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オーシャンニュースレター

第438号(2018.11.05発行)

東京湾の干潟の長期調査から考える赤潮対策

[KEYWORDS]干潟生物/東京湾/赤潮対策
フリーランサー(底生生態系調査)、東京大学総合博物館事業協力員◆山田一之

赤潮は人為的な除去では追いつかない。
首都圏がその機能を維持する限り無限に生産されるものだが、見方を変えれば、それは生物資源にもなる。人間は赤潮を直接利用できないが、アサリなどの貝類をはじめとして、ろ過食性生物の餌料とすることで利用できる形へと転換できる。
赤潮を産業利用につなげることはできないだろうか。

実習を通じた干潟の長期観察

筆者は1990年より都内の環境調査会社に勤務し、1999年以降は独立して、日本中の海とそこにすむ生物を見てきました。在職中に多毛類の権威である今島実博士に分類同定を学ぶ機会を得たのが大きな転機でした。師の薫陶はご専門にとどまらず、藻類などに及び、広く生態系を見渡せるようになりました。
東京大学理学部の「地球生態学」(茅根創教授担当)で行われている干潟実習は1995年に始まり、筆者は初回から生物の観察指導を行っています。これまでにのべ300人を超える学生が受講し、千葉県木更津市にある東京湾最大の自然干潟である小櫃川(おびつがわ)河口干潟と、東京湾最奥部に造成された葛西海浜公園の人工干潟である東渚とで、環境と生物相の観察、計測を行い両干潟を比較してきました。たとえば、他種が死に絶えた海底で一気に増殖して優占種となるものの実例を見ることも目的のひとつです。この24年間の2つの干潟の比較から、干潟特有の多様性の差が詳細に見えてきました。
1995年には葛西と比較して生物相が豊かに見えた小櫃でしたが、2000年頃からアサリやバカガイ、足の踏み場もないほどいたホソウミニナが減り始めました。それらと入れ替わるように2004年には干潮線付近にイボキサゴが高密度に出現し、2014年以降は干潟中央部までの代表種となりました。2006年には中潮帯付近をホトトギスガイが覆いつくしました。肉食性巻貝のサキグロタマツメタや小型の二枚貝ウメノハナモドキは実習初期から観察されていますが、これらは放流アサリに混入した移入種と考えられます。アサリやバカガイなどの出現個体数は実習初期の1/10に及ばず、年変動も顕著です。
その一方で葛西の東渚は保護されているため一般の人が立入ることはなく、徐々に生物が増え、出現種の交代は見られません。東渚の潮間帯にはゴカイやカニなどの巣穴が多数開口し、それらを食べに水鳥が飛来しています。最近では巣穴の見分け方を小櫃ではなく東渚で説明するほど、造成から30年以上を経て一定の極相に達しています。今や生物の種数は実習初期の小櫃と遜色ないほどです。
しかし、葛西では汀線まで赤潮海水が打寄せ、海水浴場では顔を水につけることが禁止されています。その沖合の水深2~3mを超えた海底は還元環境を示し、底質は硫化水素臭を伴った黒色軟泥で、有機汚濁の指標種シズクガイ、チヨノハナガイなどが採集されています。
今日、東京湾の湾奥では、常態化した高密度な赤潮が日光をほとんど吸収してしまい、海底付近では光合成が行われません。そして生物の呼吸や鉱物の触媒作用で酸素が完全に奪われると、海水中の硫酸イオンと金属イオンが結合しやすくなります。この化合物が海底付近にゆるく滞留したものがヘドロと呼ばれ、1960~70年代には東京湾の海底を覆いつくし、その後徐々に改善されましたが、発生源は随所に残っています。ヘドロは底生生態系を破壊し、赤潮が発生しやすい状況を作る悪循環を生んでいます。

葛西東渚(2017)
小櫃川河口干潟(2018)

実習で観察された多毛類

多毛類は海の生態系を底辺で支える重要なグループのひとつです。環形動物のうちゴカイの仲間を指し、ミミズやヒルなどと近縁です。世界中から12,000種以上、日本から1,300種以上の報告があり、数十cmを超える大物から10mmに満たない小型種まで様々です。小型の動物を襲ったり、植物破片を丸飲みしたり、有機物粒子をろ過したりと多様な食性のものがいます。ゴカイ類の変動は、干潟の環境の指標とすることができます。ツツオオフェリアは砂泥中で自由生活を送り、両干潟で圧倒的な個体数が生息します。また、エノシマイソメは小櫃で2005年に東京湾初記録となる1個体が採集されました。
両干潟で個体数の変動が小さいのは、ツツオオフェリアと、50cm以上の深さまで営巣するスゴカイイソメやタマシキゴカイです。小櫃では干潟の表面付近に営巣するツバサゴカイ類やツルヒゲゴカイなどがかなり密度を低下させました。東渚に隣接する舞浜前面の浚渫窪地で、実習初期にろ過食性のシノブハネエラスピオが採集されていましたが、埋め戻しにより無酸素化が軽減されたことが原因となり近年は確認できていません。陸上からではわかりませんが、海底で種の交代が進行しています。
こうした激しい生物相の年変動から小櫃での実習の継続が憂慮されています。今後攪乱要因がないとしても生物相が安定するまでの時間を予測することは大変困難です。また東渚も水面下で新たな局面を迎えているようです。さらなる経過観察が重要です。

イボキサゴ
ツツオオフェリア

将来へ向けて

近年、きれいな東京湾を望む声をよく耳にします。赤潮は海の環境破壊のうちでは一般の人が目にしやすく、赤茶けてヌルヌルした海水と特有の生臭さがあります。実習生らも船で沖に出てその状況を目の当たりにすると、東京湾の実態を理解しやすいようです。
東京湾湾奥の赤潮はクロロフィル換算で海水1m3あたり最大7gの記録があり、平均1gとしても外海のきれいな海水の1,000倍以上になります。これはある瞬間の生産量に過ぎず、増殖速度は除外されています。赤潮は人為的な除去では追いつきません。しかし見方を変えれば、首都圏がその機能を維持する限り無限に生産される生物資源となります。人間は赤潮を直接利用できませんが、利用できる形へと転換できると考えられます。アサリなどの貝類をはじめとして、ろ過食性生物の餌料とすることです。赤潮を原因とする貝毒への対策には、清浄海水で一定期間養生することが無毒化に有効です。またその他の食用魚介類の餌への利用も考えられます。この赤潮を解消するためのアイデアは、生態系の中では有害である物質をその外へ搬出するという発想です。大規模事業化がなされたとしても東京湾全域の環境改善に至るかどうかは未知数ですが、赤潮を産業利用につなげることで、地場産業に寄与し、さらには地球環境保全と食料供給にも繋げられるのではないでしょうか。(了)

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