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オーシャンニューズレター

第195号(2008.09.20発行)

第195号(2008.09.20 発行)

北太平洋最大の海鳥アホウドリの未来 ~復活作戦を通して共存の道を探る~

[KEYWORDS]海鳥/渡り鳥の調査/保全活動
(財)山階鳥類研究所研究員◆佐藤文男

一度絶滅宣言を受けたアホウドリだが、わずかに生き残った鳥島個体群が再生を遂げている。
デコイと音声を用いてアホウドリを誘致し新しい繁殖地を作った。
そして、今、鳥島の雛を小笠原に運び人工飼育し巣立ちさせる作戦が始まった。
火山島でない島に安定した繁殖地を作ることがアホウドリの未来を明るくする。
最近彼らの子育てにとって重要な索餌海域が銚子沖であることが解明された。

歴史への登場と絶滅

アホウドリは環境省レッドデータブックで絶滅危惧種II類に指定される国の特別天然記念物。寿命は20年以上。一夫一婦制、10月頃卵を一個生み育て、5月頃海を渡る。雛は3年間ほど海上で暮らし、生まれた場所に戻って繁殖する。
アホウドリは環境省レッドデータブックで絶滅危惧種II類に指定される国の特別天然記念物。寿命は20年以上。一夫一婦制、10月頃卵を一個生み育て、5月頃海を渡る。雛は3年間ほど海上で暮らし、生まれた場所に戻って繁殖する。

アホウドリは飛んでいるときの翼の長さ2.4m余り、海上をほとんど羽ばたかずに大きく上下に、左右にと帆翔(ソアリング)する姿はとてもダイナミックで美しい。この美しい大型の海鳥はかつて黒潮の流れる日本列島沿いの小笠原諸島、伊豆諸島鳥島、沖縄近海の島々、台湾の澎湖諸島にと広く繁殖地があり、生息数は数百万羽と推測されていた。しかし、明治20年代にその存在が明らかとなると同時に、鳥島では西洋への輸出用羽毛としての羽毛採取事業により、10年足らずで生息していたアホウドリの大部分が乱獲された。同様に他の繁殖地でも昭和初期までにほとんどのアホウドリは姿を消してしまった。アホウドリは近代の歴史に登場と同時に瞬く間に人の手によって滅ぼされてしまったのである。唯一生息記録の残る鳥島では昭和初期に数百羽にまで減少し、そして、昭和24年には鳥類学者の現地調査により絶滅宣言が報告され、地球上から姿を消したと考えられた。

復活への望み

昭和26年、鳥島には、本土を襲う台風観測最前線基地として気象庁の職員が常駐していた。彼らによって鳥島南端燕崎の急斜面のススキ原の中に、繁殖中の10数羽のアホウドリが発見され、このニュースは世界中に発信された。その後、気象庁職員による保護活動により、アホウドリはわずかずつ個体数を増やしていった。昭和30年1月の生息数は成鳥16羽、雛3羽、卵4の記録が残る。昭和40年4月、雛11羽の記録。アホウドリはゆっくり増えていた。しかし、同年11月、鳥島は火山性群発地震が激しくなり測候所は閉鎖、無人となってしまった。アホウドリの情報は途絶えてしまった。昭和52年3月、東邦大学の長谷川博氏がアホウドリの現状を案じて単身鳥島に上陸し、成鳥71羽、雛15羽を記録する。昭和56年からは環境庁と東京都により、繁殖地の改善事業として、燕崎繁殖地内にススキを移植し、地面を安定させる保全活動が始まった。燕崎の繁殖地は噴火時の軽石やスコリアが厚く堆積した上にススキが繁茂していたが、再発見から20年の間に大雨により土砂が流失し、植生のほとんどが失われ、繁殖地はひどく不安定になっていた。アホウドリの個体数増加には何より繁殖率を上げることが急務であり、燕崎の繁殖地を安定させる必要があった。しかし、一方、鳥島が再び噴火することが最大の脅威であった。明治35年の噴火では島民126名全員が死亡、昭和14年にも大規模な噴火があり、島民が離島している。アホウドリを保護の必要のない安定した個体数まで増やすにはどうしたら良いのか。

