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オーシャンニューズレター

第141号(2006.06.20発行)

第141号(2006.06.20 発行)

知ることは、守ることへの第一歩~悠久の自然を海から感じる~

(財)知床財団 保護管理研究係◆熊谷恵美

海・川・山が、生命の環をなす知床半島。知床を訪れる多くの人が観光船に乗り、
目の前にそびえ立つ断崖や、海に流れ落ちる滝を見て、壮大な自然に感動を覚える。
しかし、何気ない断崖への接近によって、豊かな生態系に影響を与えることになる。
訪れる人たちが謙虚な気持ちと、一歩踏み込んだ情報を持つことによって、
自然との関わりかた、自然に与える影響は変わっていくだろう。

多くの命を育む大自然を求めて

1,000m級の火山山脈が中央を走る長さ約70km、幅約25kmという細長い知床半島。その周りを取り巻く海には、流氷がもたらす豊富な植物プランクトンを初期生産者として、豊かな生態系が形成され、ミンククジラやトドなどの大型哺乳類が回遊する。森では、アイヌの人たちが山の神、村の守り神として敬ってきたキムンカムイ(ヒグマ)やコタンコロカムイ(シマフクロウ)などが生息し、川へ帰ってきたカラフトマスやシロザケを食し、その養分を森に運んでいる。この海・川・山が生命の環をなす知床の大自然を求め、150万を超す人々が昨年、知床世界自然遺産地域を訪れた。

悠久の自然を海から感じる

硫黄山の山腹から湧き出た湯が海岸のガレ場に落ちるカムイワッカの滝。

世界自然遺産に登録された2005年夏、知床を代表する観光スポット、知床五湖へ続く道には、バスや乗用車が列をなしていた。そこは、まさにテーマパークの駐車場のような光景であった。列をなしているのは、陸だけではない。海では、たくさんの客を乗せた6隻の観光船が、2時間おきに連なってウトロ港を出ていく。そして、そそり立つ断崖や滝などの絶景ポイントでは、各社の船が交代で接近している状況である。

観光船は、海・川・山が一体となった景観を私たちに提供してくれる。しかし、そのダイナミックな自然をより身近に伝えようとするサービス心が、様々な問題を引き起こしている。昨年、基準経路を逸脱し、岸に接近したことが原因で、座礁事故や沿岸域に張られた定置網にスクリューが絡まり運行不能になるという事故が相次いで起こった。また、断崖の営巣地に近づくことにより、エンジン音やアナウンスなどの大音量が原因となるのだろうか、繁殖する海鳥の数の減少が確認され、生態系への影響も懸念されている。
連なる山々を背景に、大地から染み出た湧き水が滝となって海岸に落ちる姿は壮観であり、人の立ち入りを拒む大自然の脅威すら感じる。初めてこの景観を目にした時、私もこの大自然に畏敬の念を持ち、たくさんの人たちにこの素晴らしさを見てもらいたい、そしてこの自然をずっと守っていかなくてはならないという気持ちを抱いた。多くの人が、オホーツク海の上で、同じ様な思いを抱いたことだろう。その「思い」を、自然への負担を軽減し、「守る」ことへつなげることはできないのだろうか。

知ることは、守ることへの第一歩

そびえ立つ断崖を間近で見る観光クルーザー。

かつて、知床ではいくつかの観光船業者により、カモメ用の餌の販売と乗客による餌やりが行われていた。しかし、昨年7月、環境省による「観光船の運航に伴う野生動物への影響回避に関する要請」の効果もあり、遺産登録後は餌の販売を自粛する業者が増え、カモメへの餌やりは見られなくなった。この背景には、観光客から餌やりを疑問視する声があがっていたことも要因としてあるのかもしれない。「世界自然遺産となるような大自然の生物に餌をやるという行為は、間違っているのではないだろうか」と。

湾に入り込んだり、断崖直下に近づくとき、観光船の乗客のなかには、「これだけ迫力のある景色を見ることができるのはうれしいけれど、こんなに近づいていいものだろうか。安全性も心配だ」という声を聞くことがある。海岸線にそびえ立つ断崖は、海鳥の繁殖場所でもある。高速船で接近した観光客が、何気なく歓声をあげながらシャッターを切っている十数m先の岩棚に、絶滅危惧種のケイマフリが抱卵しており、このような接近が彼らの営巣放棄を招いたりしているのだ。しかし、船に乗っている多くの人がそのことを知らないだろう。もし、その事実を知れば、生物に影響を与えるような営業を疑問視する乗客は増えていくのではないだろうか。

今年4月、環境省から「知床半島先端部地区の自然環境保全のための立ち入り自粛要請」が出された。世界自然遺産登録の影響を受け、今年は利用者の増加が予測され、自然環境へ過度の負荷をもたらすことが懸念される。それをできる限り抑えるため、広く協力を求めているのである。この中では、山岳部の利用に関する事項に加え、カヤックや動力船による海域利用についても触れている。事故防止のための安全管理とともに、「野生生物への配慮」という項目がある。野生動物の繁殖地には接近しない、海棲哺乳類、海鳥、猛禽類およびヒグマ等の生息行動に悪影響を与えるような接近や追い回し行為を行わないなどが挙げられている。動力船については、とくに海鳥の繁殖地として確認されている付近では、沿岸から100m以上距離をとること、陸の近くでは低速で航行することが明記されている。

しかし、今シーズンに入っても、海鳥が繁殖する断崖に観光船が接近している状況を確認している。この「自粛要請」という「お願い」の形だけでは、自然を守ることは難しいのかもしれない。まず、利用する私たち自身の意識を変える必要があるだろう。たとえば、訪れる人たちが「動物たちの棲家へお邪魔する」という謙虚な気持ちと、一歩踏み込んだ情報を持つことによって、自然との関わりかたは変わるのではないだろうか。大切なのは、これから立ち入ろうとする場所では多くの命が育まれており、適切な距離を知らずに踏み込むことによって、生態系へ悪影響を与える可能性があることを認識することである。知ることは、守ることへの第一歩。古の時代から引き継がれてきた宝もの「知床」の大自然、動植物の生命の営みを目の当たりにすることによって、豊かな自然を未来へ残す第一歩を踏み出すことを期待している。(了)

●(財)知床財団ホームページ http://www.shiretoko.or.jp/04zaidan/zaidan_main.htm

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