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第356号(2015.06.05発行)

第356号(2015.06.05 発行)

クリミアとロシアの東方シフトー変針する大国

[KEYWORDS] Sea Change/クリミア半島/北方シフト
法政大学法学部教授◆下斗米伸夫

昨今、ロシアはその軸足をアジアに移しつつある。しかし、そのきっかけはアジアの反対側であるクリミア半島をめぐる争いであり、2014年のウクライナ危機もこの文脈に位置づけられる。
本稿では、ヨーロッパとアジアの海路を睥睨するクリミア半島の歴史を概観し、「Sea Change」とも言うべきロシアの最近の動きを検討する。


Sea Change

最近上梓した拙著※1の中で、筆者は現在の世界政治の変動をSea Changeと評し、プーチン・ロシアがアジアに軸足を移す東方シフトを始めたことを指摘した。この動きは現在のウクライナ危機に先行してすでに生じていた変動であったが、筆者自身はこれをロシアの「脱欧入亜」と評し、ウクライナの「脱露入欧」と区別した。ソ連崩壊当時、両国関係を「離婚の文明的形態」とする評価があったが、クリミア併合以降の事態は「文明的」とはとても言えない兄弟国どうしの内戦になっている。世界の地表の8分の1を占める「陸の国」ロシアの変動は、なによりその海洋政策の変針に見いだすことができる。そして、その東方シフトは、グローバルな政治経済の変動をも呼び起こしている。

ロシアとクリミア半島

■プーチン大統領記者会見の一コマ、右端が筆者
(2012年10月25日)

筆者は前掲の拙著において、その歴史的パラメーターであったのが、クリミア半島の歴史的な帰属問題であることを指摘した。あまり知られていないことだが、日ロ関係もまた歴史的にクリミア問題と深く関連している。1855年に日露和親条約(下田条約)をロシア帝国と江戸幕府が締結し、両国関係の基礎を開いたが、この交渉はクリミア戦争のさなかに行われた。全権使節のプチャーチンが幕臣川路聖謨(かわじとしあきら)との交渉を英仏艦船の追撃をぬってこぎ着けたことは、吉村昭の小説『落日の宴』にも出てくるが、そのきっかけとなったのはクリミア戦争である。その後も帝政ロシアは北京条約締結をはじめとして、中国を含む東方へ軸足をシフトさせたのである。
さて、1954年からクリミア半島を領有するウクライナは、1945年ソ連やベラルーシと共に国連創立に加わったが、これはナチス占領からの解放で払ったウクライナの犠牲に報いる意味もあった。そのウクライナが完全主権国家となったのは1991年末からだが、むしろソ連がなくなったことにより同国は分裂と内紛、そして現在の危機に至っている。実に皮肉なことである。
2014年3月にプーチン大統領がクリミア併合を決めたのは、これまでは3月6日といわれてきた。もっとも、プーチンは本年3月の記念テレビ番組で、決定はそれよりも早く、特にヤヌコビッチ大統領が国内で殺害される危機があった2月23日朝であったことを明らかにしている。これには伏線があり、実はオバマ大統領も米政府が政権移動のクーデターにブローカーの役をしたことを認めたからでもある(2014年1月31日、CNNインタビュー)。
このような歴史を有するクリミア半島の帰属は、地中海世界を経由して世界の海の歴史にも深く関わっている。世界のグローバル化が大航海時代に始まることは常識だが、1000年の長きにわたって睥睨していたのは、ほかならぬコンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)を戴いた東ローマ帝国であった。すなわち、コンスタンティノポリスこそ「第2のローマ」であった。そして、その後背地こそが黒海、クリミア半島なのである。
東ローマ帝国の背景には、国教であった東方正教というギリシャなどのキリスト教文明があったが、1453年の東ローマ帝国滅亡後、ロシアの一部の聖職者は、モスクワが「第3のローマ」と称し、当時新興のモスクワを正教秩序の復興のためのローマと言い出した。このようなシンボリズムをオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』で謳ったリムスキー・コルサコフのような作曲家がいるが、この「リムスキー」というのは「ローマの」という意味のロシア語表現である。 ロシアと現ウクライナから構成されたロシア帝国は、ロシア人の国家というよりは正教の帝国であった。しばしばドイツ系女帝が支配した理由でもある。帝国は東西双方、つまりアジアとヨーロッパに君臨する特性があり、良くも悪くもロシア連邦も東西を両睨みするのである。

クリミア半島から北方へのシフトと中国

このような歴史を有するロシア周辺をめぐる世界の海の秩序に昨今、大きな変動の波が現れている。ロシアは伝統的に南を目指したとよく言われており、クリミア半島をめぐる行動もその文脈に位置づけることができるが、今や北極海を目指す動きを露わにしている。これは地球温暖化により、北極海航路が現実のものとなっただけでなく、北極海沿岸やシベリアがシェールガスやLNGの宝庫であるからである。ロシアのエネルギー資源を求めるのは、日中韓といった伝統的市場だけでなく、インドやシンガポール、そしてインドネシアまでもが含まれる可能性が高い。その最短距離は日本海とオホーツク海である。このような昨今のロシアの北方シフトと伝統的な東方シフトが交差するのが、ベーリング海から千島列島を経て宗谷海峡にいたる地域なのである。
他方、このようなロシアの動きに対し、中国は今や海のシルクロードであるルートに「一帯一路」と称して進出し始めている。かつてタタールのくびき、といってチンギスハンがヨーロッパへ進出したことを文明の後退を意味するように見られた時代があった。しかし、中国はそのチンギスハンが構築したシルクロードの再構築を目指すかのような「中国の夢」という雄大な構想をひっさげて登場している。インフラ整備だけでなく黒海や地中海あたりにも艦隊を進出させることで、中国は海洋、そして世界への進出を図っている。

おわりに

冷戦崩壊から四半世紀、世界は欧米の一極支配から中・露・インドなども含めた多極世界へと向かっていると考えられる。「脱露入欧」をめざすウクライナでの危機はその象徴であって、「脱欧入亜」するロシアのベクトルとの交錯が国内を切り裂いている。ロシアのSea Changeが文字通り世界史の大きな転換を予想させるが、そのような大変動が文字通り「太平」に行われることを切に願わざるを得ない。(了)

※1 下斗米伸夫『プーチンはアジアをめざす―激変する国際政治』(NHK出版、2014年)

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