Ocean Newsletter

【Ocean Newsletter】バックナンバー

第436号(2018.10.05 発行)

海の恵みの将来

[KEYWORDS]生態系サービス/太平洋/文理連携研究
創価大学大学院工学研究科教授、第11回海洋立国推進功労者表彰受賞◆古谷 研

私たちの暮らしは海の恵みによって支えられている。水産物ばかりでなく、気候を安定化させ、大気の成分を調節し、水を浄化し、膨大な生物種を養い、さらには、美しい景観は精神の充足をもたらしてくれる。
このような海洋がもつ多様で重要な機能を、深く理解して将来にわたりうまく利用してこそ、海洋立国としての日本のあるべき姿である。

海洋環境の変化と人間活動

海洋生態系はさまざまな恵みを私たちにもたらしている。水産物ばかりでなく、酸素供給や二酸化炭素吸収などの大気成分の調節、有機物の無機化や栄養塩の再生、老廃物の浄化・無毒化、美しい景観の維持など、生物作用が生み出す多様な機能の恩恵または「生態系サービス(ecosystem services)」を受けて私たちは生きている。
前世紀後半から、地球規模での海洋環境の変化が顕在化し、この変化に対して海洋生態系がどのように応答するのか、さらに人類が海洋から受けてきた恵みがこれからどのように変化するのかが問題となってきた。これを浮き彫りにしたのが国連の『ミレニアム生態系評価』(MA :Millennium Ecosystem Assessment, 2005)である。MAは、増大する人間活動の結果として環境の悪化や生物多様性の喪失が進み、生態系が人類にもたらす恵みが劣化していることを示した。

新たな海洋像を求めて

では、恵みを産み出す海洋生態系の構造と機能についてどのくらい分かっているのだろうか。残念ながら陸上生態系に比べると私たちの知識は乏しい。MAの報告書では、陸域とは対照的に、海洋については沿岸域や島嶼域以外の外洋は熱帯も亜寒帯も一纏めで扱われている。そこで、私たちは、文科省科学研究費補助金を受けて、恵みの持続的な利用に向けた海洋ガバナンスのための学術基盤の構築に取り組んだ(新学術領域研究「新海洋像:その機能と持続的利用」、平成24年度〜29年度、http://ocean.fs.a.u-tokyo.ac.jp/)。具体的には、太平洋を対象に、観測、既存資料の解析、モデル解析等から、海洋をこれまでのように全体として一括して扱うのではなく、生態系と物質循環のまとまりから整合性のあるサブシステムに区分して、それぞれのサブシステム(ここでは区系と呼称する)ごとに海洋生態系機能を解明するとともに社会科学研究者と連携して生態系機能の価値を評価して、海の恵みの持続的な利用のための社会的枠組みを提案することを目指した。
これまでに表層の栄養塩供給を制御する海水の流動に関する物理過程や、ナノモルレベル栄養塩、炭酸系、蛍光性溶存有機物、溶存鉄などの化学パラメータ、植物プランクトン、バクテリア、カイアシ類、窒素固定、アカイカ等魚介類、サケ類等の高次捕食者、小型ハクジラ類などの生物パラメータに着目した多くの海洋区系が太平洋から得られた(図1)。研究を開始した時点では、汎用的な海洋区系図一枚を確立することを想定していたが、実際には、着目するパラメータごとに区系図は異なるのであり、恵みを検討するには対象とする恵みに関連した区系図を用いるのが適切であることが、この研究を通して判ってきた。言い換えれば、海の恵みは多様なので、それらの持続的な利用を図る海洋ガバナンスのためには、汎用的な単一の区系図ではなく、対象とする恵みに関連する適切な区系を基に検討することが必要なのであり、本領域の成果はこれに資するものである。

■図1
さまざまな海洋区系図

海の恵みの価値評価

将来にわたって海の恵みを持続的に利用するためには、誰がどのような価値を海の恵みに感じているかを理解することが必要であり、これが海洋ガバナンスの基礎となる合意形成の出発点となる。恵みの価値評価には、大きく分けて恵みの供給側からと受ける側からの2つアプローチがある。前者は市場で取引されている価格に基づく評価が代表的で、実際に市場で取引されていない物やサービスについては、その機能を、何かで代替することによって計算する。後者は人々の支払い意思額によって価値を評価する方法であり、人々が恵みから受けると感じている効用の表現でもある。本プロジェクトでは、両方で評価を行ったが、ここでは後者の研究例を紹介したい(Wakita et al., 2014)。
この研究では、海の恵みに対する人の価値を探るキーワードとして、「不可欠性」を設定し、「海の恵み(例えば魚や海藻などの食料供給)の不可欠性が高ければ高いほど、その恵みに対する人の価値も高く、海洋環境を保全したいという意欲も高まる」という仮説を立て、日本在住814名のアンケート回答を分析した。その結果、回答者は「不可欠性」を軸にすると、海の恵みを「生活に必要な海の恵み」「間接的な海の恵み」「文化的な海の恵み」の3つに分けて認識しており、このうち、最も不可欠性の低い「文化的な海の恵み」に対する価値が、最も高く海洋環境の保全意欲を高めている、つまり不可欠性は必ずしも効用を決めないとの結果を得た(図2)。また、同じくアンケート調査によって、食料の供給機能や物質循環などの基盤的な海の恵みに対する人々の価値評価を、現在と100年後の恵みの向上に対する支払い意思額から調べたところ、現時点での恵みの向上よりも、100年後の恵みに対する支払い意思額が高く、自分が享受しない将来の便益に対してより多く支払うという傾向を認めた(Shen et al., 2015)。さらに、海の恵みの維持に対して貢献意欲の高い人々は他者との関係性の維持欲求が高く、公共心も高い傾向にあることが判ってきた(Wakita et al., under review)。海の恵みに対する価値評価は、人によって、またその人がおかれている社会・経済・環境によって異なると考えられ、これらの結果を海洋ガバナンスに結びつけるためには、こうした研究を積み重ねていくことが求められる。
現在、地球人口が増加し続ける中にあって、持続的発展が可能な海洋利用をどのように図っていくかは今まで以上に大きな課題となっている。今後、さまざまな開発に関する議論が展開されると予想されるが、開発によって「得る恵み」と「失う恵み」を客観的な根拠に基づいて判断するためには、そのための学術基盤が不可欠である。その意味で海洋学における初めての文理連携大型研究である本プロジェクトは、新たな海洋ガバナンス学の萌芽といえる。(了)

■図2
海の恵みに対する人の価値と海洋環境を保全したいという意欲との因果関係(Wakita et al., 2014)。
矢印の太さが影響の強さをあらわす。点線は影響があるとは限らないことをあらわす。

  1. 『ミレニアム生態系評価』 (2005) http://www.millenniumassessment.org/en/Synthesis.html
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