Ocean Newsletter

【Ocean Newsletter】バックナンバー

第137号(2006.04.20 発行)
第137号(2006.04.20 発行)

海洋環境の保護・保全・再生のために

阿嘉島臨海研究所所長◆大森信

生態系の健康度は、そこに棲む生きものがいかに豊かであるかにかかっている。害となりそうな人間活動を効果的に規制するためには、種や分布や生物多様性の機能がもっとよくわからなければならない。それまでは、人間社会が絶えず先を考えて予防することが必要である。

海のオアシス

海で最も多くの生きものが棲み、大切な漁業資源を育てるゆりかごでもあるさんご礁がさまざまな人為的な影響によって急速に消滅している。わずか50年ぐらいの間に、世界のさんご礁の3分の1がすでに破壊され、3分の1が破壊の危機にある。山の緑がそのぐらいの速度で失われて、野鳥や昆虫が姿を消したら、人びとは戦慄するであろう。しかしながら、人間の活動がどんな影響を及ぼすのかを見ることができない海の中では、保護や保全のための行動が必要なのだということを、私たちはつい忘れてしまう。

生態系と生物多様性

海でも陸でも生態系は複雑だが、実にすばらしい均衡を保ち、絶妙なバランスで機能している。それは人間がつくったり制御したりできるものではない。自然環境がよく保たれ、生息の場が多様であればあるほど、その場に適応した多くの種類の生きものが棲む。この生きものたちの構成は、自然による撹乱がおきても、そう簡単には崩壊しない。そして、ある種が少なくなってもそれにとって代わる種が増えて、生態系の機能はもとに戻る。その弾力性を支えるのが生物多様性である。このような生態系の安定性は生きものの進化と物質循環系とが相互に作用しながら長い地球の歴史を経てつくり上げたものだ。したがって生物多様性は自然による撹乱より大きなストレス、つまり生きものが適応し進化するための時間的な余裕を与えないような打撃には弱い。生物多様性が低下すると、生態系は自己修復作用を失い、物質循環が滞って環境は悪化し、回復が困難になる。

世界人口の急増とエネルギー消費量の増加によって、地球環境は年々悪くなっている。人口増加の主な部分を占める発展途上国の人たちが、私たちと同じような生活レベルを求めて活動するのに歯止めをかけることは難しいので、世界の食料資源とエネルギーの消費がさらに増えることは確実だが、この状況が続けば人間以外の生きものはますます棲む場所を奪われて滅びへの道を歩み続け、地球の生態系は回復力を失って、豊かな生物資源を永遠になくしてしまうだろう。それは、人類にとっても滅亡への道である。産業革命後、気づかない内に人間は地球史上6度目の生物大絶滅を開始してしまった。しかも、現在おこっている種の絶滅速度は、これまでの10~100倍の速さといわれている。

生物多様性への脅威がさまざまな局面から示されているにもかかわらず、いまだに人間はそのいのちをささえてくれる海と陸の自分自身の生態系に対して、あたかも生態系の外にいるように振舞い、欲望を満たすために利用し続けている。それをやめるために生活を変えることを約束するような幅広い倫理観はできあがっていない。

長い地球の歴史のなかで培われてきたさんご礁。多様な生きものをはぐくむ場の美しさは健康な海の象徴である。(写真:阿嘉島臨海研究所)

ひとつの生態系の悪化がより大きい地球規模の変化につながり、人間やほかの生きものが生き続けるために必要な自然環境が損なわれてしまうかも知れないというおそれは、万人が感じている。しかし、一方で、政治家や企業家からは、生物多様性の損失は避けることはできないけれど、公害問題や経済問題と同じようにそのうちに直すことができるものと見られてしまっている。たしかに、これまで私たちが直面したいくつかの問題は、2~3世代の間に、またはもし本当に必要と感じられたら、それよりも短い期間に解決されてきたから、「これから来る人たちの技術と英知に期待する」というような言葉が通用した。しかし、種の絶滅や生物多様性の悪化はそれらとは本質的に違うのだ。私たちは自然も種も創造できない。生活をもっと豊かにしたいという願いが裏目に出て、子孫に誤りのつけを残さないように心を配ることは、私たちに課せられた義務である。

予防的アプローチ

環境政策のもとになるのは科学知識である。しかしながら、海の生態系や生物多様性についての知見は十分でないから開発事業や計画の影響を予知することはしばしば難しい。不明の部分が多い生物多様性は対策の難しい問題の典型である。分かっていないことや根拠の不十分な事柄について専門家は積極的に発言しようとはしないが、地球の環境や生物多様性は悪化してしまってから何とかしようとしても手遅れである。放っておいてはいけないという率直で勇気のある専門家の警鐘がもっとほしい。そしてそれらが政策決定の中で予防的アプローチとしてもっと生かされてほしいと思う。

生態系や生物多様性の保全に関する政策の立案は、政治的または経済的な事情を越えて科学的な考えに基づいてなされなければならない。その上で、たとえ科学といえども不確かさがあり、予測に誤りが少なくないことを認めて、最終的な決定は倫理的な判断に裏打ちされたものであることが望ましい。何らかの行為をおこすときに予防的アプローチや予防原則をとれば、予測できない範囲についてはできるだけ影響を及ぼさないような判定基準をリスクアセスメントに適用して、生態系を保護することができるだろう。

再びさんご礁

世界で一億人を超える人びとが漁業の場や観光資源、あるいは高波や高潮から生命や財産を護る自然の防波堤として、さんご礁に深く依存して生きている。さんご礁生態系の喪失は人間の生存が脅かされるという問題だけではなく、貧困と社会的倫理の危機を助長する問題につながっている。先進国の人びとは技術力と経済力によって自然の脅威から護られているが、途上国の、自然にもっと依存して生活している人びとは、最初にさんご礁の衰退の影響を受ける。彼らは、すでに地球規模の影響を受けていながら、取り返しのつかないその結果の恐ろしさを最後に知る民かもしれない。先進国の中で大きなさんご礁のある国は日本とオーストラリアだけである。保護や管理のための研究や政策を進める余裕のない熱帯の国々に代わって、日本は相当の役割を果たさねばならない。(了)

ページトップ