Ocean Newsletter

【Ocean Newsletter】最新号

第437号(2018.10.20 発行)

期待される灯台の観光活用

[KEYWORDS]灯台150年/灯台の文化的価値/灯台による観光振興
『灯台どうだい?』※1編集長◆不動まゆう

日本には江戸時代以前から日本式の灯台が存在していたが、今に続く西洋式の灯台が建築されるようになったのは明治元年からである。
それから150年が過ぎ、灯台の存在意義が問われる時代となった。
今後の灯台のあり方として各自治体による観光活用の推進が期待されている。
灯台ファンとして灯台の文化的価値、魅力を広めたい。

日本の灯台史

今年2018年は、明治元年から満150年にあたる。各地で明治150年を記念したイベントが企画されたり、関連番組が制作されたりしているが、「灯台」にも注目してほしい。なぜなら灯台にとっても150周年なのだ。
1868年11月1日(旧暦明治元年9月17日)、神奈川県横須賀市の観音崎に日本で最初の西洋式灯台の建築が始まった。浦賀水道を見守る観音埼灯台である。現在の灯台は3代目で、塔の高さ19m、8角柱の形をした鉄筋コンクリート造りだが、初代の灯台はフランス人技師が設計した高さ12m、レンガ造りの洋館のような姿の灯台だった。
日本で西洋式の灯台が建築されるようになったきっかけは列強からの要望である。1866年に徳川幕府がアメリカ、イギリス、フランス、オランダと結んだ改税約書(江戸協約)の11条に、開港場へ導く灯台を設置することが求められたのだ。日本には江戸時代以前にも「燈明堂」や、「高灯篭」と呼ばれる日本式の灯台は存在していたが、それは近海で漁を行う船や、国内の輸送船のための目印であり、外洋から日本を目指す大型船にとっては機能を果たさず、日本は「危険で暗い海」だと恐れられていた。実際にそれまで使われていた日本式灯台である浦賀燈明堂の光達距離(光の届く距離)は約8kmだったのに対して、フランス製のレンズで光を放った観音埼灯台は約25kmに及んだという。
こうして明治から建てられた灯台は国交に必要不可欠とされた存在であった。日本の近代化を支えた影の立役者と言える。
観音埼灯台を皮切りに明治期に120基ほどの灯台が建築され、その後の時代に、地震で倒壊、戦争で破壊された灯台も多かったが、戦後の経済成長と歩みをあわせるように全国に灯台が建築された。現在灯台は全国におよそ3,200基(防波堤灯台を含む)あり、海を見守っている。

初代 観音埼灯台
(写真提供 公益財団法人 燈光会)

灯台の現状

灯台の役割は航路を示し、船を安全かつ経済的にも効率的に目的地へ導くことである。しかし昨今、GPSといった方位測量システムが発達し、必ずしも灯台がなくとも航行は可能となっている。また今後は船舶にも自動運転が採用され、ますます灯台の需要が低下することは容易に想像できる。実際に必要性が低下、機能が重複したと考えられる灯台は廃止されるようになった。その数は10年間で灯浮標などを含めると150基以上。このままでは日本の海の景色から灯台が消えてしまうかもしれない。
私はこうした灯台の現状を認識し、今後のあり方について意見交換する場として「灯台フォーラム」を開催している。15回目を迎えた今年は「灯台の観光活用」について情報共有を図った。取り壊しから守るためには観光活用が不可欠と考えているからだ。航路標識としての機能が廃止された灯台は海上保安庁の管轄外となるため、管理者不在で取り壊し対象となる。その解決策として廃止された後、自治体が譲渡を受け管理を行い、ホテルやレストラン、見学のできる文化施設などへ活用することを期待しているのだ。こうした灯台の活用法は欧米で多くの例をみることができる。

1870(明治3)年に初点灯し今も変わらない姿の神子元島灯台(筆者撮影)

灯台の文化的・観光的価値

灯台は本来の任務のため海上からよく見えるように岬の先端や、小高い場所に建てられることが多い。逆の「陸からの視線」に移してみると、海の景観を楽しむことができる風光明媚な場所である。
また、灯台自体が容貌の優れた存在であると感じる。「灯台は人工的に作られた建造物であるが、海の景観を決して邪魔をしない」と友人が言った言葉に深く頷いたことがある。むしろ海の景色に情感を加える存在ではないだろうか。
ただ、私が「灯台ファン」として日本全国の灯台めぐりをしている際に常に感じているのは、この景色をもっと多くの人に楽しんでもらいたいのに、なぜ閑散としているのだろうということ。つまり、日本全国の沿岸には、まだ活用されず、もったいない状態の観光資源がたくさん存在しているということである※2
観光資源として注目できる灯台の魅力は他にもあると考えている。その一つは灯台が歴史を背負った建築物であるということ。当時の建築技術や、諸外国との関係性、なぜこの場所に建築したかなど、背景を調べていくと当時の日本についてよく理解ができる。例えば、1903(明治36)年に建てられた島根県の出雲日御碕灯台は、日本で最も背の高い約44mを誇るが、それは日露戦争を見越して、海上監視の役割も担うためだったのではないかという説を聞く。記録に文字としては残っていない当時の意図を灯台から紐解くことができるのは、浪漫のあることではないだろうか。
次に時間ごとにまったく別の表情をみせるため、人々の創造意欲を刺激する存在だということ。夜、灯台から放たれる光芒は流星のように美しく、光を遠くまで届ける役割のフレネルレンズは巨大なダイヤモンドのようにキラキラと輝く。晴れた昼間の姿は爽快で、風雪に耐え忍ぶ嵐の中の灯台は涙が出るほど頼もしい。ここに灯台守とその家族が移り住み、命がけで光を守っていたと考えるとさらに感慨深い。これまでにも灯台を主題とした写真や絵画、物語や映画、詩など、多くの作品が生み出されていることからも、この感覚は多くの人に共通したものではないだろうか。
今から150年前に建てられ始めた「日本を守る灯台」たち。私は灯台が未来にも残っていてほしいと考える。「観光地化」という言葉にあまり良くない印象もあるのは確かだが、灯台を文化財と捉え、本来の美しさを生かしつつ、世代を超えた多くの人が楽しむ方法を考え出すことができると思っている。
「必要性の低下したものは取り壊す」という無駄を省く「省」の考え方に必ずしも異を唱えるつもりはないが、「省」だけで人々が幸せを感じることはできないと思う。
私は思い悩んでいるときに海に行き、美しく輝く灯台の光をみて心が救われた。未来に生きる人にもきっと、こうした灯台の存在は必要なのではないかと思っている。(了)

  1. ※1『灯台どうだい?』は、筆者が2014年に自費で刊行した灯台専門のフリーペーパー(年4回発行)。灯台や博物館に配布されており、バックナンバーはホームページ(https://toudaifreepaper.jimdo.com/)から読むことができる。
  2. ※2灯台の再価値化を行う試みとして、(一社)日本ロマンチスト協会と日本財団が共同で実施する「恋する灯台プロジェクト」の取り組みが行われている。
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