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【Ocean Newsletter】バックナンバー

第421号(2018.02.20 発行)

注目され始めた北極科学協力協定 ~日本のロシア海域科学調査への示唆~

[KEYWORDS]北極海/海洋の科学的調査/ArCS
神戸大学教授・極域協力研究センター長◆柴田明穂

2017年5月北極評議会(AC)の下で3番目となる国際条約、北極科学協力協定が成立した。
この協定は、海域を含む調査区域へのアクセスを容易にするなど北極科学活動をよりしやすくするものである。
特にベーリング海周辺のロシアEEZが広く協定の対象になったことにより、この海域での科学的調査に関心をもつ日本および日本の科学者にとってもメリットがありえる。

北極評議会第3番目の条約成立!

2017年5月11日、米国アラスカ州フェアバンクスで開催されていた北極評議会(Arctic Council:AC)第10回閣僚会合の機会を利用して、北極8ヶ国、すなわちカナダ、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、ロシア、スウェーデン、米国の外務大臣が、「北極に関する国際科学協力の促進に関する協定」(北極科学協力協定)に署名した。ここに、地理的には北極域全体を一体としてカバーし、機能的には北極に関するすべての科学活動を対象にして、国際的な科学協力を促進するための新条約が成立した。ACをフォーラムとして交渉され妥結した条約はこれで3つ目である。ACの条約形成フォーラムとしての活用が今後も注目される。
私は、最近の北極国際法秩序形成の新たな展開に関心をもち、以前よりこの協定の交渉過程を分析してきた※1。幸い北極域研究推進プロジェクト(ArCS)※2の一環として、協定交渉の最終2会合(2016年3月と7月)に日本政府の代表として参加する機会を得て、日本としての立場を主張してきた。ただ当時は、日本政府はもとより特に日本の北極科学者からの関心は低かった。他方で、海外の北極政府関係者や北極科学界では、この協定の意義が最近注目され始めている。2017年11月モスクワで開催されたロシア北極国際科学イニシアティヴ(ISIRA)会合では、この協定のロシアでの実施方法が主要議題の1つとなっていた。

日本にとっての北極科学協力協定の意義

協定は、北極にまつわる科学的知識の発展を向上させるため、科学活動における国際協力を促進することを目的として、研究者とその調査機器・サンプルなどの出入国を容易にし、関連研究施設、調査船などの研究プラットフォーム、そして砕氷船などの後方支援サービスへのアクセスを容易にし、海域を含む「指定された地理的区域(Identified Geographic Areas:IGA)」での調査のためのアクセスを容易にする義務を、協定締約国に課している(図参照)。この協定は、南極条約とは異なり、国際法上、科学調査活動の自由を北極域に導入するものではない。北極領域国ないし管轄国が有する科学調査活動に関する規制権限を前提として、その行使の仕方を、できるだけ北極科学の促進に有利にするよう強く勧めるものである。協定の中核的義務である「容易にする義務」も、締約国の裁量が入り込む余地があるが、それでもロシアを含め、北極科学を特定してその国際協力の促進にコミットした意義は、大きい。
この協定の締約国になれるのは先述の8署名国だけであり、日本を含む他の非北極国(協定上は非締約国non-Parties)は、この協定の締約国にはなれない。協定の締約国にならずに、いかにしてこの協定の便益を、関心のある非北極国やその科学者にも広めることができるか。実は、協定の交渉最終段階で議論された主要論点の1つが、この非北極国問題であった。交渉会合ではオブザーバーの地位にありながら、発言を許され文書配布などをした日本、ドイツ、ポーランドなどの効果的な主張が奏功して、協定では非北極国とその科学者にも、間接的ながら、協定の便益が広がるように工夫がされている。第1は、日本の科学者が協定上の便益を得る「参加者(Participants)」になり得る場合(第1条)、第2は、協定締約国が得ると同じ便益を、別途合意を結んで、非北極国にも拡大する場合(第17条)である。後者の手法は、日露科学技術協力協定など、既にある二国間協定の実施運用の中で実現可能と考える。

■北極科学協力協定の指定された地理的区域(IGA)の範囲
(米国務省作成、筆者が関係者より入手)

ロシア海域での海洋の科学的調査への示唆

協定は、IGAで行われる科学活動に参加する研究者や研究機関に対し、その調査区域へのアクセス、そして関連する研究施設や調査船へのアクセスを容易にするよう求めている。この義務には、他国調査船が排他的経済水域(EEZ)での海洋の科学的調査を行うために必要な事前許可について、「適時の考慮をはらい可能な限り迅速に決定を行うこと」(第1条)が含まれる。国連海洋法条約第246条3項は、沿岸国に対し、EEZでの調査につき同意が不当に遅延しないための手続を定めることを既に義務づけているが、協定第6条2項は、そうした手続に則って、申請処理がより迅速に行われることを要求していると解することができる。北極海洋科学調査の促進にとって、重要な一歩である。
このIGAの範囲が、図の赤線で囲まれた区域である。北極海域での科学的調査の観点から注目すべきは、第1に、基本的にIGAは締約国が主権、主権的権利ないし管轄権を行使する区域とされているところ、北緯62度以北にある海域については沿岸国の国家管轄権を越える公海部分も、IGAとしたことである。例えば、北極海中央部公海だけで海洋調査を計画している調査船も、協定上の便益を得ることができる。第2に、ロシアがチュクチ自治管区とその沿岸海域を指定したことから、北極海洋生態系および海洋循環の解明にとって重要であると注目されながらなかなか調査船が入域できていない、ロシアEEZ内のアナディール湾がIGAに含まれたことである。さらに第3に、米国が関係国の了解を得て作成したとされる図によると、ベーリング海全域がIGAとなっていることである。ここには領土部分はロシアによってIGAとしては指定されていないカムチャッカ地方沖合の領海やEEZを含む海域に加えて、カラギンスキー島やベーリング島といったロシア領の島もIGAとなっている。この海域・地域の科学調査に関心を有する日本の科学者にとっては、朗報であろう。

北極科学協力協定を活かしていくために

この協定は、これまで日本の研究者や研究機関が特にロシアの関係者・機関と苦労して築き上げてきた、個人的・機関間の協力関係になんらの悪影響をもたらさないどころか、逆に、個人・機関ベースの協力関係では乗り越えられなかった障壁、例えば許可申請や税関手続、出入国管理関係の手続を簡便にするなど、有効活用できる可能性が大いにある。その実践的価値と共に、この協定および今後の実施運用の過程は、ArCSプロジェクトが謳う北極研究における自然科学と社会科学の社理連携研究の題材として、学術的価値も高いと考える。北極科学協力協定の日本における学術的研究と実践的活用が、北極研究促進の両輪となって進展することを期待したい。(了)

  1. ※1柴田明穂「北極:国際科学協力推進のための独自の法域」国際協力論集24巻1号(2016) Akiho Shibata and Raita Maiko, "An Agreement on Enhancing International Arctic Scientific Cooperation: Only for the Eight Arctic States and Their Scientists?", Yearbook of Polar Law, Vol.8 (2017).
  2. ※2ArCS(Arctic Challenge for Sustainability) 北極域研究推進プロジェクト https://www.arcs-pro.jp/
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