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オーシャンニュースレター

第306号(2013.05.05発行)

第306号(2013.05.05 発行)

ヒョウタンと古代の海洋移住

[KEYWORDS]人類の原器/最古の栽培植物/ポリネシア
(財)進化生物学研究所主任研究員◆湯浅浩史

ヒョウタンを知らない人はいない。ところが、ヒョウタンは人類の歴史に関わる重要な植物でもあるのだ。世界最古の栽培植物の一つで、原産地のアフリカから日本には9,600年前にもたらされ、さらにアメリカ大陸へも1万年をさかのぼって伝播している。人が海洋を通り移住するには飲料水の確保が最も重要である。史前その役目をはたしたのが、人類の原器と言えるヒョウタンで、古代の海洋民族の島々ポリネシアにも色濃くその文化が残されている。

古代の航海は飲水をどうしたか

有史前から人は海を渡った。敵に追われたり、人口の増加、環境変動、あるいは冒険心から新しい土地を求めて海に乗り出した。理由はさまざまであれ、舟出に際し、必要なものは何だったろうか。舟はもちろん、当座の食料、農作物、家畜などいろいろ考えられる。しかし、目的地にいつつくかわからず、さらに目的地も定かでない舟出であれば、最も欠かせないのは水であったに違いない。食べ物は魚を釣ることもできようが、飲み水は、いつ降るかわからない雨に頼るには心細い。第一、生死にかかわる。たとえ食べなくとも水さえあれば、何週間も生き残れる。飲み水の保証なくしては、古代においてもその出発は躊躇されたであろう。かつて、タヒチからハワイに航海したポリネシア人は、航海に先立ち水を飲まないように、また、飲む場合も海水を混ぜて飲み、真水の利用をできるだけ少なくするように訓練をしたと伝わる。と言っても最小限の真水は必要であろう。また、家族や家畜を伴う移住などではやはり水の確保は欠かせなかったに違いない。
水を貯えるには器が要る。史前の器としては土器がすぐ頭に浮かぶが、焼きの甘い土器では表面から水はにじみ出て蒸発し、目減りしてしまう。その上、重い。長い日数がかかり、荷物の多い海洋移住では舟に積みこむには適していない。熱帯ではココナツも若ければ中に果汁と呼ばれる透明な飲み水になる胚乳の液体がたっぷり含まれている。ただし、殻が厚くかさばるし、重い。東アジアから熱帯アジアにかけては竹も容器になるが、口が広い竹筒に入れた水を長期間もれないように栓をするのは難しい。
古代の海洋航海で、最もすぐれた水入れは、ヒョウタンであったと考えられる。

