。

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多数派の仏教徒がなぜムスリムを迫害するのかについては、これも植民地時代、先ほどおっしゃっていたイギリスの分断統治は、実はロヒンギャに影響していたというよりは少数民族の対立のほうに影響しております。多数派の仏教徒がムスリムをなぜ迫害するのかという理由は、やはり恐怖をあおっていると思います。仏教徒は積極的に布教するということではないのですが、彼らの頭の中には、イスラーム教徒は積極的に布教し、イスラーム教を拡大させているというようなイメージが何となく埋め込まれています。

植民地時代に実際にあったこととして、イスラーム教徒がインドから入ってくるわけですけれども、インドというのは英領インドなので、地域としてはパキスタンとかバングラデシュも含めての、広い意味でのインドです。この英領インドから入ってきたムスリムが、実は元いたところに奥さんを残しながら、ミャンマーでも奥さんをめとって、その後、ミャンマーの独立により帰ったり、商売がうまくいかなくなったりで戻る時に、「実は向こうに奥さんがいるから、じゃあね、バイバイ」ということで置いていかれる。もしくは、連れていかれたら向こうに奥さんがいて、向こうの奥さんと一緒に暮らせと言われ、奴隷のようにこき使われたというような、まことしやかな話、実話も含めてだと思いますが、そういった話が独立以降、1950年代からいろいろな雑誌等々に書かれて、出回っていました。それは徐々に、軍政の後、言論統制がありますので、地下出版物として出回るわけですけれども、それも地下出版物でだいたい誰が関わっているかは分かっていても捕まらないということで、そういった出版物が途絶えずずっと出回っていたということもあります。何となくムスリムの人たちは怪しい、危ない、彼らはミャンマーの仏教徒の女性をめとってどんどんイスラーム教徒を産み落としているというような話が、おおっぴらにではないですけれども、何となく底辺にずっとあり続けて、そのくすぶっていたものが、2011年の民主化以降、言論の自由が出だした2012年以降に、反ムスリム運動として、「言っていいんだね」ということで、一人が言い出したら、「じゃあ俺も、じゃあ私も」というようになりました。その時期、ちょうどミャンマーでも、携帯電話を一般の人がだんだん手に取れるようになってきて、回線も良くなり、今まではインターネットにさえアクセスできなかった人たちもSNSにアクセスできるようになったと。いろいろな、良い条件としても取れますが、悪い条件が重なったところでムスリムを迫害というようなことにつながっていきます。
人口を考えても、彼らのほうがすごく多いのになぜと思うところはあるかもしれませんが、仏教徒の間では、やはりムスリムは危険だという意識を持つ人が多かった中で、ヤカイン州での事件が起きた後もこのような状況が続いているというような感じになります。
スーチーさんの話は、どういった意図で発言をしないのか、私も分からないですし、「宗教的には全員平等です」というぐらいの発言はしてもいいんじゃないかと個人的には思っていましたが、ミャンマーに行って、ムスリムへのインタビューをして話を聞いたところ、「ロヒンギャの迫害だけではなくて、自分たちムスリムが不利な立場に置かれているということについても不満は持っているけれども、今、ミャンマーはそれだけの問題を抱えているわけではなくて、少数民族との武力対立、武装組織との和解もまだ進んでいないし、インフラも整っていないし、スーチーさんはいろいろな課題を抱えている。なので、自分たちが我慢できる限りは我慢するので、スーチーさんには全体を見てミャンマーを良い方向に導いてほしいと強く思っている」というふうに言っていましたので、スーチーさんがコメントを発しないことについて、ムスリムのほうも不満ではあるけれども、自分たちはまだまだ頑張れるというふうに言っています。彼らが言っているとおり、ミャンマーではいろいろな問題があって、一つ何かスーチーさんが声を発すれば解決するというような問題ではないわけで、そこで何も言わないのが良いか悪いかというのはもちろん取り方にもよりますけれども、彼らは、見えないところでいろいろやってくれているというふうに感じているのは事実だと思います。

例えば、一つ例を挙げますと、もちろんメッセージを発しているわけではないですけれども、元軍の人たちは先ほど出てきた急進派のお坊さんみたいな人たちに対してもお布施をしたりして、それが新聞に載ったりすることもあるんですが、スーチーさんの場合は、お坊さんにお布施をするにしても、かなり宗教間の融和を図っているようなお坊さんに対して寄付をしているところの写真なんかが出ます。そういったところからでも、メッセージを感じ取れるというふうにムスリムの人たちは言っていますので、一つの考え方として、もちろん不満は出るでしょうけれども、今の状況ではちょっとしょうがないのかなというふうに考えています。



ワークショップ全文⑨【質疑応答2/2、閉会】