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オーシャンニューズレター

第237号(2010.06.20発行)

第237号(2010.06.20 発行)

伊勢湾自然共生型流域圏研究の目指すところ

[KEYWORDS] 持続的流域圏管理/大都市圏/生態系サービス
名古屋大学大学院教授◆辻本哲郎

流域とは、降雨流出を起源とする自然のフラックス網で連結されたさまざまなモザイク的景観であり、それらが生み出す生態系の恵みに応じて発展している。
この流域が人口増に応えた経済的発展のために人工系で複数流域を連結した「流域圏」に変貌した。
流域圏の仕組みの把握が、流域・都市圏・湾域を含んだ「持続性に向けた管理」の第一歩、そして自然共生型シナリオは持続性への脅威を緩和してくれる道筋である。

流域圏研究

■図1 伊勢湾流域圏

東京湾でも大阪湾でも陸域での人間活動による環境負荷がその環境劣化の大きな原因で、陸域での環境負荷低減努力を湾の再生、ひいてはそれに隣接する都市域の再生につなげようと考えられた。2002年にスタートした省庁連携による総合科学技術会議のイニシアチヴ研究「自然共生型流域圏・都市再生」はまさにその大義を背負って発足した。ここでは、大都市圏を流域圏の核に内包し、大都市圏が流域圏の環境負荷増加を促し、流域圏からの環境負荷を受け止めて環境劣化が進む湾域に面した都市の疲弊や困難を、流域圏からどう解決するかが課題であったはずである。このイニシアチヴ研究は主として東京湾を舞台に、陸域の水・物質循環管理と湾の環境・生態系管理を関連づけた。劣化した湾の環境の回復と都市再生が主体で、陸域は湾域への環境負荷の発生源で、流域圏生態系の管理も含めてどのようにそれを改善するかという視点が前面に出た。また、東京湾流域圏では、陸域負荷の大部分がすでに人工処理系を通って海域に出ており、流域圏での自然共生努力が色あせて見えるし、流域住民にとっても自然共生化のメリットが見えないところでの行動へのモチヴェーションとして欠けるところがあった。
流域、都市、湾域が様々に絡み合った問題からの脱却には、まだなお自然共生の余地があり、自然共生が流域圏の魅力となりうることが分かりやすい舞台の登場が期待された。それが伊勢湾流域圏だといえる。図1に示す伊勢湾流域圏の衛星写真は、その地形のコントラストが自然力の潜在を暗示する。大都市圏を内包した流域圏の課題、つまり大都市圏と湾だけでなく、水源域も含む流域圏が運命共同体になっていることが実感でき、流域圏全体で危機を免れる仕組みを支える自然共生型流域圏管理技術の構想であるべきで、それはこの地域を舞台としてこそ進化させられる。この地域は、大都市圏の活力を周辺の産業が支えるが、工業によるものづくりのみならず、有数の農業・漁業生産高を誇っている地域である。
伊勢湾の良好な水質環境、生態系とともに持続性のある水産業、伊勢湾に注ぐ多くの河川流域での生態系サービスを享受した農業生産を含む人間活動、大都市圏の環境認識と流域圏としての持続性追求のイニシアチヴをとる責任、これらをスムーズに駆動するには、流域圏の理解が深まることが重要だ。流域圏の仕組みや、その自然から受ける恵みや、それが阻害されることによる持続性への脅威の仕組みなどの理解である。また、これらの理解に基づいて流域圏を管理できる技術も必要だ。このように考えれば、初期のイニシアチヴ研究の後継として文部科学省科学技術振興調整費で支えられた「伊勢湾流域圏の自然共生型環境管理技術開発」研究の役割はきわめて大きい。

なぜ自然共生型流域圏なのか? そのために何をすべきか?

流域とは分水嶺で囲まれた領域で、空から降った雨が川に集まるプロセスの展開場である。これによって土砂が運ばれ扇状地や沖積平野などの地形ができてきたし、現在も川の流路や河床のかたちを支配している。また、水や土砂とともに流される物質の中には、生物体に変化したり、有機物や無機物など形を変えながら運ばれている物質がある。
このように見ると、流域は水や物質のフラックス網である。フラックスとは、経路とともに輸送量をも示す概念で、その認識は重要である。
自然は、流域の中に様々な特徴を持った「景観」(モザイク)を空間分布させている。すなわち流域はフラックス網でつながれたさまざまなモザイクからなる。モザイクを通過するフラックスは、モザイクの状況を支配する一方、フラックスを変化させる。また、水や空気の浄化、食料やエネルギー資源の提供(資源変換)など様々なサービス(生態系サービス)をもたらす機能を有している。しかしながら、人間が他の生物とその恵みを分け合っているだけでは、これまでの人口増加への対応や経済の高い効率の追求はできなかったので、流域内に人工的な浄化や資源を変換するための施設を建設し、また人工的なフラックス(水路だけでなく道路や鉄道も)を追加した。そのため複数の流域が結合され、流域圏が生まれた(図2参照)。伊勢湾は、一級水系だけでも10個の流域が結合されている流域圏から、水・物質を受け取っている。湾の水・物質流動は、そこでの水質・生態系、あるいは漁獲生産といったサービスまで不可分となっている。流域圏・湾そして都市域は不可分であるとの認識がまず重要である。
人間はその活動が安全で、資源を確保でき、また良好な環境の中で生活することを求めるが、その方法のいくつかには大きな課題が含まれていることに気づいた。人工系の高エネルギー負荷が化石燃料枯渇や、温室ガス排出による地球温暖化を、モザイクやフラックス網の改変が、生態系を劣化させ生物多様性を喪失させるなど、今日持続性の脅威として認識される要因を生み出してきた。そうであれば、モザイクやフラックス網を修復、健全化して、持続性への脅威を緩和することが流域圏の課題に違いない。それは、流域圏の自然共生型を進めることに他ならない。
自然共生型流域圏管理の対象は、複数の流域群だけでなく、都市域や湾と一体のものである。持続性への努力は、様々なところでなされ、様々なところがその恩恵をこうむるのである。すなわち、どのモザイクへのインパクトが(圧力であれ修復であれ)、フラックス網でどう伝播し、そこでどのような恩恵(あるいは悪影響)を生むのか、様々なシナリオの中でどのシナリオが持続性指標(エネルギー依存が小さく生物多様性保全に寄与しているか)の面で優れているのか、これを判断するための科学とそれに基づく技術が求められている。伊勢湾流域圏研究では、流域や湾域の様々な類型的景観での生態系の仕組みがフラックス網の枠組みの中に生き生きと組み込まれるモデルが工夫され、地先での自然共生を図る行政や市民活動が流域圏全体としての持続性にどのように貢献しているかの評価を呈示できる。この流域圏では、河川の流況や土砂流送の連続性の改善、河道の多自然化や氾濫原との接続の改善、湾域の干潟の再生やアサリ増産への取り組みといった施策と地域住民の環境取り組みの雛型が育っており、これらの効果の認識は、施策や活動の実施への強い駆動力となると期待される。(了)

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