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第364号( 2015.10.05 発行)
第364号(2015.10.05 発行)

桜の花に宿るエルトゥールル号の魂

[KEYWORDS] 日土友好/エルトゥールル号/歴史
海軍士官、トルコ海軍総司令部・戦略および国防計画担当、ビルケント大学博士課程(政治学、行政学)◆Ilker GULER

1889年に紀伊大島沖で座礁したエルトゥールル号の海難事故で、地域住民や医師らによる懸命の救助活動によって多くの乗組員の命が救われた。
桜の素晴らしい美しさは、エルトゥールル号の魂を思い起こさせ、桜がもつ可憐で洗練された表情の一つひとつの中に日本とトルコの両国の海を越えた友好関係の架け橋となった人々の魂を感じる。


エルトゥールル号の記憶

「桜」・・・それは、世界の歴史の記憶が宿る日本国民の象徴である。桜がもつ可憐で洗練された表情の一つひとつの中に人々の魂を感じる。この桜の持つ表情は、過ぎ去る四季のように日々の悲しみを癒してくれる。桜が持つ素晴らしい美しさと情緒さは、日本文化を表象するものであり、そうした美しさは、観る者全員の心に「哀愁」深く感じさせるものである。
2005年、軍艦エルトゥールル号の日本訪問115周年記念式典が開かれ、私は、この桜がもつ感動的な意味を目の当たりにすることができた。エルトゥールル号の名を冠した特別の区画を持つ植物園には日本より送られてきた桜の苗木の植樹が行われた。
1889年7月14日、日本とオスマン・トルコ帝国の友好的関係の証として、軍艦エルトゥールル号は日本訪問の途についた。しかしその航海は、悲劇的な顛末を迎えることとなった。イスタンブールを出発したエルトゥールル号は1890年6月7日に横浜港に入港。同年9月15日に帰途につくが、翌9月16日紀伊大島沖の樫野崎灯台付近の岩礁に座礁し、およそ600名の乗組員と共に海底へ沈んだ。
日本の政府機関と地域住民らによる懸命の捜索、救助活動の結果、乗組員69名の命が救われた。日本の新聞各社は、遭難した乗組員らの家族のために人道的支援報道を展開した。救助された乗組員らに手を差し伸べた医師の川口三十郎、伊達一郎、松下秀らは、治療代や薬代を受け取らなかった。後にその想いを手紙に「唯唯 負傷者の惨憺を憫察し、ひたすら救助一途の惻隠心より拮椐従事せし事」(負傷者らの窮状を察し、これらの者達を救助することのみを心の底から願って行ったことである)と記している。
医師らのこうした心の内を示す言葉は、日本の文化の中の奥深くに脈打つ桜の精神を表すものである。

激動の時代に生まれた友好関係

トルコと日本の間の友好関係は、このエルトゥールル号の事故を基盤として形成されることになった。そもそもオスマン・トルコ帝国が軍艦エルトゥールル号を日本に派遣するに至った歴史的背景には、イギリス、ロシアとの関係が挙げられる。当時、イギリスは世界各地に植民地を展開し、そこから得られる利権の保護を急いでいた。
オスマン・トルコ帝国皇帝スルタン・アブデュルハミト2世、そして日本の明治天皇は、それぞれ自国を統治する立場にあった。両国の主な関心は、脅威に曝されていた自国の主権を確保するために、戦略的な同盟国を見つけることにあった。こうした情勢の中、一方ではヨーロッパにて蔓延していた植民地主義的動向がエルトゥールル号による日本訪問の実現に至る大きな役割を演じ、また他方では悲劇的な事故がトルコと日本の間の友好的絆を醸成する結果となったのだった。

寬仁親王殿下による民間外交の教え

■エルトゥールル号殉職者のために花輪を捧げられる彬子女王殿下

■ボスタノール海軍総司令官より彬子女王殿下へのエルトゥールル号メダルを贈呈

ここで、寬仁親王殿下が述べておられる「民間外交」の教え(本誌第178号)について述べたいと思う。殿下は、軍港メルシンを来訪された際に、美しいガラス棚に、ひとつには水がもう一つには土が入った二つのフラスコ瓶が飾られているのに目を留められた。この二つのフラスコ瓶は、100年前の樫野崎の漁民による救出活動を永遠に忘れない為に、樫野崎の水と土を安置しているものだった。殿下は説明を受けられ「民間外交の究極の成功例がこのフラスコ瓶の中にある!」とのお言葉を残されている。この二つのフラスコ瓶こそ民間外交の鑑であることが殿下のこのお言葉によく表されている。殿下はさらに、「台風荒れ狂う中で行われた樫野崎の漁民たちによる救出活動、そしてその後の手厚い支援活動が、日本とトルコの友好関係の出発点となっている。日本とトルコの両国民の間で生まれた言葉では表現できない『絆』は、100年経過しても深まりこそすれ薄まっていない」とも述べられている。殿下のお言葉の通り、日本とトルコの間の関係は永遠に続くものである。2015年、彬子女王殿下は父君の遺志を引き継がれ、「桜の心の奥底に宿るエルトゥールル号の魂」を受け継いでいくために、軍艦エルトゥールル号日本訪問125周年を記念する式典に参列された。
記念行事の一環としてトルコのフリゲート艦ゲディス(F-495)が2015年4月1日から7月31日にかけて下関港、串本港、東京港を歴訪し、エルトゥールル号による日本訪問の再現を行った。6月3日にはエルトゥールル号遭難慰霊碑およびトルコ記念館にて追悼式典が挙行された。式典の中で彬子女王殿下は、「日土関係強化のために力を尽くしてきた父は、この友好関係の維持のために尽くす義務を私に託してくださいました」と述べられたうえで「日本とトルコの間の絆は1985年のイラン・イラク戦争の折に、トルコ側が自国民より先に日本人住民をテヘランから救出したことでさらに強まった」とご指摘された。その後、ジェミル・チチェッキトルコ大国民議会議長、ビュレント・ボスタノール海軍総司令官、武居智久海上幕僚長以下、日土両国関係者らと共に慰霊碑の前に花輪を捧げられた。この追悼式典では、約600名が訪れた。エルトゥールル号の魂は、これからも桜の心の奥深くに生きつづけるであろう。日本とトルコが共有するエルトゥールル号の記憶は、両国の間の「記憶」となった。日本とトルコの間の信頼感は、桜の花に宿る平和の精神のもとに両国民を結び続けることであろう。(了)

● 本稿は英語で寄稿いただいた原文を翻訳・まとめたものです。原文は当財団HP(/opri/projects/information/newsletter/backnumber/2015/364_1.html)でご覧いただけます。
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