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オーシャンニューズレター

第201号(2008.12.20発行)

第201号(2008.12.20 発行)

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ゴミと「海民」の幸福・不幸な関係

[KEYWORDS]エコ/モーケン(Moken)/海洋ゴミ
上智大学大学院博士後期課程学生、チュラロンコーン大学社会調査研究所客員研究員◆鈴木佑記

スリン諸島の「海民」モーケンは、漁船から海洋投棄されるゴミを拾い、それを国立公園に売ることで現金を得ている。
一見すると、モーケンとゴミとの関係は「幸福」なようにも見えるが、ゴミの海洋投棄による汚染が広がれば海洋資源の減少につながり、モーケンのように海と密接な関わりを持つ人びとにとってはむしろ「不幸」なことだ。
地球にやさしいはずのエコには、裏に危険な一面が潜んでいる。

スリン諸島の「海民」モーケン

ナマコ潜水漁に出かける子どもたち。右奥に見える島はタイ領内、左奥に見える島はミャンマー領内にある。
ナマコ潜水漁に出かける子どもたち。右奥に見える島はタイ領内、左奥に見える島はミャンマー領内にある。

スリン諸島は、世界的に有名な観光地プーケット島の北、ミャンマー(ビルマ)との国境近くに位置する。タイ本土から西方に約60キロメートル離れており、タイ本土に渡るよりもミャンマー領内の島に行く方が近い。1981年に国立公園に指定・公布され、乾季の11月中旬から5月中旬の半年間のみ一般に開放されるようになった。海が穏やかなこの時期、島に訪れてシュノーケリングやダイビングを楽しむ観光客が多い。その他、観光活動の一つとして「少数民族」モーケンの村を訪れる人もいる。
彼らはもともと、カーバーン・モーケン(モーケン船の意)と呼ばれる船を住居に移動性の高い生活を送っていたが、モーケン社会に貨幣経済が急速に浸透し、国家による海域管理が強まった結果、現在では陸地定住する者がほとんどである。国家の都合で生活の場に不可視な国境線がひかれ、島周辺海域が国立公園として管理されることで、自由に海上を移動できなくなり、自然資源の採取が制限されるようになったのだ。さらに追い討ちをかけるように、近年の商業船による大規模な漁業によって、海洋資源が減ってきているのが現状だ。そのため、十分に食べ物を獲得できなくなったモーケンは、現金を稼いで食料を確保するという手段も導入するようになり、自給自足的な社会から貨幣に依存する社会へと変貌を遂げた。採ったナマコや貝を本土へ運び換金したり、一定期間の出稼ぎによって現金を得たりする。このように多くの現金獲得経路があるが、なかでも国立公園当局はモーケンにとって最も重要な存在となっている。

国立公園内で稼ぐ

スリン諸島に訪れる観光客数は、1994年度(1993年10月~1994年9月)に3,450名、その10年後の2004年度(2003年10月~2004年9月)には36,166名と約10倍に増えた。半年間で数万人の観光客がスリン諸島に訪れるのだから、そのサービスに従事する人員も相当数必要である。
そこでモーケンの登場である。増え続ける観光客に対応するため、国立公園当局はモーケンを労働者として雇うようになった。女性の主な仕事は、砂浜やテントなどの掃除、それに食器洗いである。男性の場合、船を操縦して国立公園があらかじめ指定するシュノーケリングポイントまで観光客を送るのが主な仕事である。2008年4月現在、1日(8時~12時、13~16時の計7時間労働)に110バーツ(約350円)が支払われている。この他、モーケンにとって大きな収入源となっているのがゴミである。

ゴミと生きる

島周辺域に散々する様々なゴミをモーケンが回収し、国立公園当局はそれを買い取っている。例えば、魚網は5バーツ/kg、縄は2バーツ/kgで買い取られる。これら2種類のゴミの場合、ほとんどは波打際に打ち上げられているか珊瑚礁に引っかかっている。他にも、鉄類が5バーツ/kg、紙類(ダンボールなど)が3バーツ/kg、プラスチック類が6バーツ/kgで取引される。鉄類はものによっては海底に沈んでいるので、モーケンは得意の素潜りでそれを引きあげる。回収されたゴミは、国立公園が所有する専用の船に乗せられ、本土へと運ばれる。ほとんどのゴミは、スリン諸島近海で漁を行う、あるいは通過する大型・中型船から海洋投棄されたものと考えられている。では、漁船はどこからやって来ているのだろうか。その手がかりとなるのがペットボトル(Plastic Bottle)である。
2007年11月22日午後、私はモーケン男性2人に付いて、ペットボトルの収集へ出かけた。約3時間かけて集めた容器の数はおよそ200本。一緒に行ったモーケン男性は、「ゴミはお金(のもと)である」と語った。村に戻った後、私は漂着した容器に記されている文字から製造国を割り出してみた。するとタイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、ベトナム、モルディブの順に多かった。ミャンマー(ビルマ)のものが見当たらないことは意外だった。割合としてはタイが約50%、マレーシアとシンガポールがそれぞれ約20%、インドネシアが約8%、ベトナムとモルディブがそれぞれ1%であった。もちろんプラスチック類に関しては、当該国沿岸から流れてスリン諸島に漂着した可能性はあるが、ほとんどのゴミは近海を航行する船から投棄されたものである。

海岸に流れ着いたプラスチックボトルの山。
海岸に流れ着いたプラスチックボトルの山。
モーケンが収集したゴミを国立公園職員が買い取っている。
モーケンが収集したゴミを国立公園職員が買い取っている。

エコの裏にあるもの

これまで見てきたように、スリン諸島のモーケンは、漁船から海洋投棄されるゴミを拾い、それを国立公園に売ることで現金を得ていた。このことはエコ活動にもつながっており、ゴミが貴重な収入源となっているという意味で、モーケンとゴミの関係は「幸福」なものと呼べるのかもしれない。しかし冷静に考えてみたい。そもそも、モーケンが貨幣を得なければ生きていけなくなった背景を。国立公園指定後の狩猟採集制限が、現金獲得手段としての観光活動へ参加する契機を用意し、ゴミ収集の動機付けを与えたのではなかったか。また、商業漁業の発展が海洋資源の減少という結果を招き、ゴミの海洋投棄による汚染という問題を引き起こしている。その悪影響を直接被るのは、モーケンのような海と密接な関わりを持つ人びとである。一見すると、モーケンとゴミとの関係は「幸福」なようにも見えるが、実は「不幸」な政治経済的文脈に絡めとられた「幸福」であることが分かると思う。
このことを私たち日本人とゴミとのエコ関係に置き換えて考えてみるとどうだろうか。例えば、牛乳パックを捨てないで一定量ためた後にスーパーへ持っていく。すると、専用エコカードのポイントが溜まり、ついにはお金になる。あるいはトイレットペーパーと交換される。つまり、エコ活動に貢献した見返りにモノを貰える仕組みとなっている。このことは、消費者にエコの取り組みを促すという点において評価できるが、エコを表層的な側面(お金にもなるし、地球にもやさしいという考え)でしか理解できない状況をつくっているのではないか。そんな危惧を筆者は覚える。いま一度、ゴミがお金になる背景をモーケンの事例から思い起こしたい。ゴミを集めることがお金を得ることに結びつくというのは、現代世界がそれだけ深刻なゴミ問題に直面していることのあらわれである。近年高まっているエコへの関心が、悪化する自然環境の破壊や汚染と表裏一体であることを忘れてはならない。(了)

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