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第237号(2010.06.20発行)

第237号(2010.06.20 発行)

高嶺の花 ~もてなしの心と技、「花毛布」を伝える ~

[KEYWORDS] 花毛布/技能継承/もてなしの技
日本海洋事業株式会社 海洋科学部◆青木美澄

ピンと張った真っ白なシーツの上に、花が一輪咲いている。
寝具である毛布を折って作られる飾りは、「花毛布(はなもうふ)」または「飾り毛布」と呼ばれる。
100年ほど前から客船のもてなしとして始まったとされる「花毛布」は、一般にはあまり知られていない。
様々な職場に効率化の波が押し寄せ、客船でさえもほとんど行われなくなったこのサービスを続け、技術を守るための取り組みを紹介する。

もてなしの技

一枚の毛布から、バラ、菊水、門松、兜、扇、富士山、初日の出、鶴、孔雀、波間の岩、タケノコ、などを折る「花毛布」。それぞれのバリエーションも含めると、一説には100種類以上もあるそうだ。客船の一等船室や、特等船室のみでサービスとして飾られることがある、まさに「高嶺(高値)の花」である。
「花毛布」は、いわゆるルームサービスの一つであるため、じっくり時間をかけて作り上げるのではなく、短時間で折り、ひととき部屋の住人の目を楽しませた後、就寝する前には片付けられてしまう、はかない飾りなのである。

花毛布を折る人

筆者が在籍する日本海洋事業株式会社は、独立行政法人海洋研究開発機構の海洋調査船の運航等を行っている。調査船は各地の港に入港すると、船内の様子や調査機器などを一般公開することがある。そのときに、お客様に見ていただく部屋には「花毛布」が飾られる。また、乗船してくる研究者などにも「花毛布」のサービスを行っている。
これを作るのは、司厨部(しちゅうぶ)に所属する船員で、調理や配膳、掃除等と合わせて担当している。司厨部員の主な仕事は、乗船者への食事の提供で、通常は5人で約60人分の調理、配膳から片付け、食材管理までするのであるから、大変忙しい仕事である。準備は朝4時から始まり、夜7時過ぎまで休む暇はほとんどない。それでも、乗船した人に喜ばれるサービスとして「花毛布」作りは続けられている。
当社の船員の半数は、かつて日本水産株式会社などの船で、北洋のサケ・マス漁やインド洋などでの遠洋漁業に従事して来た人達である。漁船と「花毛布」とは不思議な取り合わせに聞こえるが、最近定年を迎えた船長の話によると、日本水産株式会社に就職した50年前には、すでにこの習慣は定着していたそうだ。漁業が盛んで水産会社が船をたくさん所有していた時代には、大型の母船を中心とする「船団」を組んで捕鯨や底引漁業が行われていた。時には3,000人以上が働く船団をまとめる船長や、航海士、機関士などの責任は大変重く、そのような役職の人の身の回りを整える「ボーイ」と呼ばれる職務があった。このボーイは担当する士官の部屋掃除、洗濯、アイロンがけ、更に朝の掃除の時にベッドメイクの一環で「花毛布」を作っていた。そして、就寝前には飾りを片付け、就寝用にベッドを作り直す。ボーイの中には、一人で何十種類もの形を作れる人もいたというから、どの世界にも達人がいるのである。


「菊水」鼻の中央から、水が流れるように見える。
 
「孔雀」尾を広げた孔雀の形をしている。
 「郵船図絵」は豪州航路に就航していた客船「春日丸」の船旅を紹介した石版画本で1901年に日本で発行された。日本郵船歴史博物館の調査研究で一等客室ベッドに花毛布が描かれていることが見つかった。(資料:日本郵船歴史博物館)

「花毛布」を研究する人

平成21年10月12日の日本経済新聞に、「花毛布」の研究記事が掲載された。明海(めいかい)大学の上杉恵美准教授のまとめによると、「花毛布」の起源は英国にあるとも言われているが、正確なルーツはまだ分かっていないこと、日本では100年ほど前に書かれた「郵船図会(ゆうせんずえ)」と言う資料が最も古い記録と考えられること、国内では、日本郵船から青函連絡船に移った乗組員により旧国鉄に伝えられ(青函連絡船は旧国鉄が運航)、1900年代初期の青函連絡船でサービスが行われていたこと※、最近では客船の特等や一等船室のごく一部を除き、このサービスはほとんど行われなくなっていること、などが書かれていた。
記事を読んでからこれまでに何度か上杉准教授から話を聞く機会を得たが、「花毛布」が折られなくなった理由には、効率化により作る人手が減ったことの他にも、船の寝具が毛布から羽布団に代わるという変化も影響しているという。カーフェリーなどの二等船室は毛布1枚と枕がほとんどであるが、大型の客船の特等船室で毛布一枚というわけにはいかないことも納得できる。設備が良くなる一方で、消えてゆく技術もあるのだ。
また、「花毛布」のルーツを探るなかで、漁船と客船の間でも同じ船の世界、情報や人の交流があったことについても調査をされており、「漁船で花毛布?」という疑問も遠からず明らかになるだろう。

次世代への継承


「バラ」を折る司厨手。手の先だけでなく、肘までを使っておさえながら作る。(写真:上杉恵美明海大学准教授)

調査船でも民間会社で運航する以上、効率化は求められており、数年前には乗組員の仕事内容についても話し合いが持たれた。その中で、「花毛布」も消えゆく運命かと思われたが、実際に担当する司厨部からも、残そうと言う意見があり、続けることになったそうだ。そして、この伝統を若い司厨部員に伝えるために、先輩達が様々な花毛布を作っている様子をビデオに収めた"教材"も作られた。もともと、見て覚え、盗んで覚えるという職人的なやり方で継承されてきたため、ビデオ教材は新しい取り組みであるとともに、「伝えたい」という思いが伝わる。修行中の若手司厨員に聞くと、初めは形がうまく整わず難しいとのことで、仕事の合間に練習をするそうである。筆者も見よう見まねで折ってみたが、厚手の毛布をしっかり抑えて形を作る作業は意外に力が必要で、シャキッとした形に作ることはできなかった。
一方、上杉准教授は、「花毛布」作りを大学の講義で実習に取り入れて、学生に体験させるほか、せっかくの「もてなしの技」を船だけのサービスにとどめず、ホテルのルームサービスに取り入れられないか、という取り組みもしている。近い将来、ホテルのベッドに毛布の孔雀が羽を広げ、バラが咲く日が来るかも知れない。(了)

【参考】
上杉恵美、2008、近現代の日本船における「花毛布」の継承、明海大学紀要、Vol.4、No.1、pp.46-62
※ 花毛布は、飾り毛布とも言う。以下の個人で運営のHPには、青函連絡船「摩周丸」で船客長をしていた故千崎巌氏と先輩または同僚たちによる芸術的な作品が掲載されている。http://www11.ocn.ne.jp/~senzaki/#kazari

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