アフリカから広がった最古の栽培植物

■ヒョウタンの様々

ヒョウタンはアフリカが原産地である。現在栽培されているヒョウタンの野生は失われてしまっているが、アフリカのみに近縁の野生種が3種ばかり存在する。果実の形はさまざまで、いわゆるくびれのあるヒョウタン形以外に、球形、枕形、ヘチマ形、棍棒形、壺形、鶴首形、柄杓形などがあり、加えて大きさがいろいろで長さ2cmほどの豆瓢から胴回りが2m近く中に93リットルもの水が入る特大瓢、長さが285cmの長瓢、さらにくびれのない棒形なら何と341cmの果実も記録されている。最小と最大の果実の容積比は4万倍にも達し、同一種でこれほどの差がある果実は他にない。因に干瓢を作るユウガオも同一種である。種子も多形だが、最も変異に富むのがアフリカで、とても同一種とは思えないような形も見られ、この特徴からもヒョウタンのアフリカ起源が裏付けされる。
ヒョウタンは日本では琵琶湖のほとりの粟津湖底遺跡から9,600年前(±110年)の種子が見つかり、福井県の鳥浜貝塚からも8,500年前のヒョウタンの果実が出土している。さらにアメリカ大陸にもメキシコやペルーで1万年をさかのぼるヒョウタンが見い出されている。
アフリカからどのような経路でアメリカに渡ったのか。アメリカのT.Whitakerは1953年にヒョウタンの果実を海水に浮かべ、347日後に発芽率が57%あり、その6年後にも24%の種子が発芽したことから果実が漂流してアメリカに到着したという説を立て、これが広く受け入れられてきた。これに対して私は疑問を抱き、1979年に『科学朝日』で発表して以来、単なる漂流ではなく、人が意識的に運んだという見解を持っている。その根拠の一つは13,000年前のアメリカ最古の人骨がロスアンゼルス沖のサンタローザ島で発見されている点。陸から60kmも離れているその島には舟がないと渡れない。つまり1万数千年前のアメリカ先住民が舟を持っていたといえ、氷河期にベーリング海峡を歩いてアジアから渡った以外に、舟でアメリカに移住した先住民がいた可能性が高い。
さらに、2005年にアメリカのD.Eriksonらによって、メキシコ、ペルー、アメリカのコロンブス以前の遺跡から出土した8,685年前(±60年)から790年前(±40年)にいたる9ヵ所のヒョウタンの種子全てからアフリカでなくアジアと共通のDNAの部位が検出された。その種子の形も、日本の現在のヒョウタンと似た形で、アジア系である。
アメリカの原住民が栽培しているワタのゲノムにもアジアのワタのゲノムが含まれ、綿はアマゾンの先住民の吹き矢に息もれを防ぐ詰物として使われ、その吹き矢は日本を含むアジア東部から南部、それにインドネシア方面から移住したマダガスカルで知られる。
アジアから吹き矢を携え、ヒョウタンに水を入れて舟でアメリカに渡ったモンゴロイドがいたに違いない。その時期はヒョウタンが栽培可能な氷河期が終った後と見られる。そのコースは日本あたりから千島列島、アリューシャン列島を経るなら、小舟でも可能であったのではなかろうか。

モアイ製作にも必要だったヒョウタン

■イースター島マケマケの神を描いたヒョウタン

人類が動物と異なる要素の一つは、水を運び貯えられることである。飲み水をコントロールする手段の確立が人類の生活圏を拡大させたと言えよう。ヒョウタンはその原器とも言える存在でその事例がよく残されていたのがポリネシアである。ハワイ、ニュージーランド、イースター島を結ぶポリネシア大三角形の島々は、かつてヒョウタンは必需品であった。今ではその面影は全くないが、ハワイでは19世紀まで、ヒョウタン王国と呼べるほど多方面に利用されていた。各種の器は言うにおよばず、楽器も主力はヒョウタンであった。ハワイの楽器と言えばウクレレが有名だが、それは20世紀になって広がったに過ぎない。ハワイの王の太鼓は大きなヒョウタンを二つ重ね高さはビヤ樽ほどもあった。フラダンスにもヒョウタンの上部をカットして鼓のように打つ楽器が使われた。小さなオカリナに似たヒョウタンに丸い小さな穴を1から5個あけた鼻笛もあった。さらにサメよけに投げ入れられ、ヒョウタンの戦闘仮面まで作られていた。今日、その文化はほとんど失われてしまったが、ビショップミュージアムのコレクションで往時がしのばれる。
世界の陸地から最も離れた島はイースター島である。その神話では住民はマケマケの神がヒョウタンの果肉をこねて作り出した男と女が先祖と伝わる。これはイースター島に移住してきた際、いかにヒョウタンが重要であったかを裏付けよう。イースター島では巨石のモアイ像が有名であるが、それにもヒョウタンは関与した。モアイ像はラノララクという死火山の凝灰岩でできた火口壁から切り出して作られた。鉄はなく玄武岩や安山岩の石器で削ったのである。水をかければ効率は上る。火口湖からヒョウタンに水を汲んできて、かけながら作業をしたに違いない。
ヒョウタンは誰でも知っているが、意外な面をたくさん秘めた歴史の証人でもある。(了)

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