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[ワークショップ全文⑦]「地域社会の多様性とムスリムコミュニティーに関するワークショップ」
~ミャンマーでの調査結果を事例に~(2017年3月28日開催)【岡本富美子コメント】

2000.04.01

岡本富美子コメント

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(岡本)堀場室長、ありがとうございます。今、日下部先生より、ミャンマーからバングラデシュ側に逃れた人々のお話がありました。また、ボートで東南アジアへ逃れていった人がいるということに触れられましたが、私からは、その方たちが逃れた後、どうなっているのか少しご紹介させていただけたらと思っております。

最初に、2015年5月頃に起きましたアジアの漂流民危機を取り上げながらお話ししたいと思います。まず、きっかけは、この右上の写真で、タイ・マレーシア国境で、2015年の初め頃に集団墓地が見つかりました。最初は30人程のロヒンギャの人たちだったのですが、後から後から出てきまして、最終的には数百人、500人ほどが見つかっております。

この人たちが、先ほど日下部先生のお話にもありましたように、バングラデシュ側のキャンプに逃れた人たちですが、そのキャンプに暮らしていても、食べていくものも十分に得られない、また、将来も見えないという中で、何とか生計を立てていく手段がないかと、マレーシアを目指す方が多くいました。ムスリムが多数派で宗教的な週刊も似通っていますし、以前から陸路と海路の両方でマレーシアへの人の流れがあり、すでに定住している親戚等もいるということで多くの人がマレーシアを目指しました。ところが、先ほどの集団墓地が見つかってしまったために、タイ政府が陸路での移動というのを厳しく制限するようになりまして、陸路での移動が難しくなった人たちがボートでの移動を試みるようになりまして、2015年は、多い時で1か月に5000人ほどの人たちが海に出ました。

船に乗ってマレーシアを目指していくわけですが、当然、水や食料、燃料も十分に積んでいないので、途中で食料の奪い合いのために暴力があったりですとか、女性は性的暴行を受けたりといったこともあったようです。また、餓死をした人は海に捨てられてしまったこともあったと聞いています。途中、タイやマレーシア、インドネシアの海上保安庁の等が見つけるわけですが、なかなか上陸は許可してもらえず、わずかな水と食料、燃料だけをもらって漂流をしていくという形になりました。最終的には6か月から、長い人では9か月ぐらい漂流をした人もいます。漂流船の写真にも見えますように、定員が100名ぐらいの船に1000人程の人が乗せられて、足も伸ばせないような状態で長い期間、漂流をしていったというふうにも話を聞いております。

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そうした状況が国際的にも大きな問題になりまして、2015年の5月末にタイ政府の呼びかけで、漂流民に関する国際会議が開催されました。とにかく一時的に、海で漂流している状態を止めましょうということと、海上で漂流している人たちを探す活動をしましょうということ、また、人身売買の対策強化もしましょうということが決まりました。

と申しますのも、ミャンマーから逃れていったロヒンギャの人たちというのは無国籍の状態ですので、他の国に逃れようと思ってもパスポートもなく、どうしても人身売買の組織を頼らざるを得ないような状況であります。国境を超えるため、人身売買組織にお金を一人当たり35万円ほど払うそうなのですが、お金が払えないとか、警察に見つかってしまいそうだといった時、また、逃げる途中で邪魔になってしまった時には、殺されて埋められてしまうといったことがあって、先ほどのタイ・マレーシア国境での集団墓地のような状態になってしまいました。そういったことを防ぐためにも、人身売買の対策強化をしていきましょうということが合意をされています。

その後、海での移動に対する監視が厳しくなり、それほど大きな人の流れはなくなっているのですが、昨今のミャンマー国内の状況の悪化によって、また周辺国へ逃れていく人が増えてくるというふうに考えられます。

今、2015年の5月に問題となった漂流民の話を取り上げてお話をしましたが、これまでも1970年代、90年代と、ミャンマーからの人の流出がありまして、そのたびに周辺国は難民の人たちを受け入れてきている経緯があります。少しその周辺国の対応についてご紹介させていただきたいと思います。

難民の数を見ると、例えばタイには10万5935人の難民がタイ国内にいて、そのうちの約3000人がロヒンギャの人とされています。また、マレーシアには15万人の難民がいて、うちロヒンギャの人たちが5万3000人以上いるという状況になっております。各国、その対応に苦慮しているという状況だと言えると思います。ただ、受入国も、ミャンマー政府に対する外交的な配慮などから、直接名指しをして非難するということはできずに、困った状況であるというふうにも聞いております。

また、通常ですと、難民の人たちを保護する枠組みとしては、難民条約に加盟をしていれば、条約が定める難民にあたるかを審査して、認定をした人たちに対して自国民と同じような待遇を提供するということになっていますが、実はこの3か国とも難民条約に加盟しておりません。ASEAN諸国の中で難民条約に加盟している国は少なく、そうすると、難民を保護するための国内法などの枠組みがない状態になります。ということは、ここで言う難民の人たちは、いわゆる非正規滞在、不法滞在の人という扱いになってしまい、警察に捕まれば収容の対象になりますし、仕事や子供の教育、また、保健・医療への正式なアクセスがなく、非常に剤弱な状況に置かれていると言えると思います。

