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オーシャンニュースレター

第172号(2007.10.05発行)

第172号(2007.10.05 発行)

水産資源と分類学

京都大学総合博物館教授◆中坊徹次

水産資源である魚は海から湧いてくるのではない。
正しい資源管理を行わなければ、やがて魚は枯渇する。
魚は種が異なれば生態も異なるため、水産資源の保護には魚類の分類学が不可欠である。
食卓にのぼる普通の魚の種の輪郭についても
分類学的再検討が必要になってきている。

水産資源保護と魚類の分類学

水産資源である魚は海から湧いてくる。学生のときに水産資源学でそのように教えられた。しかし、獲り方を間違えると魚は枯渇する、とも教えられた。適正に漁獲すれば、水産資源である魚は枯渇することなく、生息環境の大幅な変化がない限り永久に海から湧いてくる。適正な漁獲のために自然の摂理を追求する、これが水産資源学である。私の研究分野は魚類の分類学である。分類学者といえば生物の名前をよく知っており、ときには新種を発見し、また生物の図鑑を書いている人たちである、というのが一般的な印象であろう。その分類学者である私がなぜ水産資源学に触れるのか。「水産資源」と「分類学」にはどのような関係があるのか。

■写真A 黄色い線が濃いシマアジ
■写真B 黄色い線が薄いシマアジ
(写真:京都大学魚類学研究室)

シマアジという魚がいる。大変に美味で高級な魚である。シマアジの中に黄色い線が濃い個体(写真A)と、薄い個体(写真B)がいる。シマアジはアジ科であり、アジの仲間には体の中央に黄色い線をもつものが多い。ブリやヒラマサにも薄く黄色い線がでることがあるし、ムロアジにも黄色い線がでる。メアジにもでることがある。ブリやヒラマサの黄色い線は個体によって濃淡に変異がある。ムロアジは漁獲後の状態で黄色い線の濃さが変わる。シマアジの黄色い線の濃い個体と薄い個体はどのように考えればいいのだろうか。

十数年前、日本近海に遺伝的に異なるふたつのシマアジが生息していることが判明した。種類のことを生物学では種(しゅ)と呼び、分類学の基本単位である。シマアジは別々のふたつの種がまじった複合だった。ふたつのシマアジは背鰭の鰭条(鰭のすじ)などの数で異なり、電気泳動法によって遺伝的に異なっていることがわかったのである。当時の研究はここまでで、これ以上詳しくは追求されなかった。種が違えば、体の色彩斑紋にも何らかの違いが出る。これがわかれば、ふたつのシマアジは誰にでも区別できる。当時の論文には、色彩斑紋については何も触れられておらず、ふたつのシマアジの判別については課題として残されていたのである。

数年前になるが、魚類相の調査で足摺岬の付け根にある以布利漁港にかよったことがある。以布利漁協の漁師さんたちの協力を得て、大阪海遊館と高知大学、そして京都大学の私の研究室は以布利近辺の魚類相調査を行った。この調査はイブリカマスという新種の発見や「以布利黒潮の魚」※1という魚類図鑑の発刊という豊かな成果を挙げた。3年の間、定期的に以布利漁港にかよって、滞在中は毎日水揚げされる魚たちに顔を近づけ、目を皿のようにして見続けた。調査は終わったのだが、いくつかの研究課題が残り、シマアジもそれらのひとつであった。

黄色い線が濃いシマアジと薄いシマアジも、残された研究課題のひとつである。ふたつのシマアジがいるのは知識として持っていたので、少し注意を払って、この魚を見た。そうすると、黄色い線が濃いシマアジと薄いシマアジが見つかった。小さな幼魚から、少し成長したものまで、黄色い線の濃いものと薄いものがいる。少し、つっこんでふたつのシマアジの黄色い線以外の特徴についても調べてみた。黄色い線が濃いシマアジと、薄いシマアジは背鰭の鰭条の数が異なっていた。もしかしたら、十数年前の研究結果と対応しているかもしれない。ブリやヒラマサの黄色い線の個体変異と違って、シマアジの場合は種が異なっていることの反映かもしれない。もっと詳しい比較研究が必要なのだが、この課題は「以布利黒潮の魚」の発刊と共にしばしの眠りについたのである。

分類学的再検討が必要となっている日本の魚

さて、日本列島周辺にどのような魚がいるのか。18世紀の後半にオランダの学者によって日本の魚が初めてヨーロッパに紹介されて以来、19世紀中頃のシーボルトの「日本動物誌」などを経て、20世紀の最初の10年間にアメリカのデイヴィッド・スタア・ジョルダン(魚類学者・スタンフォード大学初代総長)のグループが、ものすごい勢いで日本ならびに、周辺の魚類の研究を行った。ジョルダンに影響を受けた東京帝国大学の田中茂穂が、それまでの日本産魚類の分類学的研究をまとめてチェックリストを作成、渡米してジョルダン、スナイダーとの共著で「A catalogue of the fishes of Japan」を1913年に発表し、日本の魚類相の大枠はあきらかになった。このあと、日本の魚の研究は日本人が中心になって行われるようになり、2000年の「日本産魚類検索全種の同定第二版」※2(中坊徹次編)に至っている。沿岸から沖合へという漁場の拡大による新しい魚の発見、スキューバダイビングの普及による新しい魚の発見により、1913年から現在に至って日本の魚の種数はかなり増加した。

しかし、日本の魚類相は再検討の時期にさしかかっている。ジョルダン・グループの分類学的研究は20世紀初頭であり、現在の研究水準で分類学的再検討をすれば種の輪郭や学名が当時とは異なっていることがある。とくに食卓にのぼる「普通の魚」の種の輪郭や学名が変わることがしばしばである。つまり、水産資源となっている「普通の魚」の種の輪郭については分類学的再検討が必要になってきている。

さいごに

ふたつのシマアジがいるにもかかわらず、ひとつとして扱われていれば資源管理をするときに困る。種が異なれば生態も異なる。魚は年によって個体数の変動をみせる。資源水準という言葉で表現されるが、資源水準は高くなったり低くなったりし、その変動の規則性は種によって特有のものがある。ふたつの種が混合したものの資源水準変動を調べても、正確な規則性はでてこない。ふたつのシマアジを明瞭に分離して、それぞれの正確な資源水準変動の特徴を追求しなければならない。誰にでも区別できるような特徴を明らかにし、変動の単位となる種の学名と標準和名を特定し、分類学者以外にもふたつのシマアジが区別できるようにしなければならない。ここで、分類学と水産資源学が結びついてくる。

日本における魚類分類学は水産学の中で成長してきているのだが、大まかに魚類相が判明しているので、ときに忘れられた学問になっている。しかし、水産資源となっている魚の「種の輪郭」は再検討を迫られている。現在は精密な比較形態とDNA分析により研究が推進される。今年、シマアジの分類学的研究を再開した。問題は高価なDNAの分析用研究費である。(了)


※1 「以布利 黒潮の魚」中坊徹次ほか編、大阪海遊館刊行、2001年、ISBN-13:978-4931418042 定価6,000円
※2 「日本産魚類検索 全種の同定 第二版」中坊徹次編、東海大学出版会発行、2000年、ISBN4-486-01505-3
価格29,400円(税込)

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