デコイ作戦成功

1991年、私たちはデコイ(アホウドリ模型)を使って鳥島内の地形の安定した場所に新しい繁殖地をつくるという、兼ねてからあたためていた作戦を実行した※1。毎年安定した繁殖率が維持できれば、個体数の増加は飛躍的に伸びるとの期待であった。準備期間を得て、1993年3月に鳥島北部の初寝崎にデコイ50個と誘致音声を流す設備を設置し、アホウドリの誘致を開始した。この時の燕崎雛数は66羽。結果は1995年1つがいが初産卵、10年後の2004年に4つがい産卵、2005年16卵、2006年24卵、2007年35卵と増加し、新繁殖地は完成した。しかし、2002年には恐れていた噴火、幸い小規模でありアホウドリへの被害はなかった。私たちの最終目的はアホウドリを火山島ではない無人島に移すことである。そうすれば、捕食者のほとんど存在しないアホウドリはきっとゆっくりその数を増やし、やがて太平洋のあちこちで普通に遭遇できる海鳥に返り咲くのではないか。日本各地の縄文期の遺跡からアホウドリ類の骨が大量に出ることが知られ、また、アイヌ民族はアホウドリをカジキ漁の目安とし、その頭骨を神送りの対象としていたという。私たちが考えるよりも、かつてアホウドリは今よりはるかに日本民族に身近な海鳥であった可能性が高い。

小笠原聟島に雛を移送

2008年、私たちはついに雛を火山島ではない島へ移住させることを決行した。鳥島の巣立ち雛は1998年から毎年100羽を超えるようになり、少数の雛を別な島へ運んでも個体群への影響が少なくなったと判断された。別な島で人が人工飼育し巣立ちさせ、その島に巣立ち雛が帰還するようになれば、さらに新しい繁殖地が完成する。2月、鳥島から聟島(むこじま)へ10羽の雛がヘリコプターで運ばれた。5月、雛10羽はすべて無事巣立ちした。大成功である。3年後に雛は聟島に戻るだろうか。作戦はさらに4年間、合計50羽以上の雛を聟島から人工的に巣立ちさせる予定だ。結果がわかるのは早くても5年先、もし1羽も戻らなかったらと考えると、怖いくらいの復活作戦である。

謎の行動海域の解明とアホウドリの未来

アホウドリが繁殖のために鳥島に来るのは10月から5月までである。夏の間どこにいるのか。また3年間も鳥島に戻らない若齢個体はどこでくらしているのか。アホウドリの海洋での生態は長い間謎であった。わずかに足環標識をつけたアホウドリの回収により、アリューシャン列島からアメリカ西海岸で夏をすごしていると推測されていた。私たちは1996年から10年間で31個体のまだ繁殖していない若いアホウドリに人工衛星発信器を装着しその行動を追った。結果は見事であった。鳥島を5月に離れたアホウドリは本州東側の大陸棚上を北進し、北海道・千島列島の東側の大陸棚上で索餌行動を示しながらアリューシャン列島西部から中部に達し、8月にはベーリング海やアリューシャン列島東部の海域で過ごしていることが判明した。キーポイントは大陸棚のようだ。続いて繁殖期の2月に子育て中のアホウドリ22羽に装着、雛への餌をどこに採りに行くのかを調べた。結果は驚きであった。親鳥たちの通う餌場は関東南岸を東進する黒潮の北側、伊豆諸島北部と千葉・茨城県沖、岸から10km~50kmの海域であった。アホウドリの餌はイカ、小魚、魚卵などであるが、この海域はまさにわれわれ関東圏に住む者の魚の供給源でもある。2008年現在、アホウドリの鳥島個体数は約2,000羽、まだ広い海洋上では出会うことも難しいくらいのわずかな数である。私たちの描く未来のアホウドリの数は数万羽、いや数十万羽である。川のように流れる「黒瀬川」※2を悠々と横切って飛翔するおびただしいアホウドリたちの雄姿、向かうは世界でも有数の漁場の一つ、黒潮と親潮のぶつかる銚子沖だ。その頃、私たちはこの豊かな海域に彼らのために十分な魚を残してやれるだろうか、今はそれが最大の関心事である。(了)

アホウドリの索餌海域(プロットが集中している箇所が繰り返し利用している海域)
アホウドリの索餌海域(プロットが集中している箇所が繰り返し利用している海域)

 

※1 (財)山階鳥類研究所「アホウドリ復活への展望」
※2 黒瀬川=黒潮の古い呼び名

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