一方で、マレーシア国内では、難民の人たちの多くは都市部に暮らしており、いわゆる3K労働と言われる職業、例えば道路の清掃のお仕事ですとか、また、最近増えている建設のお仕事をしたり、飲食業で働いたり、また、路上でパンのようなものを売ったり、セックスワーカーとして働いたり、物乞いをしたりといったことで何とか生き延びているようです。

ということは、マレーシアの人たちがやりたがらない、いわゆる底辺の仕事を安価な労働力で補ってくれると重宝されている実態もあります。その反面、同じムスリム同士でも、マレーシアの人たちからすると、ロヒンギャの人たちはちょっと自分たちとは違うとか、衛生的なことも含めて汚いとか、教育を受けていないとか、そういったことで差別を受けるような状況のようです。

また、例えば、警察に捕まって、UNHCRという国際機関で登録をしたカードを見せても、放してほしければ賄賂を払えというふうに言われ、なけなしのお金を払わなければいけない。また、雇用主から不当な扱いを受けたとしても、いわゆる不法滞在のような状況でありますので、なかなか当局に訴えられない状況にありまして、搾取の対象になっていると言えると思います。

ムスリム国であるマレーシアであればもっとマシな暮らしができるのではと思って行ったところ、結局は、マレーシア社会の中でも周縁化されているような状況にあると言えるのではないかと思います。

そうした中で、昨年末からいろいろな動きが出始めています。例えば、タイとインドネシアでは、難民の保護のための法的枠組みを整えようと法案の審議が進んでいたり、インドネシアでは年明けに大統領令が制定をされました。また、マレーシアでは、ナジブ首相がロヒンギャの人たちの支援をしましょうと表明をしたり、また、マレーシア国内に住んでいるロヒンギャの人たち300名に3年間の労働許可を試験的に渡しましょうといったことも宣言をされ、少し改善の兆しも見られています。ただ、一方で、ナジブ首相の発言については、国内のマレー系の人たちに配慮したものという見方もありまして、慎重に見ていくべきではないかという声もマレーシア国内にはあります。

それから、もう一つは、市民社会の動きについても見ていきたいと思うのですが、先ほど申し上げたように、なかなか受入国政府による難民保護の仕組みが整っていないので、NGOですとか、市民社会が果たす役割というのが自然と大きくなってきます。例えば、先ほど漂流民のお話をしましたが、その漂流民の人たちが長い期間、漂流をして、インドネシアまでたどり着いた時に助けてくれたのは、実はインドネシアの漁民でした。その人たちは、普段、海で仕事をする中で、遭難している人を見たら助けるのは当然だということで、相手が誰だろうが助けるという心意気だったと聞いています。インドネシアに2015年の5月頃までに到着した約1800人に対して、地元の市民の方々や、イスラーム系のNGOの人たちがシェルターを準備したり、食料や衣料品を提供したりしてサポートしたというふうにも聞いております。

こちらの写真は、インドネシアのアチェ州のブラン・アドというところにあるシェルターですが、これはイスラーム系の団体が運営をしている場所で、家族で暮らせるような部屋、モスク、炊事場の他、地元民と一緒に縫製とか語学が学べる場所を提供したり、自立的な生活が送れるようにと牛舎のようなものも用意をしてありました。

また、マレーシアにも5万人ほどのロヒンギャの人たちが暮らしていますが、公教育へのアクセスもない中で、NGOが運営する学校に通って、少なくとも最低限の教育を受けられるように支援したり、また、職業訓練の機会を提供したりといったようなことも行われています。そうした資金というのは、一般の市民の人たちからの寄付ですとか、企業のCSR活動でも支えられているということです。

こうした、同じムスリムとしての連帯感ですとか、大変な経験をしている人たちを助けようという動きがイスラーム系の市民社会、ネットワークの中に存在することは非常に良と感じました。また、先ほどの斎藤先生のお話の中でも、ミャンマー国内の宗教間対話の取り組みがあるというふうにも聞きましたが、様々な対立がある中で、市民社会が果たせる役割というのは大きいなと感じております。

最後に、ASEANの地域レベルのことに触れて終わりたいと思います。例えばヨーロッパですと、EUレベルで難民を保護するための枠組みがありまして、それに基づいて難民を保護していますが、ASEANの場合にはそういった枠組みがないのが現状です。また、2015年の7月には、漂流民への対策を目的として基金を作りましょうといった決め事もなされましたが、その後、なかなか進んでいないようです。ASEANの中には人権委員会もありますし、ASEANの議員連盟の中でも、何とかしようという機運もあるようですが、やはり内政不干渉の原則があり、なかなかミャンマーを名指しで責めることもできず、難しいところも多いようです。

一方で、ロヒンギャの中には、最近、イスラム国のようなテロ組織に勧誘される人も出てきているといったことも、ちらほらと聞いております。結局、自分たちが置かれた状況について改善を訴える先がなく、不満が募る場合、何らかの過激な活動、行動に出ないとも限らないというところもあり、域内の安定に影響を及ぼしかねません。また、ASEAN域内では労働者の移動も活発化しており、先ほど来の人身売買の問題もございます。ヨーロッパの場合には、難民は外から入ってくる人たちという印象でありますが、ASEANの場合には、域内にいる人たち、域内の問題でありますので、この問題をどのように解決していくのか、ASEAN全体の統合、安定ということも考えた時に、誰が正しい、何が間違っているという二項対立を超える中、域内の多様性を超えて共存の道を探っていくことができないかということを考えております。

>ワークショップ全文⑧【質疑応答1/2】